御坂/高川山~鶴ヶ鳥屋山

  日:    1月3日(水)              日帰り

参加者:    冨重正樹(L),森田隆仁,鈴木いつ子,小原紀子,澤田治之,輿水政子,河崎正道.田島弘子,長江唯志,岩井福治,山本文夫,前田幸子,田中茂行              計13名

  程:    3日(晴れ)八王子6:34=初狩7:29/7:35~林道終点8:15~高川山8:50/9:05~(896m)9:25~大岩分岐9:55~近ケ坂峠10:00~(685.2m)10:40/10:50大幡峠11:10~展望広場12:10/12:40~鶴ケ鳥屋山13:55/14:15~本社ヶ丸分岐14:50~林道を横切る15:05~船橋沢林道終点15:45~笹子16:05

八王子6:34発松本行きに乗車、初狩で下車。大月市の道標が要所にあり迷うことはない。林道が未舗装になり、しばらく行くと高川山の尾根コースが左に分かれる。急な林道をひたすら詰め、林道終点からジグザグに山道を登る。山頂近くは気持ちの良い樹林帯で大岩へ向かう分岐を左に登ると高川山に着く。中央線沿線の山の中でも展望は一級品、富士山はもちろん中央線沿線の主な山はほとんど見渡せる。先刻の大岩の分岐まで戻り縦走路に踏み出す。尾根に出るとしばし急坂を厚く積もった落葉のラッセル、896m(羽根子山)へは急坂をトラロープに掴まり登る。羽根子山で右折、北隣りのピークには「神馬沢ノ頭」の山名板がある。ここで左折、ほっとするような樹林の中を下り大岩の分岐から一下りで近ケ坂峠、北側の峠道はたどれそうだが南側は消滅しかかっている。再び緩く下っていく

と広い鞍部に出る。地形図では破線が横切っているがはっきりしない。笹の中を緩く登っていくと溝状の山道が現れ、やがて左にそれていく。これに入ってはダメ。適当な所から尾根に上がり右折、しばらくは笹の繁茂する広い尾根でルートがわかりにくい。高川山西尾根で注意を要する所だ。赤テープを頼りに進むと刈り払いが出てきて左折する。一下りした鞍部は破線の道が横切っている。ここから急登で685.2mの三等三角点を見る。ここまでくると一安心だ。緩やかな尾根をたどりバラが繁茂する法面を下って舗装道路が横切る大幡峠に降り立つ。峠の南端の所から笹の中の踏跡を急登し尾根に出る。しばらくは緩やかな尾根で770m付近で山道が横切る。やがて胸を突くような急登となり、気持ちの良い樹林の中、無心で這い登る。舗装された黒野田林道に出た所が展望広場、あずま屋があり、西丸震哉氏のちょっと粋な展望図がある。高川山はずいぶん遠くになった。林道を北側に少しまわり木の梯子から尾根に乗る。林相の良い自然林の中、鶴ケ鳥屋山まで急登は続く。特に直下は厳しい。

滑りやすい落葉道を立木に掴まって這い登ると初狩からの山道を合わせ樹林の中の鶴ケ鳥屋山に着く。大幡峠から標高差740mのすさまじい登りだった。小さなコブを3,4つ越して笹子への下山道に入る。尾根に乗るまでのトラバースは滑りやすく注意が必要、尾根に乗るとじきに先刻の林道を横切る。この下で「蜂の巣あり注意」の看板あり、今は冬だから問題ないが。船橋沢へは急降下、疲れた足には堪える。沢を何度か渡り返し林道の終点に出る。笹子駅に着くとタッチの差で間に合わないはずの16:05発の立川行きが少し遅れてやってきてグッドタイミング。新年早々タップリ歩きました。

地形図:20万=甲府 2万5千=大月、都留、河口湖東部、笹子

 

道志/阿夫利山~御牧戸山

  日:    1月14日(日)             日帰り

参加者:冨重正樹(L),中村精,鈴木いつ子,小原紀子,松村佐代子,小澤美喜代,神之村均,笠原隆,輿水政子,

河崎正道,田島弘子,岩井福治,宮澤恵子,武末範子,横倉毅 計15名

  程:    14日(小雪後晴れ)高尾7:47=上野原8:10/8:28=(バス)=富岡入口8:53/9:00~林道終点9:25/9:35~阿夫利山10:30/10:40-金波美峠11:05~(803m)11:30/11:50~池ノ上12:05~御牧戸山12155/13:15~厳道峠13:35~ムギチロ14:10/14:15~(660m)15:20~大渡15:35/15:40~月夜野16:20/17:05=(バス)=藤野17:49

高尾7:47発河口湖行きに乗り上野原で下車、駅前はハイカーでごったがえしていた。無生野行きのバスに乗り富岡入口で下車、橋を渡るとすぐに分岐がある。「厳道峠・阿夫利山」と書かれた標識が左へ行くように立っている。新しく登山道を切り開いたのかもしれない。我々は右へ行く。富岡の集落をぬうように登っていき、神社の先から右に沢沿いの林道に入る。雪のうっすら積もった林道は25分ほどで終点となる。ここで右の小沢を渡り尾根に取り付く。急だが雪のおかげでキックが利いて登りやすい。自然林の尾根は上部で植林帯となり573mからくる尾根に乗ると明瞭なルートに出る。左折するとやがて尾根は心地よい自然林となる。632mからの尾根が合流すると道は一層良くなる。先刻の標識のルートとはここで合流するのかもしれない。阿夫利山へは急登、灌木がややうるさい狭い頂上は南側の展望が良いが今日は小雪交じりの天気であまり遠望がきかない。金波美峠へは左側が伐採された尾根を歩く。尾根道よりも巻き道(仕事道?)の方が歩きやすい。金波美峠はうす暗い植林の中、しっかりした道が乗越している。

峠から少し上がると尾根が広くなりルートもはっきりしなくなるので適当な所から左の尾根(586mからくる長い尾根)に這い上がる。ゆるゆると登ると植林の中の803mに登り着く。ここで昼食、いつの間にか雪は止み陽も差してきた。次のピーク(850m)が池ノ上で、ここから緩やかに左折、笹の中の明瞭な山道を急降下、植林の広い鞍部から御牧戸山の東の肩への急登が始まる。ここも雪のおかげで快適?に登れ、秋山村の造林の白い標識の所で道志の主稜線に出る。御牧戸山へは右に一投足、アンテナのある広い頂上でひとときの憩い。厳道峠へは急降下、雪が中途半端に付いて滑りやすい。車道が乗り越す峠からムギチロヘ登り返す。883mへは急登で下りならアイゼンが必要な所だ。ムギチロの西の肩が大渡への尾根の分岐点、よく見ると「モガサワの頭」(だったと思う)の山名板があり、赤テープが2本下降点を示している。ムキチロの頂上を確認後、大渡へ下り始める。踏跡を拾いながら下るが680m付近の尾根が分かれる所は笹薮がうるさく、尾根のやや左側を下り、古い踏跡が横切る所でこれを利用して強引に右にシフトして目的の尾根に乗る。笹の中の踏跡を下り鞍部に出ると地形図の破線の道に合う。月夜野へ下る道ははっきりしないが、野原へ下る道は明瞭だ。急登になるとコンクリートでできた施設に出る(620m)。西へ下る尾根には幅の広い巡視路がある。660mには赤い祠が祭られている。少し南へ下ってから南西へ、大渡へはルートも明瞭だ。バス停で時間を見ると1時間以上待つので「月夜野まで歩こう」と皆歩き出す。いやはや、元気な人達である。月夜野の食堂でバス待ちの間、各自思い思いに体を暖め、バスに乗り藤野で解散した。余談ですが藤野の居酒屋にマップケースを忘れ、藤野駅の改札できっぷを取り忘れたおめでたい人が約1名いました。さて誰でしょう?

地形図:    20万=甲府 2万5千=大室山

  用:    上野原~富岡入ロ                   バス代\460

月夜野~藤野                        バス代\490

 

丹沢/鍋割山(本部合同)

      121()             日帰り

参加者    林徹(CL),河崎正道(SL),中村精,木村真知子,小梶昌弘,宮澤恵子,武末範子,支部外5名 計12

  程:    21日(曇り後晴れ)渋沢7:40=(バス)=大倉7:55/8:20~公園案内板8:45/8:50-県民の森分岐9:23/9:30~小丸分岐の少し上9:57/10:10~後沢乗越10:40/10:45~鍋割山11:56/12:54~二俣分岐13:30/13:40~灌木帯の中14:05/14:10~745mを越えた所14:46/14:51~二俣15:10/15:20~大倉16:15/16:38=(バス)=渋沢16:53

前日からの降雪のため、県民の森~栗の木洞~鍋割山のコースを変更する。バス停から雪の道を歩く。空もボーッとしている。支都外の参加者は男性5名で、元支部員だった長谷川悦男さんも。皆さん、県民の森経由のコースを歩きたかったようなので、県民の森の入り口を見ていく。二俣に近くなるあたりから道の雪が深くなる。ミズヒ沢を渡り桧林の中をジグザグに登っていき、後沢乗越の所で見ると、栗の木洞方面からのトレースはなかった。ここからの登りは急になるので、所々で小休止しているパーティと出会う。知り合いに出会って挨拶をしている人もいた。だんだん青空が見えはじめてきて、箱根方面が見えてくる。ピークを越えるごとに立ち止まって呼吸を整えて、また登っていく。

雪の積もった木々が美しい。やがて右手に丸く塔ノ岳が見えてくる。少し下っていき、最後の急な登りで鍋割山に着いた。山荘に入って熱い鍋焼きうどんやおでんを食べた人もいた。鍋割山荘の草野さんの話では、昨日の積雪は明け方雨に変わったので20cmという。山荘前での記念写真に、草野さんも入ってもらう。富士山は雲に覆われて見えなかった。

鍋割山からミズヒノ頭、小丸の稜線歩きは、青空をバックに真っ自な雪が映えて気持ちがよい。小丸を下って右の分岐が二俣への道、標識には訓練尾根と書いてある。ここで休む。アイゼンは必要なさそうである。踏跡もついている。灌木の中のジグザグな道は雪が溶けて滑りやすい。途中で休む。

目の前にピークが現われる、745m峰だ。ここを過ぎると道は緩やかになる。また休む。水を飲みながら「鍋焼きうどんの味がずいぶん濃かった。」と言っている人がいた。しばらく行くと、下に林道が見えてきて分岐に出た。二俣である。広い所で休む。石づたいに流れを渡って林道を歩く。雪どけの道はベチャベチャで、水が流れて川のようになっている所もある。大倉まで歩いてバスで渋沢へ出る。

1月から北口へ移って新装開店した「いろは食堂」で1時間ほど打ち上げをして小田急線で帰る。(中村 記)

地形図:    20万=東京  2万5千=大山・秦野  昭文社=丹沢

  用:    渋沢~大倉             バス代\200

 

奥多摩/御堂指尾根~三頭山

  日:    2月3日(土)              日帰り

参加者:   冨重正樹(L),鈴木いつ子,佐野恵巳,松村佐代子,小澤美喜代,神之村均,笠原隆,澤田治之,輿水政子,岩井福治,清水加代子,横倉毅 計12名

  程:    3日(晴れ)立川6:39=奥多摩7:46/8:00=(バス)=小河内神社8:30/8:35~取付点9:20/9:25~(1072m)10:30~(1246m)11:35~縦走路に出る13:05~三頭山13:30/14:00~大沢山14:20~槙寄山15:30/15:40~西原峠15:42~仲ノ平16:35/17:07(バス)=武蔵五日市18:03

立川6:39発奥多摩行きに乗車、終点奥多摩から留浦行きのバスに乗り小河内神社で下車する。シーズンオフということもあるが先週の大雪で皆おじけづいたのか電車もバスも空いていた。ドラム缶橋を渡り湖岸の山道をたどるが、先行者のラッセルはあるが膝上までしっかり潜り先が思いやられる。

奥多摩道路に出て左へ上がっていく。「山のふるさと村」への道を分けヌカザス山北東尾根を廻り込んだ所がヨシスキ沢で橋を渡ってすぐの山側の石段が御堂指尾根の取付点、山に入ると既に膝上のラッセルが待っていた。斜面を這い上がり植林に囲まれた尾根に乗る。尾根に乗ってしまえばきれいに真っすぐ延びている尾根だから高みに向かってひたすら登れば良いのだが、うず高く積もった雪が巨大なバリケードとなって我々の前に立ちはだかる。最初は佐野さん、笠原さん、澤田さん、私のローテーションでラッセルを始める。尾根はすぐに林相の良い自然林となりずっと続いている。右側が植林になると広い1072mに着く。ここからやや右目にルートを採り尾根に乗る。注意を要するのはここくらいだ。この付近だけは赤テープがうるさいくらいある。一時伐採後の灌木がうるさいがすぐに手入れの行き届いた植林の尾根を小さな上下を繰り返す。登りにかかると一気に斜度は増し、雪は深さを増し、足場も悪く苦労は倍増する。神之村さん、横倉さんにもローテーションに加わってもらうが、ちっともラチがあかず、かたつむりのような歩みとなる。1246mの手前くらいから尾根の左側が所々伐採され御前山や大岳山、石尾根が雪化粧して美しいのだが、もう誰も眺めを楽しむ余裕はない。ちなみに伐採地は吹き溜まりで一層雪は深い。小平地の1246皿から上は交替のピッチは3分、2分と短くなっていき、ひたすら雪の中でもがく。いっしか自然林となった尾根を御前山からの尾根を目で追いながら格闘は続く。最後の最後でついに男性群ダウン?松村さん、清水さんの力まで借りてなんとか縦走路に出る。目の前に現れたラッセルされた縦走路が開通したばかりの高遠道路に見えたのは私だけか。「高速道路」をたどって三頭山に着く。既に13時半、ドラム缶橋からの一般道にラッセルの跡が無かったこともあって予定変更、西原峠から数馬へ下ることにする。天気は最高、風もなく、雪山であることを忘れさせるような一日である。西原峠への道は一般道ということもあってラッセルの労はないが皆ダメージが大きくささやかな登りも堪える。西原峠から数馬(仲ノ平)への峠道は北面ということもあって雪が深くなるがサラサラなので却ってピッチは上がる。仲ノ平からバスで武蔵五日市に出て解散する。お金をかけて遠方へ行かなくても近場で雪山はタップリ楽しめます。ラッセルに御協力いただいた方々に感謝。

地形図:    20万=東京 2万5千=奥多摩湖、猪丸 昭文社=奥多摩

  用:    奥多摩~小河内神社 バス代\500

仲ノ平~武蔵五日市                バス代\910

 

上高地スノーハイク

  日:    2月10~11日(土~日) 前夜発一泊二日

参加者:    林徹(L),中村精,小原紀子,小澤美喜代,梅澤文子,木村真知子, 冨重正樹,河崎正道,矢澤孝二,

小野恵子,宮澤恵子 計11名

  程:    10日(曇り、小雪が舞う)八王子7:30=松本9:38/9:50=(タクシー)=沢渡10:50/10:57=(タクシー)=釜トンネル入口11:10/11:30~出口11:50/11:53~大正池12:30/12:45~中ノ瀬園地13:45/14:35~河童橋15:00/15:05~~大正池15:53/16:00~釜トンネル入口16:45/17:05=(宿の車)=沢渡17:15

11日(朝は晴れ、後雪)沢渡8:15=(宿の車)=中ノ湯ゲート8:37/8:52~中ノ湯9:35~10号カーブ10:15~下山を始める11:43~10号カーブ11:58/12:30-中ノ湯12:41/13:00~釜トンネル入口13:42/13:52=(タクシー)=沢渡=信州会館(一浴、打ち上げ)15:00/17:40~松本18:31=八王子20:36

特急スーパーあずさで松本へ。タクシーで沢渡温泉のペンション「しるふれい」へ寄り、スノーシューを借り、不要な荷物を預けて、釜トンネル入口まで入る。分厚い氷の壁が入口の外側に見え、川の対岸の岩にはつららがたくさん下がっているのが見える。身支度をしてトンネルを歩く。とげのようなつららが下がっている所はあるが、蛍光灯が付いているので懐中電灯は不要。出口辺りから林道工事をしていた。小雪が舞う中を歩く。雪の中に埋まって看板の上の方だけが見える。ホテルの横から大正池のそばに出る。ここから、スノーシューをつけ、遊歩道を歩く。雪の中に沈まないで歩ける。

林の中に踏み跡が見えるが、別の所でも歩ける。雪の上を快適に進む。プラスチック製のは軽い。ウェストン碑の分岐から少し先のあずま屋の中で、小沢さん特製のお汁粉を食べる。寒いので心も体も暖まる。そして川べりの道を歩いて河童橋へ。今日の予定はここまでなので写真を撮る。林道を歩いて帰るので、バスターミナルまでの間にスノーシューを脱ぐ。ここでも工事をしていた。スキーを担いだ集団や登ってくる人達とすれちがう。大正池のホテルの所で一休止。下りは早い。釜トンネル入口の所まで宿に迎えを頼む。入浴し、後発の木村さんを交えて夕食。ペンションなので、洋風で明るい。

翌朝、朝食後、白骨温泉へ行く木村さん小野さんを見送って、宿の車で中ノ湯入口まで送ってもらう。中ノ湯までの林道は雪掻きがしてある。行きも帰りも宿の送迎車が行き交う。中ノ湯の泊まり客が宿の裏手の方を散策している。ここからは雪の積もった林道をラッセルしながら進む二10号カーブまで行く。ここから焼岳への登山道があるはずだが、雪の中に埋まってしまっているのか、標識らしきものも見つからない。金網のない所を見当をつけて、富重さんが目の前の斜面を掻き登る。膝まで雪にもぐる。「三頭山はこれが5時間も続いたんだよ。」男の人達が先頭を交替してラッセルして道をつけてくれる。雪が降ってきた。腿ぐらいもぐる所もある。「ストックを横にしてこうしてやれば

もぐらない。」リーダーが道をつくりながら、ラッセルが初めての人に教えていた。上の方の木にテープが巻いてあるのが見えた。登りついた所にはスキーの跡もあった。雪の降り方が激しくなってきたので、ここで降りることにした。林道に戻って昼食。ザックから出した食料が無くなるハプニングがあったが、それは雪の中から出できて、一件落着。少し歩いて中ノ湯の裏を下ると近道になった。

予定より早いので、中ノ湯で電話をかけてタクシーの時間を早める。釜トンネルの入口から乗って、ペンションに寄って預けた荷物をもらい、信州会館へ。電車の時間まで賑やかに過ごす。街中は晴れていた。(中村 記)

地形図:    20万=高山 2万5千=焼岳、上高地 昭文社=上高地・槍・穂高

  用:    沢渡温泉/ペンション「しるふれい」              1泊2食                                 \9000

スノーシューレンタル1日             \1000

新宿~松本                                         あずさ回数券指定席\4610自由席\4190

松本~釜トンネル入口                            タクシー代                              \10000

信州会館                                            入浴代                                 \1000

 

道志/権現山北尾根(本部合同)

      217()             日帰り

参加者    澤田治之(CL),河崎正道(SL),松村佐代子(SL),輿水政子(SL),森田隆仁,小原紀子,小澤美喜代,

梅澤文子,笠原隆,清水加代子, 支部外28名 計38

      17(快晴)高尾8:00上野原8:25/8:40(バス)=初戸9:05/9:15~腰掛9:40/9:50~(1084m)-11:50/12:25~権現山13:25/14:05~雨降山14:40/14:50~初戸16:05/16:37=(バス)=上野原17:25

「一般向」とした所為なのか、支部外から30名以上の参加希望があったのには聊か驚いた。私としては、雪が付いたから結果的に「やや健」になったが、普通には「一般向」と思っていた。しかしもかかしもないが)0女、S女から云々「やや健」ではないか、との指摘を受け私なりに反省はしている。なので帰りに「反省会」を設けることとした。

それは兎に角、腰掛の奥の集落から鶴川に架かる橋と、更に尾名手川の工事中の仮橋を渡り、幸にしてあった雪の中のトレースを追う。暗い植林帯に向かうべきを左の鶴川沿いにトラバースしてしまい、支沢に出たところで右の急でちょいといやな岩混じりの603m峰のヤセ尾根に取付く。

葉の落ちた広葉樹林は明るく、快晴で風もなく気温も高めで頗る気分が良い。段々と積雪が増してきた頃、植林帯からの尾根に出合い(750m圏)、ここからはつぼ足のトレースが頂上まで続いていて大いに助かった。

ここまでの登りで足のつった人がいてペ一スが落ちる。その人の荷物を何も言わず、森田さん始め皆が分担してかっいでくれた。

1084m峰で中休み。トップとラストでは約20分の差がついた。1100mのピークを過ぎたあたりでラッセルを交代して貰う。笠原さんや若手の参加者にもお願いしたのだが、経験の少ない人はやたら張り切りすぎて一回でダウンしてしまう。これではラッセル要員にならない。

行手にこんもり盛り上がったピークが立ちはだかる。直登は急すぎるので、一旦左に50m程トラバースし、適当なところから真上目掛けて一気に突進する(夏道も同じ)。それでもかなりの急登である。

トレースのないところで斜面に立つと雪は腰を越えていた。ここのラッセルでベテランとそうでない人の差がつく。流石は笠原さん、ここを何なく突破してくれた。本当に頭が下がります。

この先はさして急登もなく、岩っぽいところも雪に埋もれて却って歩き易く、ちょっと登って権現山に着く。私の予定より30分遅れだった。快晴・無風の頂上は、富士山が目の前に神々しく、物理的に見える山は全て見はるかせた。差入れの菓子類をいただき、ラストの到着を待つ。30分弱で全員が揃う。

権現尾根には立派なトレースがあり、訳なく雨降山にきたが、手前の和見峠方面がよく踏まれていた。雨降山の北尾根にあたる玄房尾根のトレースを懸念していたが、ここにも上手い具合に「つぼ足」跡があったので、予定通りこれを下ることにする。

992m峰先、尾根がゆるく右にカーブするところの左側植林帯から腰掛に下る道は確認出来なかった。ほどほどの勾配で気持ちいい広葉樹の疎林帯を、鼻唄まじりで通り抜け、途中10分位の休憩(時間調整)をとったあと、フィナーレは広くて急な尾根を、雪を蹴散らしながらのダウンヒルは将に圧巻だった。

バスを待つ間、参加者の表情をそれとなくうかがったが、中には相当疲れた人もいたようだが、雪山のキビしさと楽しさをそれなりに味わえて貰ったと思っている。

 

道志/杓子山

  日:    2月25日(日)             日帰り

参加者:    中村精(L), 冨重正樹,岩井福治   計3名

  程:    25日(晴れ)高尾7:26=大月8:13/8:15=富士吉田9:01/9:16=(タクシー)=忍野八海9:31/9:40~お宮橋9:41~高座山入口9:50~鳥居地峠10:20~高座山11:00/11:05~オオサス峠11:50/11:55~杓子山12:30/13:00~オオサス峠~林道の途中13:50/13:55~不動ノ湯14:20~下吉田15:18/15:34=大月16:09/16:20=八王子17:20

青空のもと、春のようなポカポカ陽気の一日、大きな富士山を見ながら歩く。忍野八海は観光客で賜わっていた。富士の湧水を飲んでから、お宮橋から歩く。林道から凍った雪道。足跡がついているが、深く踏みぬくところもある。高座山までの道はよく多かれていて、標識もしっかりしている。鳥居地峠まで行くと、車で来た人に出会う。カラマツ林をぬけると、カヤトの原で、左の肩に少し雲がかかった大きな富士を背にして登っていく。ジグザグに上がる別の登山道も見える。カメラを設定している人に出会った辺りから尾根が急になるが、一気に登る。高座山(飯盛山)で小休止、ここは誰もいない。トレースのついた凍った道を北東に下って行くが、歩幅が合わない所もある。岩場を過ぎ、

送電鉄塔をくぐり、岩のある尾根を行くと、先行者に出会う。正面に杓子山が見えてくる。オオサス峠に下り休んでいると、登ってくる人達がいる。カラマツの中の道をジグザグに登って行く。下ってくるグループに出会う。最後の急登は、雪が溶けてぬかるみで滑る。降りてくる人のものすごい悲鳴に驚かされる。山梨百名山の標識のある、雪に覆われた杓子山の頂上は、30人近い人が昼食をとっていて賑やかだった。富士だけでなく、凍った山中湖や、御坂山塊、毛無山、八ケ岳も見える。昼食後オオサス峠まで戻るが、雪溶けがひどくなって、下りでもルンルン気分ではなかった。林道もしばらくは雪の道、陽が当たっていて暖かい。大明見発のバスは16時なので、下吉田駅まで歩いた。富士急

線の電車の中まで陽が当たっていて暖かかった。

朝、1時間30分遅くてよいし、700円安いので、御殿場からのバスにしたら、篭坂峠まで運転手さん、なぜかチェーンを5回も確かめていて、電車より早く着くはずが1O分遅れてしまいました。ごめんなさい。(バスは忍野入口を通るので、遅れた時を考えておかなくては、と思いました。反省です。)

地形図:    2万5千=富士吉田 昭文社=富士・富士五湖

  用:    富士吉田~忍野八海 タクシー代\2570

 

八ケ岳/赤岳

  日:    3月3~4日(土~日)    前夜発一泊二日

参加者:林徹(L),梅澤文子,神之村均,笠原隆,澤田治之,輿水政子,河崎正道,小梶昌弘,田島弘子,矢澤孝二,

関さん     計11名

  程:    3日:橋本22:30=(車)=美濃戸口(仮眠)2:00/7:00~美濃戸山荘8:10/8:20~行者小屋11:15/12:00~阿弥陀分岐13:15/13:25~赤岳13:50/14:05~阿弥陀分岐14:35/14:40~行者小屋15:15/15:30~中山展望台15:50/16:00~赤岳鉱泉16:20(泊)

4日赤岳鉱泉7:00~美濃戸山荘8:20/8:40~美濃戸口9:20/9:50=(車)=もみの湯(一)10:20/12:40=橋本16:50

3月2日(金)橋本駅22:00集合、一人時間に遅れたが全員揃って出発。

中央高速小淵沢ICを0:30に降り美濃戸口へ向かう。今年は雪が多いがノーマルタイヤで何とか美濃戸口に着いた。さっそくテントを張りテントの中で明日の天気と無事を祈って、寝付け薬を飲み始める。話がはずみ林支部長のブレーキで皆聞き分けよくおやすみなさい。寝る前に空を見ると満天の星。さほど寒くはない。2:00就寝。

3月3日(土)朝6:00起床めいめい食事を取り、テントをたたんで7:00出発。

天気はよさそう。最初はアイゼン無しでもよい。リーダーを先頭に美濃戸山荘へ向かう。30分毎に小休止を取りながら、行者小屋を目指す。雪がだんだん深くなり、トレースを外すと膝以上にもぐってしまう。行者小屋で昼食を摂る。地蔵尾根を見るがトレースが無く、リーダー判断で文三郎尾根を登ることになった。

夜行の寝不足がこたえ、文三郎尾根の途中から疲れが出てきて眠くなったが、傾斜がきつくなり、危険な所が出てきて眠気が吹っ飛び緊張感が走る。

阿弥陀岳、赤岳、横岳はだんだん迫り雄大だ。明日登ろうとする峰の松目もはっきり長い尾根をみることができる。ただ遠望は無く、遠く蓼科山がその特徴のある形良い姿を見せているが霞んでいる。

阿弥陀岳分岐で余力のあるグルーブは頂上を目指すことになり、上へと向かう。そうでないグループはそこで迫力のある山々を同定することにした。

(登頂者:笠原、澤田、河崎、矢澤、輿水、関の各氏に喝采)

未登頂グループは赤岳鉱泉へ向かう途中で中山展望台で雄大な眺めを楽しんだ。

今夜の赤岳鉱泉の泊り客は約40名といったところだ。

残々は例年通り個室(大同心)に泊まる。食前に、一杯、食後に一杯で20時就寝。

3月4日(日)朝5:00起床、外を見ると小雪がちらちら。天気が気になる。

朝食は5時30分からだ。しっかり朝食を摂ったが、6時のニュースでは山は大荒れ、午後から寒気が来ると言う。林リーダー、笠原さん、澤田さんの判断で降りることになった。心の中で良かったと思ったのは私だけか?

7:00に下山開始。下りは早い。9:20には美濃戸口に到着。帰り支度をして出発。久しぶりに本格冬山を楽しんだ。

例年のようにもみの湯へ寄り、山の疲れと汚れをきれいにして中央高速で家路へ。

来年もまたこよう。そして今度は峰の松目に。(神之村 記)

 

丹沢/大杉山(本部合同)

  日:    3月18日(日)  日帰り              晴れ       

参加者:    長江唯志(L),森田隆仁,笠原隆,澤田治之,河崎正道, 冨重正樹,小梶昌弘,田島弘子,小野恵子,

山本文夫,岩井福治,武末範子,清水加代子,  支部外21名           計34名

  程:    新松田8:06=中川橋8:44/54~戸沢ノ頭10:50/11:05~大杉山11:22/28~昼食11:52/12:15~ヤヒチ沢の頭12:55/13:07~950m13:19~玄倉川林道14:28/35~玄倉15:22/16:06=新松田16:50

リーダの体調不良のため板小屋沢の頭は割愛し、950m峰から玄倉川林道目指して下った。(澤田 記)

 

御坂/王岳~五湖山

  日:    3月24日(土)             日帰り

参加者:    小澤美喜代(L),林徹,佐野恵巳,清水加代子 計4名

  程:    24日八王子6:34=大月7:21/7:23=河口湖8:15=(タクシー)=根場8:45~鍵掛峠10:13~鍵掛10:40/10:50~王岳11:47/12:33~五湖山13:50/14:06~女坂峠14:35/14:55~精進15:30~赤池15:45/16:15=(バス)=河口湖16:47

一週間前の尾根筋の雪の状態を澤田さんに聞いたら、かなり残っているとの事、心配になったが、このごろ続いた暖かさのため少しは楽観もあった。

コースタイムは新ハイ誌の6時間半、昭文社の7時間、山と渓谷社の6時間10分、といろいろあるが、一番早い6時間10分を参考に組んでみた。鍵掛峠までは、ポカポカ陽気の中、かなり時間を稼いだ。稜線に出ると所々雪が残っていて、踏み抜くと膝までスッポリと潜る。尾根筋を南側に外れると歩き良い道が出てくる。王岳直下の薮はきれいに刈払いがされていて、難なく頂上に着く。昼食中、林さんの携帯電話を借りて反対から登ってくる予定の佐野さんの友達(男性3人)と交信してみる。頂上直下まできているのであと15分位との事、待ってみるがなかなか現れない。頂上直下の雪は多いが心配していた薮がない、との情報をもらって下り始める。急斜面は雪が多く滑りやすいので、トップの佐野さんに引き離されるが、慎重に下る。

雪は所々出てくるが、何処までも薮は刈払われていて快適に下る。1465のピークも、ヨコ沢の頭も、それとはっきりわからないまま、いくつかピークを越え振り返ると、王岳の雄姿がすばらしい。五湖山を越え、女坂峠に早く着いたので、時間調整の休憩をとる。

バス停で時間待ちももったいないので、赤池まで歩く。16時15分のバスに乗ると河口湖着が16時47分で、電車が16時46分発、普通電車は出てしまっているので、どうしても200円払って特急に乗らなければならない。200円儲けるための会社の方針だろうか。

 

 

上州/コシキノ頭・木戸山

  日:    3月24~25日(土~日) 前夜発一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),小原紀子,輿水政子,河崎正道   計4名

  程:    24日(快晴)橋本22:53=(車)=青梅IC=渋川伊香保IC=日向見1:43/6:00~摩耶ノ滝分岐6:35/6:45~取付点7:10/7:15~(1537m)9:35/9:50~コシキノ頭10:25/11:00~(1537m)11:25~取付点12:50/12:55~摩耶ノ滝分岐13:25~日向見13:55/14:18=(車)=四万温泉14:26(民宿泊)

25日(曇り)四万温泉5:58=(車)=小倉沢林道入口6:06/6:15~取付点6:30~信行7:40/7:45~(1342m)8:25/8:35~(1552m)9:30/9:35~木戸山10:35/11:00~(1552m)11:40/11:45~(1342m)12:15/12:20~信行12:45/13:00~取付点13:30~小倉沢林道入口13:45/14:04=(車)=小野上温泉センター(一浴)14:51/16:15=渋川伊香保IC=青梅IC=橋本20:29

23日夜、橋本駅に集合、河崎さんの車で一路四万温泉へ。途中上里SAで小休止の後、四万温泉最奥の日向見の駐車場に到着、5時まで仮眠をとる。朝起きてみると予想に反して雪はほとんど見られない。雪が無ければ登れないことは一昨年の支部山行で実証済みなので不安は隠せない。日向見の温泉街を登っていくと行く手にコシキノ頭が天を突いている。稜線上は真っ白なのでどこから雪が出てくるかだ。バイパスを横切って摩耶ノ滝への遊歩道に入る。軌道跡を利用した遊歩道は摩耶ノ滝分岐までは広い道だ。分岐から「立入禁止」の標識を跨いで細くなった山道をたどる。2本沢を横切り、3本目の沢を渡った所が取付点だ。尚、2本目の沢は対岸の道が見つけにくいので要注意。笹薮の急登が始まる。しかし一昨年に比べて薮が薄くなっているような気がするのは自分だけか。一時笹が切れるが再び笹薮、1160m付近の平坦地の手前からうまい具合に雪が出てくる。この先の急斜面もうまく雪を拾っていけば薮漕ぎは少なそうだ(全く免れることは無理だが)。平坦地からは木戸山への稜線が見える。急斜面の登りは取付付近は笹薮で苦労するが、笹がまだ寝ているので踏みつけて登れ、高度を稼げる。上部では残雪が連続するようになり、左に見える小尾根にのって1400m付近の小平地に登りつく。広い緩やかなプナ林の雪尾根を登り、だだっ広い1537mの稜線に着く。ここは地形図通りの大雪原だ。左奥には樹林越しにコシキノ頭が見える。ここで左折、どこでも歩ける広い尾根なので1537mを巻いて栂の交じるブナ林を肩へ登る。ここでまた左折、はっきりした尾根を南に張り出した雪庇に注意しながら進みコシキノ頭への最後の急登、短いが本当に急で顔を出している笹に掴まって這い上がる。5~6人も立てば一杯になる狭い頂上は絶景、白砂山から三国峠、そして谷川岳への国境稜線が白銀に輝き連なる様に言葉が出ない。山名板がある。頂上から木戸山への尾根が続いているが直下が急でここが下れるかどうかが問題だ。往路を戻る。1400mからの下りはトレースが無ければ判断の難しい下りだ。渓谷道を日向見に戻り、車を宿の前の駐車場に置いて蕎麦屋で打ち上げ。宿に入り温泉につかれば、昨日からの睡眠不足もあり早い就寝となる。

2日目、天気予報は良くないが高曇りなのでとりあえず行ける所まで、と出発する。どうも皆、コシキノ頭が目的だったようで今日はイマイチ力が入っていない様子だ。六合村へ向かう林道に入り小倉沢林道の入口にある駐車場に車を止める。「小倉ノ滝」の標識に従い林道に入る。前方に伐採された斜面が見えてきたら右に上がる古い林道に入る。すぐに終点になり伐採地を登っていく山道に入るとまもなく右へ巻くようになる。植林が切れた所から山道を捨てて斜面を登っていく。緩くみえる斜面もいざ登ってみると急だ。自然林の尾根は、多少枝が張る所はあるが薮はない。小笹が出てくるようになると尾根も広くなり、右折して緩く登った所が信行の頂上だ。といっても単なる尾根上といった感じで頂上らしくない。3等三角点がある。ここから笹の茂った尾根を行く。踏跡は見られないが密生もしていないので歩行に支障はあまりない。1342mへの登り辺りから雪の上を歩くようになる。

左折して緩く登った所が1342mで南側に雪庇が出来ていてその下は青々とした笹の斜面、晴れていれば浅間山等の展望が良い所だ。ここから北側はブナと栂の混生林、南側は残雪と笹の斜面となる。概ね残雪の上を歩けるが雪が少ないせいか所々笹を漕ぐ所もある。1410m圏への登りはやや左側の広大な雪の斜面を快適に登る。1410mから1552mへの登りにかかる間は雪が薄く、踏み抜きが多い。右に広い雪原を見て1552mへ急登、これも広い斜面に自由にルートをとって登る。1552mから緩く下り木戸山の肩(1742mからの尾根との合流点)へ長い登り、ずっとまとわりついていたガスがようやく切れ始め周囲の雪山が見え隠れするようになる。木戸山の頂上は合流点からもう少し奥へ行った所、左にダケカンバの若木帯を見て上がった広い高みが頂上、樹林に囲まれ展望はあまり利かない。コシキノ頭と同じ山名板がある。場所を選ぶと白砂山の真っ白な姿が望める。帰路はガスがなくなり高曇りの下、コシキノ頭や稲包山、高田山、相ノ倉山等の展望を楽しみながら下る。車に戻り小野上温泉センターで一浴後、関越道に乗る。高速道路に入った辺りから雨が降り出す。低気圧が南にずれてくれたことに感謝、途中渋滞で少し時間がかかったが8時半に橋本に帰り着く。河崎さん、運転御苦労様。おかげで今年も残雪の山を楽しみました。

地形図:    20万=高田 2万5千=四万、野反湖

  用:    四万温泉/民宿中村屋              1泊2食付  \7500(税込)

小野上温泉センター                  入浴代     \400(2時間)

 

道志の山縦走(本部合同)

  日:    4月1日(日)              前夜発日帰り

参加者:    佐野恵巳(CL),高木彰(SL),小澤美喜代(SL),松村佐代子,冨重正樹,笠原隆,清水加代子,支部外3名      計10名

  程:    1日(晴れ)上野原0:05=(タクシー)=奥牧野0:15/0:25~(ロス30分)~綱子峠2:12/2:24~入道丸3:00/3:05~ムギチロ4:00/4:07~厳道峠4:30/4:45~御牧戸山5:30/5:40~長尾6:08~赤鞍ケ岳7:28/7:48~朝日山8:47/9:01~本坂峠10:00/10:05~ブドウ岩ノ頭10:14/10:21~菜畑山11:20/12:08~曙橋13:27/13:44=(バス)=月夜野14:16~14:40=(バス)=三ケ木15:26/15:30=(バス)=橋本16:20

パソコン通信を使って、山渓山岳情報を取得した。3月29日相模原では雨だったが山では雪だっただろうと思って、塔の岳や高尾山の状況を見ると、山も雨だったと書かれていた。3月31日相模原は雪が降っていたがぜんぜん積もらない。この分なら道志の低山の雪積はたいした事はないだろうと考え、山行を実施することにした。

上野原駅前でタクシー3台に分乗して、奥牧野バス停前で降ろしてもらった。綱子川沿いの細い舗装道路を歩いて、綱子集落の外れで林道に入る。

林道終点まできておかしいなと思いつつ、積雪で踏み跡の見えない林に分け入った。下り斜面になって、これは間違いだとはっきりした。急ぎ引き返し、さっきの舗装道路から林道に入って50m程のところで左に上がる山道があり、背丈よりかなり高い位置に標識がつけられていることがわかった。

下見で歩いた時には迷わなかった分岐だったが、その慢心と、積雪と、夜の闇とで時間の浪費と体力の消耗を招いた。メンバーの皆さんには大変申し訳ないことをしてしまった。ロスタイムは30分。15Hの歩程を考えると、無意味な体力の消耗は、精神的なダメージも大きい。

また、遅れを取り戻そうとペ一スを上げた。雪道の上り下りに強い人も弱い人もあり、先頭と最後尾の間隔がだんだん開くようになっていった。

しかし、たとえ多少強くとも、無雪路に比べれば、一歩一歩のエネルギーロスが大きいことは否めない。皆だんだん疲れがたまってきたようだ。

積雪15cm。低山とはいえ長距離歩行で体力を消耗した。予定を切上げ、菜畑山から下山した。

この山行でよかったことは、夜空に星や星座がきれいに見えたこと。厳道峠から御牧戸山へ登る途中で日の出が見えたこと。新雪で再び真っ白になった富士山が一日中見られたこと。雪をかぶった丹沢、奥多摩、奥秩父、南アルプスの山々が冬枯れの木々の間に見えたこと。菜畑山までは誰にも会わず、私たちだけの山だったこと。積雪15㎝だったのに、4月の陽光と気温で急速に雪が減っていくのがわかったこと。

 

伊豆/登り尾と無名峰のヤブコース(桜尾根)

  日:    47日~8日(土~日) 一泊二日

参加者:    長江唯志(L),梅澤文子,河崎正道,松井利夫,小野恵子,宮澤恵子,浅見弘光,支部外2名 計9

  程:    7日伊東9:42=河津10:32=登り尾登山口~登り尾山頂12:45/13:15~登山口=河津=伊東(泊)

              8日伊東=(タクシー)=冷川峠~467㍍P~539㍍P~404㍍P~松川湖=(タクシー)=伊東

伊東9:42-河津駅10:32-登り尾バス停10:50に着く。ここから舗装された林道を約30分歩く。林道が右に急カーブする所が登り尾への登山口である。指導標もテープもない。左側への踏み跡を見落とさないように、と聞いていたのと、あとは地図とヤマカンでの判断である。ここから植林帯であるが、直登する。踏み跡はたくさんあるが、まともな登山跡はないので直登である。約20分登ると踏み跡がまとまり、1本のものとなったので、それに従ってじぐざぐに登る。標高900㍍付近で植林帯もきれて潅木帯となる。

標高900㍍の付近で10分の休憩をとり、また歩き始める。左側が切り立った草つきの踏み跡を

足元を崩さないように、指導標もテープも一切ないので、踏み跡を頼りに、高いほうのみを目指して登る。ヒメシャラの林が現れ、まもなく山頂に着いた。12:45であった。付近は小潅木の木でさえぎられて眺望はきかないが、北東側が少し開けており、天城の万三郎岳がよく見える。山名標はないが、「登り尾」と書かれた缶のフタが木に打ちつけられてあった。

平らな雰囲気のある山頂である。

13:15に出発する。登るときは山頂ばかり目指していたので気づかなかったが、山頂直下付近はアセビやヒメシャラの林相が美しい。踏み跡を頼りに、左へ左への感じでくだる。自分たちの歩いた踏み跡なので安心して歩ける。薄暗い杉林の中をくだり、20分ほどで舗装された今朝の林道へ出た。林道をじぐざぐにくだり、バス停に着く(14:20)

7日は「ホテル松井」が宿泊地である。湯量のなみなみとする温泉へつかり、商店街で仕入れた魚で一杯やる。山頂時とともに至福のときである。ゆっくり眠った。

8日は3つの尾根を別々に登り、尾根が合わさる所で合流する3組の集中登山方式とした。従って登山口が各々違うので、3人ずつ3台のタクシーに乗り出発した。1組:長江、河崎、西本、2組:松井、小野、梅澤、3組浅見、宮澤、貴家。

ところが第1組の登山口である冷川峠に行くタクシーが停まった場所はバス停の冷川峠であって、私たちは見たこともない場所だった。私の指示したのは旧冷川峠で、峠そのものだったが、気がついたときは、タクシーは行ってしまった。何年も登山していて、こんなうかつなことは初めての体験である。で結局、予定の桜尾根の1本東側の尾根を時間をかけて歩き、3組が合流する集中登山を成功させることができなかった。他の2組は予定どおりの尾根を歩いた。私たちは何とか松川湖畔におり、そこで3組全員が顔を揃え、タクシーで伊東駅へ向かった。再度リベンジしなければならないという思いが強い。

 

大菩薩/大久保山~大谷ケ丸

  日:    4月8日(日)              日帰り

参加者:    冨重正樹(L),小原紀子,松村佐代子,神之村均,前田省吾,澤田治之,岩井福治,清水加代子 計8名

  程:    8日(曇り後晴れ)立川6:43=大月7:40/7:43=(タクシー)=間明野7:58/8:00~切目峠8:15~大久保山9:25/9:40~岡松ノ峰10:10/10:20~小沢ドウミ10:35~(1447m)-11:15/11:50~ホリヌキドウミ11:55~縦走路に出る12:25/12:35~大谷ケ丸(南峰)12:50/13:05~大谷ヶ丸北峰13:15~(1489m)13:45/ 13:50~(1387m)14:05~大蔵沢林道14:30~やまと天目山温泉(一浴)15:20/16:28=(タクシー)=甲斐大和16:40

立川6:43発甲府・河口湖行きに乗り、大月からタクシーで桑西の手前の間明野まで入る。切目沢に沿う林道を登り終点から山道に入る。狭い切目峠には馬頭観音が祭られている。峠で右折、急な尾根を登っていく。890mのピークで左折、923mの平坦地を過ぎると大久保山まではおおむね急登が続く。

大久保山は樹林に囲まれた静かなピーク、3等三角点がある。少し西へ行くと送電鉄塔があり、行く手には岡松ノ峰がきれいな三角形に見える。右折して急降下、鞍部から笹の生えた樹林の尾根を急登、途中かなり険しい所もある。狭い岡松ノ峰から少し進み、緩やかに左折する。小沢ドウミまでは笹が刈られて迷うことはないが、刈った笹がそのまま放置され滑りやすいことこの上ない。林道が乗り越す小沢ドウミから笹が繁茂する薄暗い樹林の尾根を登っていく。ルートは笹薮に隠れがちになる。

1447mには「ホリヌキドウミ」の表示板がある。ホリヌキドウミはこの先の鞍部のはずだがホリヌキドウミヘの下りは尾根のやや右側を巻いて下るがザレていて注意が必要だ。えぐり取られたようなホリヌキドウミから南大菩薩の縦走路へは手足フル回転の急登、途中にはイワウチワの群落があり花期にはさぞかしと思われる。縦走路に出た所には「ホリヌキドウミ入口」と書かれた赤テープがある。

縦走路を大谷ケ丸へ、頂上は西の一角の木が刈られ快晴なら南アルプスがよく見える。大蔵高丸への縦走路を少したどり右へ巻き始めたら正面の北峰に向かって笹の尾根を登る。北峰は笹もなく自然林の気分の良いピークである。ここから北へ少し下ると1ケ所短いが嫌な岩場がある。1530m付近の平坦地は自然林の心地よい所だ。この先はおおむね笹の繁茂した尾根で上部では踏跡もうすい。笹と樹林がうっとうしい1489mから尚も下る。1400m付近から左折して1387mへの尾根に乗るのだが、ここは正面(北)へ延びる尾根の方がはっきりしているので要注意、まあ正面の尾根を下っても米背負峠道に出ると思われるが。狭い1387mからまもなく植林との境目を下るようになる。正面に林道が見えてきて1210mの平坦地で右折、枝が張ってうるさい尾根から土の堰堤状の所(ここも法面になるのだろうか)を下って大蔵沢林道に降り立つ。周囲は法面だらけで尾根を間違えると最後林道に降りるのに苦労する。大蔵沢林道を下り、上日川峠への車道に出たら右折、天目トンネルを抜けると、「やまと天目山温泉」がある。ここで薮ほこりと汗を流してタクシーで甲斐大和に出る。

ちなみにこの山行、7日(土)の予定だったが、係が天気を見誤り日にちを変更したため、参加できなくなった人が出てしまいました。7日は快晴、申し訳ない限りです。

地形図:    20万=甲府 2万5千=大月、笹子  昭文社=大菩薩連嶺

  用:    大月~間明野                                      タクシー代  \2730

やまと天目山温泉~甲斐大和                  タクシー代  \2470

やまと天目山温泉                                 入浴代     \700

 

 

大菩薩/恩若峰

      415()             日帰り

参加者:    中村精(L),木村真知子,安瀬はる江             計3名

  程:    15日八王子6:34=塩山7:57/8:05=(タクシー)=上日川峠8:30~砥山峠9:13~林道~すずらんへの分岐9:25~山道10:05/10:25~下日川峠10:30~源次郎岳分岐10:40~源次郎岳10:55/11:07~源次郎平11:40~恩若峰13:25/13:25~林道14:45~塩山(一浴)15:15/16:48=八王子18:13

塩山からタクシーに乗ると、山麓の畑はピンクの桃の花やスモモの白い花が咲いていた。上日川峠へ近づくにつれて大菩薩の山には雪が見えた。林道の端にも解け残っている雪があった。上日川峠に着くと何人かの人がいた。山の斜面に雪があるためか寒かった。日川尾根の道は笹の中の細い道だった。斜面には雪が白く見えるが、歩く道にはあまりない。緩やかな登りで砥山を越え林道を行く。30分くらいカラマツ林の中を歩いて右側のぼさぼさの中の道を探すが、雪が積もっていることもあって入り口が見つからないので林道を行くことにする。パラボラアンテナが見えたので右側の林道を進むと、尾根から下る道があった。そして薮の中に入り口が見つかったので行ってみると、はっきりとした道が続いていた。

源次郎岳へは嵯峨塩鉱泉との分岐から細い尾根道を登り下りしていく。三角点があり、山梨百名山の標識も立っている。ここで休憩後、枡岩の南側を下ったが、滑りやすく北側の岩を下った方が楽のようだった。ここの岩場を過ぎると、後は藪もなく、尾根が右左に揺れる道だった。12時になったので昼食。恩若峰へは手前に隈笹は出てきたが、藪もなく、あっけなくに着いてしまった。ここには2等三角点がある。下りは春蘭の群生している所があって、たくさん採った。ここ辺りの方が、カヤや木の枝が伸びていて歩きにくかった。ボケや桜の花も咲いていた。時間が早いので、宏池荘で入浴して帰った。

 用:    塩山~上日川峠                     タクシー代  \4800

塩山温泉                              入浴料     \300

 

中風呂~麻生山

      421()             日帰り

参加者:    佐野恵巳(L),森田隆仁,小澤美喜代,高木彰,清水加代子,長嶋さん,佐々木さん   計7名

  程:    21日(雨)猿橋8:30/8:46=(バス)=中風呂9:17/9:30~西原峠10:48/11:00~(1165m) 11:28~(1226m)11:48/11:55~北峰12:20/12:55~尾名手峠13:12~麻生山13:20/13:23~分岐(を通り過ぎて戻る:ロスタイム20分)13:51~長尾根(休憩)14:34/14:47-富岡15:38/16:02=(タクシー)=猿橋16:15/16:56=高尾17:45

家を出る時は雨は降っていなかった。中央線の車窓から見える山々の頂は皆、雲の中。山上で霧に濡れながら歩くことになる予兆であった。

中風呂バス停で降りたら雨が降っていた。雨貝、ザックカバーをつけてから出発。ゆっくり歩く。

西原峠にはカタクリが群生していた。雨のため花は皆閉じていた。西原峠から尾名手峠までヤブを覚悟していたのに、ほとんどヤブはなかった。刈り払いされていて歩きやすかった。

北峰から尾名手峠あたり、ヒカゲツツジが咲いていた。狭い尾根で数パーティとすれ違ったことから、天候が悪いのに意外なほど入山者がいるという印象を受けた。ヒカゲツツジが咲く時期をねらって入山しているのだろうか?

北峰、麻生山ともに先行パーティが休憩していた。新ハイ誌でもあまり取り上げられないコースだと思うが、なぜ入山者が意外に多いのだろうと、また思う。

鋸尾根を下る予定だったが、鋸尾根には多少岩場があり、雨の中の岩場の下降は滑りやすいだろうと考えて、ルートを変更して岩場のない長尾根を下ることにした。ところが、うっかりして長尾根への分岐点を通過してしまい、権現山ルートに入ってしまっていた。おかしいと指摘されて気がつき、引き返したがロスタイム20分。

長尾根はヤブっぽい。イカリソウが咲いていた。富岡バス停ではバス待ち時間が長いのでタクシーを呼んでもらった。雨は止んでいた。

  用:    富岡~猿橋             タクシー代\2890

 

丹沢/鳥の胸山(てんぷら山行)

  日:    4月22日(日)             日帰り

参加者:    L林徹、長江唯志、ほか             計14名

  程:    橋本7:40=唐沢8:50~9:20-鳥の胸山11:00~11:30-道の駅12:40=道志の湯13:30~15:30=橋本17:30

雨天予報のため、てんぷらはやらず。タラの芽は麓でOK。上のほうは早かった。

 

ランタンヒマール ヤラ・ピーク

  日:    421日~57 17日間(山中10)

参加者:    L松井利夫,松村佐代子,梅澤文子,澤田治之,輿水政子,河崎正道,矢澤孝二,

アルパインツアーガイド松本伸夫  8

  程:    21日成田空港11:00=(航空機)=バンコク国際空港15:35/16:35(タイ時間)=ラマ・ガーデンホテル16:50

22日ラマ・ガーデンホテル08:00=バンコク国際空港08:20/10:30=(航空機)=カトマンズ国際空港12:30/13:15(ネパール時間)=エベレストホテル13:25

23日エベレストホテル06:00=カトマンズ国際空港06:10/06:40=(ヘリコプター)=ゴラタベラ07:05/(09:30THANGSHYAP10:55/11:30~ゴラタベラ12:25)

24日ゴラタベラ08:30~休憩9:20/30THANGSHYAP10:00/10:30~休憩12:15/25~ランタン村12:50

25日ランタン村08:50MUNDO(小学校)09:35/50~休憩10:25/40BUDDHA(茶店)11:25/50~キャンジンゴンパ12:30

26日キャンジンゴンパ09:00~休憩10:35/45他~キャンジンピーク10:55/11:30~キャンジンゴンパ12:25

27日キャンジンゴンパ09:00~渡河点09:45/10:00~休憩10:55/10:1011:50/12:00~ティキャプサ・カルカ12:15

28日ティキャプサ・カルカ09:00~休憩9:40/5011:25/35~ヤラ・カルカ11:20

29日ヤラ・カルカ04:05~アイゼン装着04:55/05:05~休憩05:40/50~小ピーク06:35/45~トラバース手前07:10/20~岩稜上08:00/10~休憩2回~ヤラ・ピーク10:20/40~昼食11:15/35~休憩12:50/13:05~ヤラ・カルカ13:45

30日ヤラ・カルカ08:55~ティキャプサ・カルカ上09:50/10:00~休憩10:40/55~キャンジン・ゴンパ11:50

1日キャンジン・ゴンパ08:50=(ヘリコプター)=カトマンズ空港09:10/20=エベレストホテル09:30

2日エベレストホテル06:10=ナガラコット07:10/09:30=スワヤンブナート11:30/12:20=昼食13:40/14:10=バクタプル14:30/15-30=エベレストホテル16:30

3日カトマンズ滞在

4日エベレストホテル10:00=カトマンズ空港10:20/13:50=(航空機)=バンコク空港18:20/19:00(以下タイ時間)=ソル・ツインタワーホテル19:35

              5日バンコク滞在

              6日ソル・ツインタワーホテル19:00=バンコク空港19:35/00:30

              7日=(航空機)=成田空港07:50(日本時間)

 21()晴天                      

町田からのリムジンバスで出発。土曜日なので渋滞もなく、予定より早く成田着。メンバーも続々到着。アルパインツアーのリーダー、松本さんと合流して出国手続きをする。共同装備として樽が2個、いよいよ遠征するという気持ちの高揚を覚える。

タイ国際航空TG641便は定刻で離陸した。機内で昼食を取り、時差2時間を調整して6時間半のフライトを終え、バンコクにほぼ予定時刻に着いた。

入国手続き後外に出るとそこは真夏の世界。夕方なのにムッとする湿った空気が熱帯の国へ来たことを教えてくれる。現地案内のリーさんと合流。本日の宿、ラマ・ガーデンホテルに向かった。

夕食は市内の中華料理店へ。味付けもよく久しぶりに飲んだビールに程よく酔う。ホテルに戻ってシャワーを浴びて22時ころベッドに入る。

22()晴天

6時に目が覚めた。良く寝た。630分にモーニングコール。カーテンを開けたら、ちょうどタイの日の出に遭遇した。シャワー後7時から朝食へ。バイキングの味付けがおいしい。不思議な果物はマンゴの若いものだそうだ。

8時にホテル発。すでに外は蒸し暑い。休日なので道路も順調に空港に着いた。出国手続きをして、duty freeをしばらく見ていた。

TG319は定刻発。一番後ろのシートで、トイレに行く人が列を作ってせわしない。

時計を1時間15分調整して3時間15分のフライト。予定より少し早くカトマンズに着いた。窓からの景色では、意外に緑が多かったが、ヒマラヤの山々は見えなかった。カトマンズ、日差しは強いが風はさわやかだ。

しかし空港の施設からしてバンコクとは大違い。薄暗く、ボロい。電気も半分しかついていない。荷物がなかなか出てこないので心配してしまった。

またまた松村さんのバッグが調べられてから外へ。チップ目当ての若者たちが荷物を載せたカートを押させてくれと寄ってくる。要求を無視して迎えのバスに乗り込み、エベレストホテルまでは10分ほど。古いつくりのホテルだ。休憩後、市内へ出る。(15:00-16:45)

中心地は人、人、人。その間を走りぬける車、バギー、バイクそして自転車。立ち上る塵。立ち込める黒煙と異臭。道端に座り込んで苺、その他の果物、わけのわからないものを売る人々。全身皮膚病の物乞いの男。雑踏の中に倒れたままで動かない少年・・・・・・・。

この光景は何なんだ。こんなに多くの人々、彼らは一体何をしているんだ。種々な人種、初めて聞く言葉、初めて見る文字、初めて目にするモノ、モノ、モノ・・・・・・。今にも倒壊しそうな、軒を連ねる店。その小さな間口いっぱいにあふれ返る雑多なモノたち。

何百年も前のラマ教の寺院、旧王宮、生き神様の少女が住む家。その木造の家に細かく穿たれた仏教、ラマ教の仏たち。そういった文化的な価値など、彼らにとってはまったく眼中にないのだ。そう、彼らがめざしているのは、今日を、今を生きることだけなのだ。

山用品店で大きなバックカバーを買って、小さな店でミネラルウォーター1L15ルピー(25)を買う。

帰りはタクシーの助手席で、生きた心地がしなかった。(100ルピー)

夕食は19時からホテル7階のレストラン。焼売のほかナベとしゃぶしゃぶのあいのこのようなものだった。窓から見る夜の市内は明かりがポツリポツリ。夜は外も静かになった。

23()快晴

5時起床。明け方は外で犬の遠吠えが響いていた。荷物を部屋の外へ出してレストランへ。今朝もバイキングだが、早朝なので食欲が進まない。

ホテルに預ける荷物を置いて6時に出発。国内線のターミナルへ。こんな早朝からすごい人だ。並んで手荷物チェックを受け、中に入る。すぐフライトに呼ばれた。9人乗りのチャーターヘリ。荷物を載せると8人でいっぱいだ。

プロペラが勢いを増して離陸。あっという間にカトマンズの街を見おろすようになる。行く手に白い峰々が見えてきた。初めて見るヒマラヤだ。どんどん近づいてくるあの峰は7000㍍峰という。いかにも神々の山だ。

ヘリは峠を越えて谷に入る。これがランタン谷か。U字谷を形成する緑豊かな谷あいに高度を下げ、ゴラタベラに着いた。ここはもう3000㍍、いよいよヒマラヤの入口になる。

サーダーほかシェルパが合流。サーダーはニール・ク・マールという大柄の男である。

ヘリポートから少し戻ったところがロッジのあるゴラタベラのテント場。シャクナゲが花盛りで、すぐ下にランタン谷の流れを見おろす快適なサイトだ。しかし地面のあちこちにヤクや馬の糞が落ちている。注意しないとすぐに踏んづけてしまう。でもこのキャラバン最後には気にならなくなったなんて、慣れはすごい。

今日2回目の朝食後9時半に出発して、高度順化のため明日のコースを少し往復する。

両側にシャクナゲの群落。赤やピンク、白の花々は日本と同じだけれど、木が大きい。

行く手には白い峰。ランタンリルンの一峰、地図からするとランタンⅡか。あれで6500㍍もある山なのか。ゆっくりゆっくりと進む。すばらしい天気だ。

標高3200㍍のTHANGSHYAPという集落が今日のハイキングの目的地。ここの茶店でお茶にする。もうここは北岳よりも高いのだ。日本では富士山でしか体験できない高度にすでに入っているのだ。200ルピーのお茶を飲み、下ってきた長崎のパーティーに挨拶して戻る。

下りも幾組ものパーティ、ポーターとすれ違う。ヨーロッパ系、特に若い女性が目立つ。

12時半にはゴラタベラに戻って昼食、その後はゆっくりと過ごす。15時にtea18時半から夕食。カレーやサラダがおいしい。

キャラバンに同行するシェルパたちの紹介があった。クライミングシェルパはサーダーを含めて4人。料理関係はコック長のほかキッチンボーイ等4人。ポーターはやはり身分が違うのか紹介されなかったが12-3人はいるようだ。メンバー7名が総計30名近くになってのキャラバンが明日から始まるのだ。20時就寝。1日目のテントは結構寒かった。

24()晴れのち曇り

morning tea 6:30、洗面器にお湯を入れてキッチンボーイが配って回り、朝が始まる。6時の気温、0℃。テントの中5℃。7時半朝食。現地のラーメンだがおいしい。

今朝も快晴。ランタンリルン頂稜の雪煙に朝日が当たっている。

ポーターには17歳くらいの女の子が2人いる。こちらが朝食中出発しないで時々こちらを見ていたのは、そうかこのテープルとイスを運ぶためわれわれが終わるのを待っていたんだ。その女の子もダッフルバックを2つにそのイスなどを載せて、大体25㎏くらいか。でも足はビーチサンダル。笑いこけていて屈託がない。

8時半出発。ゆっくりゆっくり歩いていく。昨日来たタングシャル(THANGSHYAP)では今日は上の茶店でお茶を飲んだ。風は爽やかだ。

その先、次第にU字谷が広くなる。シャクナゲが急に少なくなった。今日は昨日に比べて雲が多い。途中何回か休んでいるポーターを追い越し、また抜かれていく。

行く手に常念に似た雪山が見えてきた。ツェル・ゴ・リだ。リとは丘を指す意味だそうだ。

もうすぐランタン村という頃、キッチンボーイがホットレモネードをやかんにいれて戻ってきた。飲みながら休憩しているとき、澤田さんがフィルムを巻き上げる前にカメラの蓋を開けてしまってひと騒ぎ。その先で松村さんもストックを忘れて(サーダーが持ってきていた)、みんなで高度障害だと笑いあった。

ランタン村着。石造りの家々には色とりどりの幟が立ち、開けたU字谷は盆地状に広がっている。草が生え始めたばかりの広大な草地には、のんびりと草を食むヤク、馬そして羊たち。

谷の右側は緑の斜面、左側は赤茶けた岸壁が数百メートル、いやそれ以上の高さで迫っている。そしてさらにその上には、雪を戴いた峰々がはるかに高く聳えている。

昼食後、今日も高度順化のため、裏の丘にハイキングへ行く。集落が途切れ牧場が終わって少し傾斜が増し、約80㍍上った丘の上からは人口200人というランタン村の全貌が見渡せ、マニ石が壁のように両側に並んでいた。

帰りの途中手織りのバッグを求め、テントサイトのロッジで3時のお茶。

夕刻、牧場に散歩に出る。牛たちの脇をすぎ、農夫に話をすると2分上った所に日本人のレターがあるという。登ってみると岩に組み込まれたレリーフ。モリモトピーク(5,951)の元になった日本人がランタン氷河で遭難した旨の碑ぶみだった。1961年。一体その頃のランタンはどんなところだったのだろう。今でも電気もガスも水道もない、わずかな畑と放牧に暮らすこの村、今から40年前に訪れたモリモトとはどんな冒険家だったのだろう。そしてこのレリーフが、なぜこんな村はずれにあるのだろう。農夫のカタコトの英語からは、彼が昔ポーターだったことがわかるのみだった。ここは3450㍍。時間があまりにもゆっくりと過ぎて行く。

たくさんの羊が娘たちに追われ、おのおの自分の家へ帰って行く姿が、小さな村の夕暮れを告げる。夜半、テントの横を馬がウロウロする音が聞こえていた。

25()曇のち雪

6時、気温6℃、テントの中10℃。6時頃、テントをたたく小雨の音で目が覚めた。今朝は寒くない。心配した雨も6時半のモーニングティーの時間には止んで、撤収の時には雲も切れて日が射しはじめた。元の草地に戻ったテント場は子供たちの格好の遊び場になっている。

850分、羊たちが家々から出てくるのとほぼ同時に出発。しかし今日は雲が多く、肌寒い。昨日のハイキングで来たマニ石の丘をすぎ、荒涼としてきたU時谷を進む。

45分ほどでMUNDOの集落(といっても2軒しか見えなかったが)。ここにランタン地区の小学校がある。今は春休み(?)とのことで子供たちはいなかったが、教室は開いていたので中を覗いてみる。6畳ほどの土間に板切れが2つ。この板が先生の教卓だそうだ。石積みの薄暗い、日本では山の避難小屋でも今では悪い部類に属するだろうこの建物が小学校か。しかし、そのグランドはあまりにも広い。

出発後、今度は澤田さんがストックを忘れ、また高度障害論議に花が咲く。3600㍍付近でまた休憩。槍や鹿島槍に似ている無名峰が鋭く尖る。

歩いていると後ろから馬に乗った現地の男性が2名。サーダーに聞くと、このランタン谷のボスだそうだ。何でも妻が5人いるんだと。このボスとはキャンジンゴンパで交流することになる。

今度はどこから現れたのか少女が2人。一緒に歩きながら歌をうたったりはしゃいだりとやけに陽気だ。われわれのランタンを持っていたら落としてしまったが、あっという間に谷へ取りに行っていた。

30分ほど一緒だっただろうか。と、その少女たちは次のBUDDHAの茶店にすんなりと呼び入れるではないか。そうかこの娘たちは客引きだったんだ。自分たち日本人はいいカモなのだろう。しかしあの待ち伏せといい、陽気さで気を引き同行して誘い入れる技術。今夜の夕食時に格好の話題を提供してくれた。

行く手のツェル・ゴ・リ(4,984)の山腹に大トラバース道が見える。あの道を進んでいくのだ。

足元にサクラソウが現れ、ゴンパが見えてきたころ、今日もまたホットレモネードのお出迎えだ。しかしあられがパラついてきたので早々に出発。次のコルに立つとキャンジンゴンパの集落の全容が見おろされた。

例のボスが経営するヤラピークホテルのロッジでランチ中にアラレは雪に変わり、2度の雷鳴を交えてあっという間に積もっていく。

夕方5時過ぎにやっと止んだが、5センチは積もったか。夕食の前、1人裏のゴンパの丘へ散歩に行ってみる。ランタンリルンの頂稜に夕日が当たっていた。ここは3850㍍。いよいよ富士山より高いところに来たのだ

ボスはホテルの薄暗いロビー兼寝室でずっとトランプ博打。しかし夕食事にはソーラーの電気をつけてくれて、一緒に写真も撮った。20時すぎに就寝。あまり寒くない。

26()快晴のち雷雨

夜半から再び雪。明け方にシェルパがテントの雪をはたきおとしにきてびっくりした。

6時、気温-1℃、テントの中4.8℃。外は一面の雪原。こんな夜、ポーターたちはどこに寝ているのだろうか。

背後にはるかに高く、ランタンリルン(7,225)の頂上が朝日に輝いている。正面にはナヤカンガ(5,862)が圧倒するボリュームでそびえている。草地がすべて雪に埋もれてしまったため、馬たちが所在なげにウロウロしている。

今日は高度順応日。パルスオキシメーターで朝測った酸素濃度が85に落ちたのが(平均的だそうだが皆が90以上なので)少しショックで、なんとかまた90台に戻したいと腹式呼吸を心がける。

日が差し始めると急に暖かく、いや暑く感じるようななった。雪を踏んで登っていく。この盆地を見下ろすようにそびえる岩峰が今日の目的。登るにつれてガンチェンポ(6,387)山腹のヒマラヤ襞が次第にはっきりと見え始めた。

4000㍍を超えた。傾斜が増し、岩混じりの登りになる。自分の高度計が計測不能になってしまった。斜面をジグザグに登っていく。日差しで雪が融け始め、道は丹沢の大倉尾根のようになっている。

ようやく頂稜に出た。左へ岩稜をひと登りでキャンジンピーク(?)着。ヒマラヤで初のピークには変わりがない。これでも4300㍍。日本にはない高度の山なのだ。

ランタンリルンは雲に隠れてしまったが、リルン氷河の雄大なカールが見える。右のガスの中に見え隠れするのはキムシュン(6,760)だ。ヤラ・ピークはガスの中。時々頂稜の一部を見せるのみだった。

ラマ教の旗がはためく頂上で約30分。ゆで卵やお菓子を食べたりして過ごす。尾根続きの上のピークからは幾組みかのパーティーが下りてきていた。下にはテント場が良く見える。

くだりは一気。雪もどんどん融け、朝と様相が変わっている。テントの横ももう乾いて、馬たちも安心して草を食んでいた。足を洗ってすっきりし、13時過ぎからランチ。ラーメンがおいしい。

夕方から再び雪となる。明日も良い天気でありますように。

27()快晴のち雷雪            

朝、目が覚めるとやけに暗い。テントに雪が積もっているのだ。昨日ほどでないにしろ、今朝も5センチメートルくらいあたりを銀世界にしている。夕べは初めてトイレに起きなかったが、おとといほど良くは寝られなかった。

6時。-1             テントの中8℃。しかしずいぶん寒く感じた一夜だった。また今朝も洗面器のお湯から一日が始まる。6morning tea7breakfast

今朝は昨日より天気が良い。リルンもすっきりとその全容を見せている。ナヤ・カンガ、ポンゲンドプクも改めてその威容を余すところなく現している。しかし、なんとなく空に白が混ざっているように見えるのはなぜだろう。

ボスに今日そしてこの2-3日の天気を聞いてみたが、わからないと言う。ヒマラヤの天気はそれほど変わりやすいのか、それとも彼らの生活にとってはあまり日々の天気など関係ないのだろうか。

8時ちょうどに出発。雪を踏んで緩やかに登っていく。行く手に真っ白なツェル・ゴ・リが近づいてくる。背後にはランタンリルンとランタンⅡが初めて同時に見えている。昨日登ったキャンジン・ピークは、大きな尾根の単なる一岩頭として没していった。

地図にもある大きな支流を渡る。今でこそ34歩の飛び石で渡れるが、常に落石が続くこの大きく崩壊した両岸を見れば、雨季にはどれほどの水量になるのかが想像できる。こんな小さな流れでさえ茶褐色の流れは強い。雪融け水が加われば、怒涛の奔流になるのだろう。

尾根に取り付き急登後、ツェル・ゴ・リへの登頂ルートを分けて大トラバース道に入る。はるか向うにはヤクが4頭引かれていくのが見えている。

すごい日差しだ。足元の雪に乱反射してまぶしすぎる。今日は風もなく暑いくらいだ。でも汗は出ない。しかし体の水分は確実に奪われているという。山行始めからダイナモックスを飲み、水分を多量に採るよう心がけている。意識的な腹式呼吸もあいまって、歩いていると今のところ高度障害の兆しはない。

3回目の休憩後、すぐにティキャプサ・カルカに着いた。斜面が段々にされてカルカが作られている今日のキャンプ地だ。コックはすでに到着していて、すぐにシートが敷かれてランチの準備。少し雲が出てきたが日差しで暑い。みんな靴下を脱いで車座になってラーメンその他をおいしく食べた。

正面にポンゲンドプクを望み、大カールの全容が覗ける。所々に雪崩の跡も見える。

食事中にもどんどん雲が広がってきて、終わるころには今日もアラレの一粒。ちょうどポーターも全員到着してテントも設営され、おのおの分かれていった。

15時、tea timeのパルスオキシメータの数値は86まで下がってしまった。深呼吸で96。息苦しさは感じないが頭が少し重たい感じ。眠気もいつもよりする。

17時をすぎた。あられはまだ細かく降っているが、下のほうの見通しが効いてきた。雷は1回鳴ったのみ。このまま回復しますように。

今夜は初めての4000㍍での宿泊。それも自分の高度計のきかない4400㍍の高さまで来ている。高山病も出ませんように。

28() 快晴のち雪

6時。-3             テントの中-1℃。

今朝も快晴に明けた。ランタンリルンに朝日が当たり、その他の峰々もオレンジ色に輝いていく。昨夜、ナヤカンガの中腹に光っていた明かりのテントも確認できた。しかしあの4000㍍の峠越えはさぞかし難儀だろう。

と、ランタンリルンの氷河で大雪崩が発生した。一瞬爆音がこちらまでとどろき、まるでスローモーションを見ているように雪が流れ、そして雪煙がしばらくの間上がっていた。

今日も再びツェル・ゴ・リの山腹をトラバースして進む。だんだん植生も乏しくなって来て、大きな尾根を乗越すといよいよ行く手に目標のヤラ・ピークが見えた。さらにガンチェンポの奥の山々も見えてきた。ヒマラヤ襞が縦に影を見せている。

道はいつしかカールを進むようになり、上部に早くも今日の目的地ヤラ・カルカが見えてきた。石積みがあればそれはカルカ(牧舎)であると、わかるようにもなった。

ヤラ・カルカ着。ここはすでに4750㍍。目の前にヒマラヤの高峰を望み、今日の空は吸い込まれるように青い。まぶしい。こんなに濃いサングラスを通してもまぶしすぎる雪の輝きよ。

昨日、一昨日の雪が残るわずかな平地に一列にテントを張る。ここが最終キャンプ、アタックキャンプだ。

今日も高度順応のため4900㍍前後の丘まで小一時間のハイキング。ゴラタベラに一日遅くヘリで着き、われわれより1日早い行程(ランタン村パス)で一緒になったアトラス隊は、この丘直下にテントを張っていた。

丘に立つとヤラ・ピークの全容が望めた。小さなピークではあるが雪をびっしりとつけ、その中央にルートも遠望できた。ヤンサ・チェンジ(6,562)も初めてその姿を見せている。この山なんて本当に深い、このあたりまで来ないと見ることさえできない山なのだ。しかし、やはり今日も雲が広がってきた。

キャンプに戻ってランチ中、我々の下方にテントを張っていたパーティー(英国隊)が疲れた表情で下りてきた。松本さんが情報を収集したところによると、ラッセルに苦労して頂上まで7時間かかったとのこと。当初は明朝6時に出発予定だったが、急遽4時出発に変更となった。メンバーに心なしか緊張が走る。

しかし自分にはランチの後から頭痛がしてきた。ものを考えることもけだるい。寝不足ていどならいいのだけれど、やはり高度障害が出たか。時間は十分あるのだが、日誌を書く気も起こらない。

3時のお茶のあとバファリンを飲む。血中の酸素濃度は低くはないのだが、やけに寒い。夕食まで少し寝れば少しは良くなるだろうかとシュラフに入っても、寒くて寒くて眠れない。今日は1人テントということもあるからだろうか。

そしてまた下痢気味。食欲も急に落ちた。17時すぎ今日も雷が鳴ってアラレが雪に変わってきた。夕食もあまり食べられない。その間にも雪は積もっている。

29() 晴のち雪

3時起床。雪はこの付近で10センチ程度か。頭痛は起きる直前に、奇跡的になおった。

3時半に朝食。甘い紅茶をテルモスに入れ、コシヒカリのおむすびをもらって、シェルパの焚くおまじないの炎、体調を崩してキャンプに残る松井隊長の見送りを受けて出発する。

昨日行った丘までは、ひたすら前の梅澤さんの足跡を追っていくのみ。丘から右へ進み、小ピークの登りにかかる前にアイゼンを着ける。その間に見る見る明るくなって、ランプなしでも歩けるようになった。

と、ランタンリルンに朝日が当たっている。雲がたなびき、紅色に静かに朝を迎えるその白い峰は、神々しい以外の何物でもなかった。

今日は夜が明けても周りは雲が多い。見通しを悪くすることはないのだけれど、山々があまり姿を見せていない。5000㍍を超えた。ツェル・ゴ・リがもう低く見える。その頂上部は平原になっていて、まさにリ()だ。

先行するアトラス隊の1人がシェルパに支えられて下りてきた。高度障害らしい。この人は午後になってからキャンジン・ゴンパまでくだったそうだ。またこのあとも1人がくだり、結局アトラス隊は4名中2名しか頂上に登れなかったそうだ。やはりランタン村での1日の差が大きかったと云われる。

ピーク上で一休み。続いて急な岩稜をくだる。ガスが流れ、朝日が雪をオレンジ色に染めている中暗い影を作り、その陽と陰が幻想的な光景を現出していた。

すっかり明るくなった。おおらかな雪の稜線を登っていく。ランタンリルンは雲に隠れてしまったが、ヤンサチェンジが現れた。やはり大きい。

急な斜面のトラバース手前でアトラス隊に追いついた。ここでシェルパがルート工作するまで休憩する。今の季節普通ならこの付近から雪が現れるというが、連日の降雪で昨日のイギリス隊のトレースも消えてしまっている。今日は太陽が出たり雲に隠れたり。日が翳ると気温はマイナス4℃だが、太陽が当たるといっぺんに暖かくなる。

トラバースを慎重に通過、その後再び尾根の取り付きで3人ずつアンザイレンする。ここもシェルパが至れり尽くせりだ。

岩稜上で一休み。天候は回復傾向で光線が強い。これが5000㍍の太陽か。しかし鼻水が止まらない。行く手に頂上が近づいてきた。松本さんによれば2時間半くらいか。

再び稜線が広がって、頂上直下の雪壁が迫る。消えかかったトレースが左の尾根上に認められるが、シェルパは右の急斜面上に足場を作っている。後で聞くと、昨日のイギリス隊のフィックスザイルが残されていたそうだ。

フィックスのカラビナを通し、右手でピッケルを雪面に打ち込んで、一歩一歩深い息を心がけながら着実に登って行く。

50㍍ほどで雪面は終わり頂上は間近。そして最後の雪面を登りきると、そこがヤラ・ピークの頂上だった。岩と雪にはさまれた、人がやっとすれ違える程度の狭い狭い頂上。

本当の頂上は、リッジの向うのピークというが、我々の目指したヤラ・ピークはここが頂上ということなのだ。今まで見えなかったランタン谷奥の山、この中にモリモトピークもあるのだろう。そしてチベットの山々は白き峰が幾重にも幾重にも続いていた。

若干ガスが上がって、周囲の山々も頂上部を隠すものが多くなってきた。期待したシシャ・パンマは望めなかったが、ヤンサチェンジだけはずっと堂々と我々を見おろしていた。

30分弱の滞頂でくだりにかかる。登り以上に慎重に雪壁をおりる。2つの雪壁をくだりおわったところでコシヒカリの弁当を開く。あとから到着したアトラス隊もくだったヤラ・ピークは静かに我々を見おろしていた。

朝よりも少し雪が減って、岩が姿を現しているもろい岩稜を通ってトラバースも通過し危険地帯は通過。アイゼンをはずして足取りも軽くなる。

アトラス隊のウェルカムドリンクは小ピークのこちらまで迎えに来ていた。その小ピークを越え、ゆるくなった雪に足をとられながらくだっていくと、向うから我々のキッチンボーイ君(22)が上がってくるのが見えた。暖かいレモネードが体全体にしみる。サーダーは登頂成功を知らせるためだろう、先にくだって行った。

アタックキャンプでは松井隊長が握手をもって迎えてくれた。メンバー、シェルパたちとも握手。我々のヤラ・ピーク登頂はこうして成功したのだった。

テントに下りつくとほぼ同時に、今日もアラレがやって来た。そして再び雪に変わる。毎日決まったパターンだが、この不順な天候の中で、ヒマラヤの女神は何とか我々に微笑んでくれたようだ。

午後からまた体調が悪くなった。昨日ほどでないにしても、頭が重くむしょうに寒い。夕食まで寝ていようと思っても、寒くて寒くて仕方がない。

30() 晴のち雪

気温6時、-5℃。テント中-2.2

また今日も起きると雪が積もっていた。夕べは何とか一昨日よりも眠れた感じだ。朝は快晴。

ゆっくりと出発。ヤンサチェンジが見えなくなり、カール沿いにくだる。トラバース道に入り、ツェル・ゴ・リの大きな尾根を乗越す時に振り返るヤラ・ピーク。その白き峰にお辞儀をして別れを告げる。

トラバース道をくだるにつれて雪が消えて来る。反対に次第に増えてくるヤクの糞が懐かしい。

気持ちの良い尾根上で一休み。はるか下には今日も野生のBlue sheepが群れを成している。そこから5分ほどでティキャプサ・カルカ。くだりは早い。

次の休憩場所ではポーターも近く、女の子がヤクの糞を投げ合っている姿がほほえましい。

標高4200㍍付近からハイマツの類が現れ、サクラソウ、アイリスも出てきて、キャンジン・ゴンパに帰還した。ボスもまだ在住で、相変わらずポーカー賭博。午後2時過ぎ、今日もまた雪になった。標高3850㍍。キャンジン・ゴンパでの最後テントの夜は静かに暮れていった。

51()

気温6時、-1℃。ヒマラヤ最終日も快晴に明けた。パルスオキシメーターも最後の計測、ダイナモックスも昨夜は飲まなかった。

シェルパから絹のスカーフを首に巻いてもらい、我々の服など土産にを置いてきたポーターたちの見送りを受け、チャーターヘリ2回に分かれて山の村を後にする。

ナヤカンガ、ランタンリルンに別れを告げヘリはテイクオフ。ランタン村、ゴラタベラをあっという間に過ぎて高度を上げ、峠を越える。右手にマナスルが見えた。他の山々を圧してひときわ高く尖った白き峰。それは崇高でさえあった。

カトマンズ盆地に入ってランディング。約10日ぶりに自動車を見た。また喧騒のカトマンズに帰ってきたのだ。

バスに乗り込んで、すぐにエベレストホテル着。やっとシャワーを浴びられる。1週間以上の山の垢をまとめて落とすには、カトマンズの排水事情は悪すぎるが。

昼は歩いて近くのホテルの戸隠そばへ。久々のビールで乾杯。そば湯がおいしい。

午後は再び市内に出て帽子を買い、地図屋、じゅうたん屋などをまわって買い物。夕食は「田村」という日本料理屋にしたが、すごい量で食べきれなかった。

52() 雨のち晴

5時にモーニングコール。久々のベッドでぐっすり眠った。朝は雨。下界は山とは逆の天候なのか。

6時過ぎにマイクロバスで出発し、ナガラコットの丘へ向かう。途中車窓からの山村風景は日本と似ているところあり、ぜんぜん違うところあり。段々畑と麦が多い。またここでも男たちがあちらこちらでたむろしている。

エベレストを始めとしたヒマラヤの展望台であるナガラコットの丘も、今日の天気では多くを望めない。それでも雨がようやく上がって、白い峰々が次第に現れてきた。そんな様子を丘の上のホテルでお茶を飲みながら、また展望写真を見ながら眺めていた。

次は他の展望の丘へ行こうとしたが、途中学生運動で道路が封鎖され、また10台くらいのバスの窓ガラスが割られている光景に出会った。この国はまさに夜明け前なのだろう。

裏道のひどいでこぼこ道を通ってスワヤンブナートへ行く。アジアで一番古い寺という。何せ、文殊菩薩がチベットからインドへ帰る途中で、まだ修行中の大日如来に畏敬して作ったというのだから、日本とは歴史が違う。

昼食は王宮そばのホテルレストラン「槙」でカツ丼。その後古都バクタプルへ向かう。ここは3代前の王朝があった都市で、旧王宮などは17世紀初頭の建物だ。寺院も珍しいものが多く、750ルピーもの入場料で管理された世界遺産だけのことはあった。今日もヘトヘトに疲れてホテルに戻った。

3()    晴のち俄雨

5時起床、6時出発で今日はマウンテンフライト。

空港を双発プロペラ機で7:20にテイクオフ。雲が全体的に多かったが、アムダブルが眼前に迫り、エベレストもはるかに高くその三角の頂上が雲の中望まれた。

4()   

今日は移動日。早めに空港でチェックインを済ませて飛行機を待つ。さよならネパール。

バンコクに着いたときにはすでに夜。蒸し暑い。ホテルにチェックイン後、夕食に出て、今日の就寝は遅くなった。

5()

今日は自由行動日。ほとんどのメンバーはアユタヤツアーに出かけたが、自分は1人で付近をぶらぶら。中央駅に行って、約1時間に1本出発する列車に乗り込む人々、行き交う雑踏をしばらく眺めていた。

午後はホテルのプールとマッサージ。今日はゆったりとした一日だった。

夕食は川沿いに面したところでタイ料理。その後ホテルのラウンジで遅くまで生演奏を聞きながら最後の夜を楽しんだ。

6()   

最終日。午前中はデパート街など繁華街をぶらぶら。午後は今日もプールなどでのんびりと最後のひと時を過ごす。

チェックアウト後、ホテルで最後の夕食をとり松井隊長と別れて早めに空港へ。チェックインで搭乗を確実にしたあと松本さんとも別れてフライトを待った。

TG64223:10発が大幅に遅れ、テイクオフは00:30JSTでは2:30だ。

7()   

あまり寝られないうちに明るくなって日本着。2週間ぶりの帰国である。空港も道路も平和だとしみじみ思った。しかし何か物足りない。あの喧騒が、エネルギッシュさが早くも妙になつかしく感じられるのだった。(矢澤 記)

 

後日談(澤田)…現地で世話になったガイド(シェルパ)やポーター達に写真を50枚位エアメールで送ったのだが、平成14年5月現在返事がない。本当に着いて彼等の手に渡ったのかどうかも分からなく、気が落ち着かない。しかし、彼等への感謝の気持ちは今でも変わらないし、とても懐かしい。

 

大菩薩~小金沢連嶺(本部合同)

      51213(土~日) 一泊二日

参加者    佐野恵巳(CL),小澤美喜代,高木彰,支部外4              7

  程:    12日(晴れ)高尾8:00=塩山9:15/9:25=(バス)=裂石9:48/10:00~休憩10:52/11:00~昼食12:10/12:40~丸川峠13:06/13:15~大菩薩嶺14:58/15:05~雷岩15:12/15:28~介山荘15:55(泊)

13日(晴れ)介山荘6:15~熊沢山6:30~石丸峠6:43~狼平7105~小金沢山7:52/8:01~牛奥ノ雁ケ腹摺山8:43/9:00~黒岳9:53/10:00~湯ノ沢峠10:33/10:40-大蔵高丸11:08/11:50~ハマイバ丸12:18/12:20~休憩13:00/13:08~大谷ケ丸13:32/13:42-滝子山14:46/15:00-休憩16:05/16:10~初狩17:20/17:39=高尾18:44

今回は申込葉書が全部で7枚届いた。その中で山行歴や体力に疑問を持ち、確認の電話を入れたものが2件あった。1件はSHC番号から推定して最近1~2ヶ月内に入会したと思われる人で、電話で体力や山行歴を問い合わせたら、今回は参加を見合わせますと自ら辞退された。・・もし確認の電話をしなかったら自信もなく参加したのだろうか?・・

もう1件はSHC番号から推定して入会10年前後と思われるが、70歳を越えていたので体力と最近の山行状況を確認するために電話した。最近は高い山には登っていないが、高尾・陣馬あたりをよく歩いている。今までに8時間以上歩く山行もしていると、自信のある返事であった。年齢だけを理由に差別することはしたくないので、受け付けることにした。

その人は裂石から車道、林道を歩いているうちは元気だったが、山道に入ってしばらくするとだんだん遅れてきて、今朝ご飯が食べられなかったとか、昨夜飲み過ぎてよく眠れなかったなどと言い始めた。ぺ一スを落として、時々立ち休止しながら歩く。昼食をとって休憩したら体力が回復するかと期待したが、残念ながらさらにぺ一スが落ちた。

とりあえず介山荘に着いてから、明日も歩くか下山してもらうか相談して決めようと考えていたら、その人が自分から下山すると言ってくれた(高木さんや小澤さんと話し合って決めた模様)。保険料200円を返却する代わりに参加者名簿に載せないことを了解して頂いた。また、帰宅したら電話連絡してくださるようお願いした。そして雷岩から福ちゃん荘へ降りる道を高木さんに付き添われて下って行くのを見送って、残り6人は先に介山荘に向かった。高木さんは福ちゃん荘まで送ってタクシーを電話で呼んでから、介山荘に上がってきた。

丸川峠から上、標高2000m前後には残雪があった。登山道上にも時々雪を踏んで歩く所があった。丸川峠~介山荘間はハイカーが多かった。

2日目、介山荘から黒岳間はハイカーが少なかった。ルート上には笹がかぶさっていて、かき分けながら歩いた。黒岳で出会ったハイカーに聞くと、大峠まで車で入ったという。白谷丸~大蔵高丸間はハイカーが多かった。湯ノ沢峠には自家用車が14台駐車していた。大谷ケ九までは刈り払いされ、道標もあった。ヤマザクラかタガネザクラとマメザクラが咲いていた。大谷ケ九~滝子山間はヤブっぼかった。

「無事帰宅しました。高木さんと小澤さんに大変お世話になりましたとお伝え下さい」と留守電に伝言が入っていた。

 

奥秩父/大烏山~遠見山

  日:    5月19~20日(土~日) 一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),小原紀子,笠原隆,田島弘子,小野恵子,武末範子         計6名

  程:    19日(曇り時々晴れ)八王子6:34=塩山7:51/8:08=(バス)=徳和8:42/8:50-林道終点9:35~大久保峠手前の小鞍部9:50/9:55~大久保山10:50/11:05~東御殿11:45/12:10~西御殿12:35~(1705m)13:30/13:40~馬止根場14:20/14:30~メイクボノタワ14:55~(1782m)15:10~お経窪ノタワ15:20(テント泊)

20日(快晴)お経窪ノタワ5:30~大鳥山5:50/6:00~(1940m)6:25~林道を横切る6:30~柳平分岐7:05~下遠見7:50~遠見山8:00/8:15~ゴトメキ8:40/8:50~大ダオ10:05/10:15~山ノ神10:35~林道終点12:05~乾徳山登山口12:45~徳和13:20/13:35=(タクシー)=牧の湯(窪平)(一浴)13:47/15:16=(バス)=塩山15:33

八王子6:34発松本行きに乗車、塩山からバスで徳和まで入る。バス道を少し戻り右に分かれるコンクリート舗装の道に入る。以前は大久保峠へ上がるにはすぐ左に分かれる舗装道に入ったが、それに入ろうとした時、地元の人に呼び止められる。昔の道は荒れてわからないとのこと。別の行き方を教えていただき感謝して別れる。逆に右へ上がる道へ入り、民家を過ぎた先で左に分かれるコンクリート舗装の道を登っていく。方角的にどんどん峠から離れていくので不安になる頃、ようやくヘアピンカーブして峠へ向かうようになる。要は大迂回したわけだ。緩い勾配の林道はやがて未舗装となり、終点で峠道に突き当たる。峠道の下手は確かにはっきりしていない。右へほぼ水平の峠道をたどると峠状の所に出る。木に巻き付けられた黄色のテープに「→大久保峠→」と書かれていた。以前歩いた時、手前に「偽の」峠があったことが頭をよぎったが、ついついこのテープを信用し、ここを大久保峠と思って右へ尾根を登り始める。テープの「矢印」の意味をもっとよく考えるべきであった。登り始めて直に間違いに気づいたがこのまま登っても大久保山にはたどり着くのでそのまま登り続ける。

急でルートもはっきりしないが赤テープもあり利用している人もいるようだ。尾根に出て左折、再び急になってきた所で左ヘシフトすると大久保峠からの尾根道と出会う。尚も急登で大久保山、御料局の三角点があり山名を記した杭が立っている。頂上もこの先も樹林で展望には恵まれないが、自然林や落葉松の新緑が美しく心が和む。尚も緩く登っていくと東御殿の手前で山道は右に巻き始め、すぐに東御殿へ直登する道とそのまま巻いて大烏山へ向かう道に分かれる(黄色のテープあり)。東御殿へも急、小広い頂上には3等三角点があり、樹林越しに乾徳山が岩壁を立て掛けているのが見える。西御殿を過ぎた辺りから笹が出てきて、急登の連続で1705mの狭い稜線に登り着く。東へ下る尾根には踏跡があり赤テープも巻き付けられていてエスケープルートに使えそうだ。ここから緩く下ると尾根が広がり、笹ヤブが深くルートも不明瞭になる。急登の末、登り着いた馬止根場は狭いが東側が切れ落ちていて乾徳山の展望が良い。3等三角点がある。スイッチバックするような感じで降りるのだが戻り過ぎてしまい巻き道を見つけてメイクボノタワヘ下る。深南部を思わせるような深い樹林の1782mを越えて一下りで今日のテント場であるお経窪ノタワに着く。腰くらいの笹が密生した鞍部で笹を倒してテントを張る。入ってしまえばフカフカでエアマットいらずである。宴会が始まってまもなく雨がパラついたが、今日の行程を肴にテントの中は盛り上がった。

2日目、快晴、4時起き、5時半出発。大烏山へは笹ヤブの急登、南尾根と合流してまもなく頂上に着く。頂上は狭く南側は樹林に遮られ小楢山が見える程度だが、西から北、東にかけては展望が良く特にこれからたどる遠見山への尾根がのびやかでいい感じである。ここからルートは良くなる。下った鞍部で作業小屋の残骸を見て、緩やかに登って1940mを越すと新しい林道が横切っている。ここには牧丘町の「大烏山一遠見山・ゴトメキ」の道標が立っていて、鉄筋の梯子と階段で尾根に上がり広大な笹原の尾根を歩く。富土山や南アルプスが春霞みのむこうに見え、南大菩薩の大蔵高丸の辺りを連想させる気持ちの良い尾根だ。1970m付近で再び樹林帯に入るとルートも悪くなる。サルオガセが垂れ下がる針葉樹の原生林を緩く登っていくと2020m付近に再び牧丘町の道標が柳平の分岐を示しているが、尾根道も柳平へ下る道もはっきりしない。何年か前に整備したのかもしれないが、笹は復元が早いのであっとい聞に自然に帰る。ここから急登になり尾根のやや右側にルートがついている。字の消えた古い道標も見受けられる。2120m付近で右折、一時笹原の明るい尾根になるが再び樹林が濃くなってくると下遠見のやや右側を巻いて、広く明るい笹の鞍部から遠見山への登りになる。笹が消え樹林の中を登っていくと石楠花が密生してくる。ルートはこの密生帯の右側を巻くようについているのだが、これを発見できずしばし石楠花と格闘、正規のルートに出てまもなく遠見山の頂上に着く。石楠花に囲まれているがそれなりに刈り払われていて山名板と3等三角点がある。ゴトメキヘはルートに従いやや右側を巻いてから尾根に戻る。小灌木や笹原のコブをいくつか越して石楠花新道が通るゴトメキに着く。遭難碑があり道標が賑やかだ。右折して大ダオヘ向かうが、ここまで上がると残雪が結構あって、石楠花新道自体も忘れられた道なのかルート取りに神経を使う。だだっ広いトサカの頂上を越して急降下すると広い笹原の鞍部、大ダオに着く。国師ケ岳や乾徳山の展望が良い。ここから笹の斜面に付けられた踏跡を下っていく。足元が笹で隠され、段差や浮石に足を取られる。樹林の中に入ってからも、おおむね左岸の笹の斜面にルートが付いている。小沢と出会う所が山ノ神、尚も下っていくと左から沢が合流、飛石で渡る。だんだんルートがはっきりしてきて壊れかけた木橋の横を飛石で右岸へ渡り、急な下りが続く。再び古い木橋の横を左岸へ渡り、沢にえぐられて崩れた登山道の部分を右岸側に巻いて戻り、大きな堰堤が見えてきたら大きく高巻いて林道の終点に出る。

ここには道標がある。徳和までの林道歩きは長い。疲れた体に生暖かい風も手伝って思いの外堪える。

徳和でタクシーを呼び、窪平の「牧の湯」に直行、2日間の汗とヤブほこりを洗い流す。西沢渓谷からきた超満員のバスに強引に乗り、塩山で打ち上げの儀式。ビールが水のように体に吸収されていった。渋い静かな新緑の尾根歩きでした。

地形図:20万=甲府 2万5千=川浦、金峰山  昭文社=奥秩父2金峰山・甲武信

  用:    塩山~徳和                           バス代     \650

徳和~窪平(牧の湯)                タクシー代  \2420

窪平~塩山                           バス代     \330

牧の湯                                 入浴代     \500(3時間)

 

北ア/焼岳

  日:    5月26~27日(土~日) 一泊二日

参加者:    林徹(L),松村佐代子,小澤美喜代,梅澤文子,神之村均,前田省吾,輿水政子.河崎正道,山本文夫,

宮澤恵子  計10名

  程:    26日(曇り)八王子7:30=〈特急あずさ〉=松本9:40/9:55=(タクシー)=上高地11:20/12:00~西穂山荘15:40夕食18:00

27日(曇り)西穂山荘6:50~槍見台~割谷山9:00/9:10~焼岳山荘10:50/11:05~焼岳12:40/12:50~りんどう平14:20/14:25~中の湯15:30/15:40=(タクシー)=信州会館17:15~松本18:50=八王子21:05

5月26日(土)松本からタクシー2台に5人づつ相乗りする。約1時間半で懐かしの上高地。新緑がきれい。バスがたくさん、人もたくさん。バスターミナルで昼食をとり12:00出発。

穂高が頂上に雪をまとい姿を見せているが思ったより雪の量が少ない。田代橋まで15分歩き、西穂高岳登山道の標識がある鳥居をくぐり、玄文沢沿いに登りとなる。

田代橋の標高が丁度1500mだから2356mの西穂山荘までは856m登り。

しばらくの間は雪はぜんぜん無かったが1700m付近で沢を横切るところあたりから樹林帯に入ると次第に残雪の量が多くなり50~60㎝くらい、多いところでは1mくらいあろうか。それでもアイゼンの必要は無い。舟窪地形になったところを越えると焼岳の分岐が出てきた。少し休んで西穂山荘への道を歩き始めたところで急に雷鳴が轟き、大粒の雨が降ってきた。雨具を着け歩き始めたが、雨が少し霰っぼくなりますますひどくなる。先頭の人の「西穂山荘が見えた」の声で皆急いで山荘に飛び込む。

西穂山荘は1992年に新装され、8年経過している割にはきれいであるが8800はお安くない。夕食まで時間があるので、別館で夕げの前の酒盛り。18:00夕食。

夕食後一人ずつ山への想いを披露。女性5人、男性5人別々の部屋で就寝21:005月27日(日)朝起きると雨は降っていないがどんより曇って遠望無し。朝食6:00小雨となり皆雨具を着けての出発。しかし次第に遠望がきくようになり、行く手に焼岳が見え、左手には笠ケ岳も見える。途中、道がはっきりしないところがあり3度笹薮を漕いで割谷山の頂上に出た。ここから後ろを見れば西穂山荘からルートが見える。ここからは間違えることも無くほどなく焼岳小屋に出た。焼岳展望台からはどのコースを行くのか分からなかったが、道ははっきりしていた。頂上からの雄大な眺めを楽しみ下りにかかる。雪渓を下りりんどう平へ出るとここから樹林帯。白樺、岳樺、椎を経て立派なぶな林を過ぎると道路が見え、中の湯へ出た。ここの樹林帯はなかなかのものだ。林さんが焼岳頂上からタクシーを15:30と予約したが、計ったように15:30にタクシーが居るところに出た。

信州会館でおふろに入り打ち上げの後、全員無事に特急あずさの人となった。(神之村 記)

 

富士山麓・樹海

  日:    6月2~3日(土~日)    一泊二日

参加者:    佐野恵巳(CL),小澤美喜代,高木彰,大島さん,稲垣さん   計5名

  程:    2日(晴れ)高尾7:47=大月8:28/8:34=富士吉田9:21/9:28~浅間神社9:55/10:10~中の茶屋11:09/11:19~大石茶屋11:53/11:57~馬返し12:16/12:50~一合13:04~二合13:33/13:41~三合14:00/14:05~四合14:25/14:31-井上小屋14:42/14:46~佐藤小屋15:21/15:27~河口湖口五合15:59/16:12~(御中道)~奥庭荘17:30〈泊〉

3日(晴れ)(奥庭遊歩道)5:30/6:50(朝食)6:50/7:20奥庭荘7:30~三合8:35/8:47~二合9:27~一合9:54/10:01~富士風穴10:50/11:00~(昼食)11:42/12:24~精進口登山道・東海自然歩道交差点12:50~(青木ヶ原樹海)風穴バス停14:10/14:46=(バス)=河口湖15:10/15:23=大月16:12/16:19=八王子17:10

当初は佐藤小屋泊で計画したのだが、予約電話を入れた時、6/2は都合で小屋を閉めると言われた。天幕場は使ってよいとのことだったので、テント泊も考えたが、思い直して別の宿泊所をあたってみた。奥庭荘は、1泊2食付きで7000円。6/2宿泊OKとわかったので、奥庭荘泊に変更することにした。奥庭荘は、佐藤小屋からさらに2時間ほど先になるので、歩程は、1日目約7時間、2日目的6時間となった。

JR高尾駅7:47発河口湖行き車内。発車時刻までに集合したのは4人だった。富士吉田駅に着いたら自宅に電話しようと思って、駅に着いたら高木さんが現れた。高尾駅乗り換え1分で駆け込んだので、別の車両に乗っていたのだという。

標高800m余りの富士吉田駅から10kほど舗装道路を歩く。標高1000mから1500mまでの間、蝉時雨。おそらくエゾハルゼミの声だと思われる。馬返しで2年前の支部山行時同様に昼食とする。2年前と違ったのは、飯場が出来ていて、工事関係者のものと思われる車がたくさん駐車していたこと。私たちが出発した時、丁度昼休みが終わった模様で、小型のパワーショベルに追い立てられるようにして登り急いだ。また、作業中のパワーショベルの横を通り抜けたりもした。一合目あたりまで、登山道は道路工事中だった。その先も二合目あたりまで、所々赤く塗られた木の杭が地面に打ち込まれていた。

井上小屋の少し上から、また道路工事にぶつかった。パワーショベルやトラクタが働いていた。佐藤小屋のすぐ下まで、工事が続いていた。「歴史道整備事業」と書かれた看板があった。五合目から奥庭荘まで、御中道を歩く。時々残雪上を横切るところもあった。

2日目早朝、食事の前に奥庭の遊歩道を散策した。キクイタダキ、カヤクグリ、ルリビタキといった野烏を見ることが出来た。また、残雪の南アルプス、北アルプスを遠望することができた。精進口登山道の途中で、富士風穴の一つに入る予定であったが、時間に余裕がなくなってきたので、風穴の入口を見ただけで入るのは省略した。終着点も変更して、紅葉台入口より手前の風穴バス停でバスに乗ることにした。

 

 

 

東北/船形山

  日:    6月16~17日(土~日) 前夜発一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),安村勝代,松村佐代子,小澤美喜代,田島弘子,小野恵子,山本文夫,武末範子計8名

  程:    16日(曇り)浜松町BT22:10=(夜行バス)=山形6:09/7:07=大石田8:06/8:12=(タクシー)=御所山荘9:02/9:10~落合10:20/10:35~クラビ分岐点12:20/12:30~水場13:35~御宝前追分14:10/14:15~船形山15:05(避難小屋泊)

17日(晴れ時々曇り)船形山5:15~仙交小屋跡分岐6:20~仙台カゴ下水場7:15~粟畑7:30/7:35~白髪山7:55/8:10~奥戸立山9:05~(1132m)9:40~寒風山10:00/10:20~(1065m)10:35~関山トンネル11:55/12:11=(タクシー)=作並温泉(一浴)12:25/14:00=(バス)=仙台15:09

浜松町BT22:10発山形行きの夜行バスに乗り、山形からJRで大石田まで行き、タクシーで御所山荘まで入る。新鶴子ダムからは未舗装となるが路面状態は良い。御所山荘は立て替え工事中だった。

歩き始めてまもなく広場に出て左に荒神コースを分ける。ここで直進せずに荒神コースの道標がある所から始まる林道に入るとすぐに道標が賑やかに立っていてガードレールのゲートがある。落合までは素掘りのトンネルを2ケ所通過しながら淡々とした林道歩きが続く。2日間雨が降った割りには沢は穏やかに見えるが実際はどうであろうか。落合に着き層雲峡コースを偵察に行くと、やはり水量が多く沢沿いの登山道は冠水している。雨のせいもあろうが雪解け水のこの時期、このコースは完全な沢登りと考えた方が良いようだ。予定を変更してクラビコースで船形山を目指す。山道に入りブナ林の中、クラビ沢右岸に沿って進む。クラビ沢を丸太橋で渡り740mの尾根へ少し上がり700m付近から左岸沿いの巻き道をたどる。再びクラビ沢を渡り小尾根を一つ乗り越した後、杉林の交じる斜面を上がっていく。1009mの北の鞍部がクラビ分岐点で左から荒神コースが合わさる。ここから御宝前追分までブナ林の緩斜面が延々と続く。ガスに煙るブナ林が幻想的だ。1060m付近に水場がある。マイヅルソウ、ミヤマカタバミ、ツバメオモトなどを見ながら登っていくと1254m付近から小灌木の尾根になりショウジョウバカマ、シラネアオイ、イワカガミなどが目につくようになる。御宝前追分(1291m)で層雲峡コースを合わせると船形山の北の肩へ急登となる。砂礫帯を登り切ると北の肩で色麻コースを分け、右へ緩く登って船形山に着く。1等三角点がある広々とした頂上に建っている新しい避難小屋が今日の宿だ。夕方になってガスが晴れてきて、泉ケ岳、後白髪山、黒伏山などの船形ファミリーの山々、そして遠くには大東岳、面白山の山群が赤く染まった雲海の上に浮かんでいる。遠く鳥海山も見えた。

2日目、晴れてはいるが頂上付近はガスがまとわりっいて乳白色の中、出発する。少し南へ行くと分岐点、道標に従い観音寺コースを下る。深く掘れたドロ道の急降下で、下りとはいえしんどい。灌木帯からブナ林に入っていくと傾斜は緩くなるが下りはまだまだ続く。水場の標識を見るとすぐに仙交小屋跡分岐の道標がある。ここから楠峰、仙台カゴと巻きながら緩やかに登っていく。時々垣間見られる仙台カゴの岩峰が印象的だ。仙台カゴ下の水場を過ぎるとまもなく粟畑に着く。十字路になっていて右は黒伏山へ、これから登る白髪山は左へ登っていく。ここからヤブ漕ぎを覚悟していたが、しっかり刈り込まれていた。登っていくとまもなく樹林を抜け笹原の展望の良い尾根となる。背後には船形山、仙台カゴがそれぞれ特徴のある姿を見せ、黒伏山への稜線も良く見える。1290mの最高点を過ぎた先に白髪山の標識と3等三角点がある。狭い頂上だが展望はすばらしく、これからたどる寒風山への尾根が一望できる。自衛隊の施設ですぐ判別できる寒風山は以外と近くに見えるが、そこまでの尾根は起伏が結構ある。この先もトラ刈りだが良く刈り込まれていて、嬉しい誤算だ。笹の茎に滑らないように注意しながら下り、雪田が一部残る1142mを越すと道はやや右側を巻くようになる。

登り返した1100mには奥戸立山の標識がある。ブナ林と灌木帯を繰り返しながら1132m、寒風山とアップダウンの激しい尾根をたどる。厳しい道程だが、みちのくの山深い眺めは疲れを和らげてくれる。寒風山の3等三角点を見ると自衛隊の施設がある頂上広場に出る。ここからは道も歩きやすくなり、わずかに登り返しはあるものの概ね下りだ。995皿から尾根の右側を巻くようになり、やがてジグザグに急降下、皆フキだミズだと山菜採りに忙しい。沢に出るとまもなく関山トンネルの入り口に飛び出す。ここにはトンネルの横に赤い矢印があり寒風山の登り口を示している。広場にある公衆電話でタクシーを呼び作並温泉へ、8kだが交通量が多く歩けたものではない。作並温泉には手頃な公衆浴場がなく、山屋には敷居が高い大旅館でコソコソと汗を流しバス停前の酒屋でビールを買ってゴクロウサマ。

バスで仙台に出て新幹線組と各駅組に分かれて帰京する。静かな東北の山を満喫しました。

地形図:20万=仙台 2万5千=船形山、関山峠 昭文社=蔵王・面白山・船形山

  用:    浜松町BT~山形                    夜行バス                \6420

山形~大石田                        JR                        \650

大石田~御所山荘                  ジャンボタクシー        \10800

関山トンネル~作並温泉           タクシー                   \2250

作並温泉~仙台                     バス                      \1080

作並温泉/一の坊                    入浴代                   \1300

 

会津/大戸岳(本部合同)

  日:    6月23日(土)             前夜発日帰り

参加者:    澤田治之(CL),河崎正道(SL),松村佐代子(SL),輿水政子(SL),小原紀子,福屋鮎子,支部外16名                          計22名

  程:    23日(曇り)上野22:50=(パス)=闇川登山口4:15/5:00~主稜線7:05/7:15~風ノ三郎7:35~大戸岳7:45/8:25~天狗ノ休場9:25/9:40~深沢10:00/10:10~芦ノ牧温泉南駅11:15/11:30=(バス)=芦ノ牧ドライブイン11:40/12:45=日暮里17:30

大戸岳の登山コースとして、闇川と桑原の両集落からあり、毎年交互に6月第2日曜日、山開きの神事が催され、今年は6月10日闇川で行われると聞いていた。

そこで、日程を山開きの2週あと、当然道も刈り払い、整備されているだろうし標高差も≒150m少なく距離も短かい闇川コースから登ることにした。

マイクロバスで闇川の集落から右へ荒俣林道に入り、大戸岳登山口人口の標識のある橋のところで降車する。

トロロそばで朝食を済ませ、5時に出発。心配していた天候も、暗い雲だがところどころ切れて白く抜けている。何とかもちそうなので、バスを下山口の桑原(芦ノ牧温泉南駅)へ回すことにした。(雨の場合は往復する積り、桑原コースは下山にとりたくない)

すぐ尾根に取付く。左側斜面の中に山姥の石像が鎮座していた。道ははっきりしているが、昨日降ったと思われる雨で滑り易い。10分も登ると東側が伐採されて眺めの良いところに出る。心なしか空の色が少し明るくなってきた。ここから先はずっと樹林の中で、陽の射す時には緑陰が有難いだろう。まだ細いブナの木が葉だけは立派に繁らせている。

単調な尾根を1時間も登ると右の巻道に入る。巻道とは言っても、この尾根の突き当りのピークに出ないだけで、結構急登がある。冷たく美味い水場を過ぎ、沢状になった急なガレ道を登り切って右に回り込み、緩くなったと思ったら主稜線に出た。雲の中に入った様で展望は皆無。虫を払いながらの休みになる。

ここではっと、弁当をバスの中に置き忘れてきたのに気付く。最近、公衆の面前でお盆を引っ繰り返したり、ストックを忘れたりのドジが続くのは、トシの所為が。

しばらく尾根を行き、露岩の急登を過ぎ、尾根がヤセてくると小祠のある細長いピークに出る。風の三郎だ。風の三郎とは響きのいい名前である。会津地方の方言で風の神という意味だそうな。本来なら眺望が良い筈だが今日は相憎である。

風の三郎から僅かで大戸岳に着く。まだ8時前だ。小広い頂上の一端には小祠が置かれ、献上の御神酒の小ビンには中味が少し残っていた。小祠の前には1等三角点が埋められている。昼食と言いたいところだが、時間的には2回目の朝食、とらやの一口ヨーカンと大福で取る。

何も見えないので山座同定することもなく、食べ終わったら早々に下山とした。北へ大戸山に向かって一筋の切り開きがあり、案の定こちらは刈払い等はされていなかった。5万図には大戸山への道が記されているが、分岐を確認出来ないまま、いつの間にか大戸山が右に見え、弧を描くように西へ、更には南へと道は振れていった。

ブナの樹が目立つようになり、滑り易い急降下が続き、アスナロの大木が多くなってくると、天狗ノ休場と赤ペンキで書かれた大岩に出る。天狗様も休むのだから我々も休むことにする。

ここからも急坂が続き、やがて左から沢音が聞こえ深沢に降り立つ。冷たい水で顔を洗い汗を拭う。

闇川からの道に比較してあまり踏まれていない。逆コースの場合この登りはかなり辛そうだ。

始め右岸をいき、左岸に渡り、また右岸に戻り、やがて沢身を離れてトラバース道になり、小尾根を右に乗越し緩く下って支沢を渡る。更に桟道もあるトラバースが続き、段々と道が広くなり、そのうち里道になる。若郷湖が眼前に拡がる。神社横を過ぎ、畑の中を右方向に行くと、野岩鉄道の「芦ノ牧温泉南駅」前広場に出る。広場には昔の会津線時代の駅名「桑原」の標識が立っていた。

今日は山菜採りにも遭わず我々だけの山に終始した。また梅雨の真最中なので、雨の時の代案を考えていたが杞憂に終わった。

帰り際、「芦ノ牧ドライブイン」に立寄り、昼前から風呂(ここも我々の独占、風情はないが一応温泉、350円)に入る。お正月のようで誠に気分が良い。〈もっともこの頃は、毎月1~2回は正月気分を味わっているのだが)

あとはいつも通りのバスの中、賑々しく東京へ向かう。

 

丹沢/水無川・新茅ノ沢

  日:    7月1日(日)              日帰り

参加者:    森田隆仁(L),輿水政子,河崎正道,小梶昌弘,田島弘子,清水加代子,福屋鮎子  計7名

  程:    1日(晴れ)渋沢駅9:00=(車)=戸川林道戸沢山荘前駐車場9:30~新萱橋9:45~大棚下10:45~休11:10/11:25~休12:00/12:30~ガレ12:55~烏尾尾根13:00/13:30~戸川林道14:10=渋沢駅                                     

東北/焼石連峰

  日:    7月7~8日(土~日)    前夜発一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),小澤美喜代,河崎正道,小野恵子,山本文夫,宮澤恵子,山口康子 計7名

  程:    7日(晴れ)池袋22:40=(夜行バス)=水沢5:45/5:53=(タクシー)=中沼登山口6:56/7:30~中沼8:05 /8:10~上沼8:35~銀明水9:20/9:30~姥石平分岐点10:50~焼石岳11:15/11:25~姥石平分岐点11:45/12:10~東焼石岳12:40~六沢山13:00/13:05~手形分岐13:55~金明水14:20(避難小屋泊)

8日(快晴)金明水5:55~天竺山北鞍部6:15~サイノ河原7:10~経塚山7:35/8:00~御坪の松8:50/9:00~水場9:10~林道に出る10:35/10:40~夏油温泉(一浴)11:25/13:24=(タクシー)=北上14:05

池袋駅西口22:40発の花巻行きの夜行バスに乗車、都心の渋滞に巻き込まれ水沢には10分遅れで到着する。タクシーで中沼登山口まで入る。中沼登山口には広い駐車場ができ、トイレも新しくなった。

朝食をとり出発、東京の猛暑がうそのような爽やかな風が吹き抜ける。ぬかるんだ山道を登っていくと中沼のほとりに出る。横岳の稜線付近はガスに覆われているが、山腹の豊かな残雪、鮮やかな新緑、青空をバックに静かにたたずむ池が美しい。池畔を左からまわり、ハクサンチドリやヒオウギアヤメが残るお花畑から沢状の山道を登る。シラネアオイを見ながら小さな上沼を通過、ミズバショウやリュウキンカが目につくようになりやがて右折、横岳の山腹を巻くように登っていくと銀明水に着く。

冷たくおいしい水だ。右上の台地に建っている避難小屋は改築されたばかりで2階建ての明るくきれいな小屋だ。ここから雪田をいくつか横切りながらゆるゆると登っていく。ヒナザクラが咲く小湿地を通り、沢と化した山道を石伝いにいくと視界が開けてきて、焼石岳から東焼石岳、経塚山と続く山稜がおおらかな高原と共に姿を現す。姥石平分岐点で荷物を置いて焼石岳を往復する。チングルマやイワカガミを見ながら登り着いた頂上はガスが流れ、なかなかすっきりした眺めが得られないが、東は眼下に焼石沼を中心とした広大な湿原が広がる。泉水沼でヒナザクラの群生を見て姥石平分岐点に戻り、昼食後、金明水への道に入る。東焼石岳までは広大な高原歩きだ。尾根がはっきりしてくると石楠花が目につくようになり、六沢山を越えて大きく下ると鞍部で沢に出会う。尚もいくつかコブを越していくと1277mのピークの少し手前に手形分岐の道標があるが、手形山への道はわずかに痕跡が残るだけだ。ヒナザクラが咲く斜面を横切って今日の宿、金明水に着く。予想に反して先客はたったの2名、それならと避難小屋に泊まることにした。古いがしっかりした小屋、来年立て替えの予定があるようだ。水は豊富で遠くに栗駒山も見える良いロケーションだ。泊まり客10名。

2日目は快晴、天竺山北鞍部へは沢状の登り、残雪も所々あり、サンカヨウやシラネアオイ、キヌガサソウなどが美しく咲いている。鞍部を越すと細かい上下が続くが次第に展望が開けてきて、立派に立ち上がった経塚山と手形山が印象的だ。やや盛りを過ぎたチシマフウロが群生するサイノ河原から経塚山へは短いが急登、コメツツジの咲く斜面を登り切って頂上に着く。焼石岳から手形山、遠く和賀の山々、秋田駒ケ岳、裏岩手の山々、岩手山、早池峰山、栗駒山、虎毛山から高松岳の稜線と、正に絶景である。とても梅雨時とは思えない。夏油温泉への道は樹林帯に入るまでハクサンフウロやヨツバシオガマのお花畑だ。雪田の上端をたどるとまもなく樹林帯に入る。沢状でぬかっていて下りとはいえ厳しい。木道が敷かれた小湿原から尚も下ると御坪の松の道標を見てまもなく水場がある。

一旦緩やかになった山道がつづら折れに下るようになったら夏油川は近い。ロープの張られた岩場を下って赤い鉄橋を渡り急登すると林道に出る。この林道は最初少し登っていて気の抜けた体にはしんどい所だ。夏油温泉へ下りバス停前の温泉会館で汗を流し、稲庭うどんで打ち上げとする。タクシーで北上に出てガラガラの新幹線で帰京する。梅雨時とは思えぬ大展望を満喫した山行だった。

地形図:    20万=新庄 2万5千=石淵ダム、焼石岳、三界山、夏油温泉 昭文杜=栗駒・早池峰

  用:    地袋駅西口~水沢    夜行バス             \7440

水沢~中沼登山口    ジャンボタクシー        \12120

夏油温泉~北上       タクシー                   \7730

夏油温泉館             入浴代                   \400

 

 

丹沢/水無川本谷

      714()             日帰り

参加者    森田隆仁(L),河崎正道,合田英興,清水加代子,福屋鮎子 計5

  程:    14日(晴れ)渋沢駅8:00(車)=戸川キャンプ場8:40/9:00~本谷出合9:25~(F1)9:40~休10:00/10:10~(F3)10:25~書策新道11:05/11:15~休11:50/12:15~堰堤上12:45/13:10~表尾根13:30-塔ノ岳13:47/14:00~花立14:20/14:40~戸沢出合15:40

源次郎沢を中止にして、コースを本谷にしました。

 

北ア/有明山

  日:    7月15日(日)             前夜発日帰り

参加者:    中村精(L),松村佐代子, 冨重正樹 計3名

  程:    15日八王子0:29=穂高4:52/4:55=(タクシー)=黒川林道入口5:15/5:25~奥社登山口5:40~沢を離れる5:50/5:55~(1714m)8:20/8:30~落合9:52~有明山北岳11:45~三角点11:50~中岳11:55~南岳12:15~三角点12:35~北岳12:40/12:45~国民宿舎有明荘15:00/16:13=(タクシー)=穂高16:56/17:04=松本17:29/18:31=八王子20:36

急行アルプス「信濃大町」行の自由席は空いていて八王子でも座れたが、冷房の水が雨漏りのようになった騒ぎがあったので、よく眠れなかった。

この日は有明山の山開きで、麓の有明神社に集合し山頂の奥社まで登拝登山が行われるということで、穂高町の役場に電話した時、誘われたが、予定を変えないと集合時間には間に合わないし、気楽に登りたいこともあってお断りしました。が、予約したタクシーを降りたところで、白装束の神主さんを先導にした登拝登山の集団と出会ってしまい、結局、四つの班の人達と前後して登ることになってしまった。

黒川林道入口には何の表示もなかったが、15分歩くと石造りの奥社登山道入口の道標があり、そこからは黄色のビニールテープ状の有明山登山道と記された道標が所々に付けられていたので、迷う所はなかった。しかし、通行止めになっている以前のコースヘの分岐から丸木橋を渡ると、すぐ右の樹林の中の新しい登山道はすごい急斜面の登りが尾根まで続いていて、「ここを下る気がしない。」と話している。

一休みして登ると岩っぽい所も出てきて、急登は続く。休んでいる登拝の3,4班の人達の先に行く。1714m峰を過ぎると、登拝の人達もばらばらになって登っている。遅れている人もいる。元気なグループの後を行く。ガスっている。シャクナゲの花が咲いている。ササが茂る尾根を大きく回り込み1904m峰、少し下って登り、下る。人声が聞こえる。休んでいる人達がいる。標識がある。松川馬羅尾キャンプ場からのコースと合流する落合に出た。(松川コースは、ここまで緩やかだそうです。)

また急登が始まる。木の枝で作ったはしごもある。両手も使って登る。シャクナゲのピンクの花や赤紫色の蘭のような小さな花が癒しになる。私達3人の他は登拝登山の人達。落合で、「ここから戻るのは危なくてできないから、頂上まで登らせなきゃあ…」を聞いていたのに先に行かなかったので、ばてた人を連れた集団の後ろになってしまった。あと40分くらいで着くかなと思っていたのに、少し登ると渋滞して待つ。岩を乗っ越したり、はしごに出会ったりすると、また止まるで、最後の登りは大変疲れた。やはりこういう山でこういう集団が来る日は避けたほうがよい。

鳥居と祠のある有明山北岳は明るかったが、ガスっていて展望はなかった。人がいるので5分ほど行った三角点のある所で休む。中岳と南岳へ松村さんと富重さんが行ってくる間、広い石の上で昼寝をしていた。ガスの晴れ間から、ほんの一瞬だが中岳と南岳が見えた。登拝の人達は、まだ全員は山頂に着いていない。北岳に戻って下山を始める。登りよりもしっかりした道。しかし、ロープや針金のある岩場の急降下もある。木の根の出ているやせ尾根を下るとロープが固定されている所もある。中房からピストンしている人に出会う。夕立が降ってきたのでザックカバーをする。樹林の中の斜面をジグザグに下る。クマザサの中の急斜面の道はぬかっているのでよけいに滑りやすい、ササにつかまって慎重に下る。登山道の草刈りをしている人達に出会う、登拝の人達のことを聞かれる。町の関係者らしい。国民宿舎有明荘に着く。今朝出会った車が止まっている。びしょ濡れなので温泉に入る。

電話で呼ぶと、中房に来たタクシーがあってすぐに乗れたので、穂高駅で連絡がよく松本に出る。駅ビルの店で食事をし、18時31分発の特急スーパーあずさで帰る。

地形図:    2万5千=有明

  用:    穂高~黒川林道入口 タクシー\3700

有明荘~穂高                        タクシー\6840

 

北ア/唐松岳

  日:    8月9~11日(木~土)                前夜発二泊三日

参加者:    澤田治之(L),中村精,安村勝代,山本文夫,清水加代子,福屋鮎子 計6名

  程:    9日(雨)八王子0:29=信濃大町5:08/5:32=白馬6:01/6:20=(バス)=八方6:25~ゴンドラ乗場6:45/7:00=(ゴンドラリフト)=第1ケルン7:35~八方山7:55/8:05~八方池8:30~唐松岳頂上山荘10:40/10:45~唐松岳11:00/11:05~唐松岳頂上山荘11:15(泊)

10日(曇り後雨)唐松岳頂上山荘5:30~大黒銅山跡7:20/7:25~餓鬼山8:45/9:00~避難小屋9:45/9:50~餓鬼の田圃10:40/10:55~水場11:25~沢12:00/12:15~祖母谷13:15~欅平13:50(猿飛山荘泊)

11日(晴れ)欅平=宇奈月=魚津=長岡=東京

久し振りの夜行列車、急行アルプス号に乗る。最近はバスでの夜行山行が殆んどなので、随分と勝手が違う。先ず、明るい、車内放送が耳障り、通路を歩く人の気配が気になる等々。しかし、特急車輌を使用しているので座席は広くゆったりし、座り心地は頗る良い。

まんじりともしない内に列車は松本を過ぎ、終着駅信濃大町で乗り換え白馬駅で降車する。空はどんよりとして山の中腹以上は雲のヴェールでおおわれている。

駅から、乗る程でもない距離のバス〈100円〉を3,4分で降ろされ、ゴンドラ乗場まで20分も歩かされる。途中にある土産物店を通過させたい魂胆なのだろうか。

ゴンドラ、リフト2本を乗り継ぎ、第1ケルンまで上る。もう既にガスの中、リフトの時から雨具を着ける。濡れて滑り易いゴロタ石の登山道を往くと雲の上に抜き出た感じとなり、天気は回復するかに見えたが、何も映っていない八方池を上から眺め、ねじれた岳樺の樹林帯に入ると、雨模様になってきた。

丸山ケルンを過ぎ、土から石ころの道になり、尾根をはずれて岩稜帯をトラバースするようになると、突然霧の中にボアーッと小屋が現われた。唐松岳頂上山荘だ。荷を置き、雨と強風の中、唐松岳を往復する。

乾燥室に濡れた物を吊るし、ついでに身体と着衣も同時に乾かす。冷えた身体を中から暖ため、昼を済ませた頃、雨は止んできたので外に出てみたが雲は中々取れず、黒部の谷越しに聳える剣岳はとうとう全姿を見せなかった。山本さんも夕食過ぎまでカメラ片手にねばっていたが、諦めたようだ。10畳位の部屋に、我々6人と他グループ4人が入り、ゆっくり寝られる。

翌朝も上部の雲は取れていなかった。早い朝食を済ませ、山荘管理人からコース上の注意を聞き出発する。山荘下のテントを通り抜け、唐松岳南斜面の岩場をドラバースする。浮石が多く荒れている。

これから向う下部はいいのだが、丁度山荘から上部辺りからガスがかかり、唐松岳も五竜岳も白い布に包まれている。

岩場が終り、草付きになった時、後から突然悲鳴があがった。振り返ると、清水さんが斜面を転げ落ちているではないか。瞬間頭の中が真白になる。15m程落ちてうまく草木につかまり、停まったが、その下はゴロゴロ岩の枯沢になっており、危ないところだった。幸いカスリ傷も負わず、打撲もないとのこと。しかしこのあと2回程滑ったり、転んだりしたのは、2週前の南ア山行で痛めた足が完治していないのか。

唐松岳からの尾根に乗ると樹林帯になり、道もよくなって転落の心配も無くなる。ジグザグ降って木道のある池塘を見るとすぐ、小広い大黒銅山跡地に出る。

昭和45年発行の五万図=黒部では、道はここから餓鬼山を巻いて餓鬼の田圃に出ているが廃道になっており(入口も殆んど分らない)、現在は餓鬼山経由である。

餓鬼山へは小さなコブを2,3越えていくのだが、上に行くに従い尾根はヤセてくる。特に右側はスパッと切れ落ち、倒れた木の根の下の土が流され、からんだ根だけがヤセ尾根の上に残っていたり、鉄梯子があったりの結構キビしい道だ。そう言えば登っているのに、梯子は全てコブの降りについている。

餓鬼山頂上は3等点が置かれ、狭いが好展望地。小休止の後、降りにかかる。こちらは樹林帯になるが、ヤセ尾根の急降下に梯子が連続し、気が許せない。

尾根が広くなると勾配も緩くなり、鉄骨造のガッシリした避難小屋に出る。中にはシュラフが用意されているという。

ここから危険からは解放され、登山道左下にある餓鬼の田圃で休み、尾根とも腹とも分らない、如何にも熊の出そうなブナ林を往くと、いつしか尾根をはずれ、枯れた水場を過ぎると苔で滑り易い石ころ道を注意深く降る。

やがて沢に降り立つ。喉を潤おし、顔を拭い、雨具の泥を洗い落してザックにしまい、サッパリした気分で沢沿いに祖母谷温泉に向うが、数分もしない内に雨が降り出し、やがて本降りになり、頭上では雷鳴が轟き出した。えい、ままよと歩いたが、流石に途中で雨具の上衣だけ着けた。それでも体中ビショ濡れだ。どうせ今日の泊りは温泉だし、旅館だし、矢でも鉄砲でも持って来いと半ば開き直る。

高巻きを2度越すと、祖父谷の激流が見え始め、やっと林道に出た。数分で祖母谷と、対岸の祖母谷温泉に渡る橋の袂に出る。唐松山荘管理人から時間のチェックポイント2ケ所と、祖母谷温泉から無事下山の連絡をする様言われていたが、時間的にはかなりクリアーしていたし、大雨だったので、そのまま直行し、欅平の猿飛山荘から電話して貰う事にした。

民宿風の猿飛山荘では、部屋をゆったり使わせてもらえた。濡れたザックの中身を全部出し、部屋に干す(寝る部屋は別に用意してくれた)。

祖母谷の流れを眺めながら露天風呂で汗を流し、浴衣に着換え、畳敷きの食堂・大広間で、夕食までの時間、夕食後の時間もゆっくりと過ごす。また風呂につかり、?々とした時間の流れに身を任せる。これが至福というものだろうか。

翌日やっと晴れる。今日は帰るだけの日だ。食前、食後にやはり風呂だ。

欅平から1番とは言っても9時過ぎ、ガラ空きのトロッコ電車(上りは超満員)で宇奈月へ、更に電車で魚津へ、JRに乗り換え、長岡から新幹線で帰京する。

(ここでヒジョウに残念なことを1つ。ブナ林で採ったブナバリタケを山荘に預けたまま、帰りに忘れてしまった。大事なものは人に任せたら駄目ということか)

 

南ア/池山吊尾根~北岳

  日:    8月25~26日(土~日) 一泊二日

参加者:    冨重正樹(L).神之村均,前田省吾,笠原隆,矢澤孝二,武末範子 計6名

  程:    25日(曇り時々晴れ)八王子6:34=甲府8:11/8:21=(タクシー)=鷲住山入口9:23/9:35~野呂川発電所10:30/10:35~あるき沢橋11:20~池山14:20~池山御池小屋14:35(泊)

26日(曇り後雨)池山御池小屋5:30~砂払7:30/7:40~ボーコン沢ノ頭8:15/8:30~八本歯ノコル9:40/9:50~北岳10:45/11:00~八本歯ノコル11:35/11:55~二俣13:15~白峰御池分岐14:30/14:35~広河原ロッジ14:55/15:40=(バス)=甲府17:42

八王子6:34発の松本行きに乗車、甲府からタクシーで鷲佐山入口まで入る。入口にはっきりした道標がないのでわかりにくいが、「鷲庄山展望台」バス停から100mほど先の力一ブミラーがある所だ。

古い桟道などを通り、樹林に囲まれた鷲住山を緩やかに越えると野呂川までジグザグの急降下が続く。

送電鉄塔からは道幅が広がり、古くなった吊橋で野千呂川を渡る。渡った所で山道は右折しているが、昭文杜にも地形図にも記されているこの山道はすぐに荒れて消失してしまうので、左へ門を乗り越え発電所を通り、発電所の取付道路から野呂川右岸林道に出る。上流へ長短4つの真っ暗なトンネルを通り、バス停(以前は奈良田~広河原間にバスがあった)の名残がある「あるき沢橋」の手前から吊尾根の山道が始まる。笹が密生した原生林の急斜面を30~40分登ると炭焼き釜(?)があり、ここから下草が少なくなる。シラビソの原生林の中、急な山道を忍の一字で登っていくと次第に傾斜が緩んできて荒川出合からの尾根に乗る、1920m辺りだ。苔のじゅうたんが敷かれた原生林の広い尾根を緩やかに登ると池山の3等三角点を見て、なおもほぼ平坦な道を行くと、目の前がポッカリ開けて池山御池のほとりに出る。普段は単なる湿地の池山御池は数日前の台風で水をたたえていて、森の中の静寂なたたずまいが良い雰囲気だ。池の右側をまわり込んで対岸にある池山御池小屋に荷を置く。採光が悪く暗い小屋だが、造りはしっかりしていて、詰めれば20名ほど泊まれる。今日は我々6名の貸し切りだ。水場は小屋手前の水場標識のある所から往復1時間とのことなので汲みには行かなかった。

2日目、天気が下り坂なので予定を早めて5:30に出発する。北八ケ岳を思わせる原生林の広い尾根を緩やかに登っていく。急なジグザグの登りがあって、はっきりした尾根に乗ると、間ノ岳方面の視界が開けてくるが、今日は生憎ガスで見えない。城峰(2372m)で左折、少し下って森林限界の砂払までおおむね急な登りが続く。シラビソの原生林からダケカンバやナナカマド等の灌木帯になってくると突然という感じで砂払に出る。晴れていれば鳳凰三山や甲斐駒の展望台だ、、ハイマツの丘を緩やかに登っていくとボーコン沢ノ頭に着く。ド迫力で見えるはずの北岳のバットレスも今日は頭の中で想像するしかない。残念だ。ここにあるケルンを兼ねた道標には今はもう消失したルートや芦安からの前山越えが記されていて歴史を感じる。小さなコブを幾つか越して一登りした八本歯ノ頭から岩場や梯子を急降下すると八本歯ノコルに着く。ここからは「銀座通り」、さすが百名山だけあって天気が芳しくないにもかかわらず次から次へと登山者が登ってくる。ここに荷物を置いて軽装で北岳を往復、ビランジやナデシコ、キンポウゲ、トリカブト等の花がまだ残っていて目を楽しませてくれる。何も見えない北岳から戻って昼食後、大樺沢を下り始める。我々が尾根を外れるのを待っていたかのように雨が落ちてきた。梯子の連続で大樺沢に降り立ち、左岸沿いのガラガラ道をひたすら下る。8月末にもかかわらず思いの外雪渓が残っていて、お花畑もまだまだ見事だ。二俣の先で崩壊を避け右岸を高巻いて、再び左岸に戻り、白峰御池からの道を合わせれば広河原へは20分ほどだ。バスの始発である広河原口ッジヘ直接向かう(野呂川本流の吊橋は渡らない)、広河原ロッジの外来入浴は14時までなので(600円)、バスで甲府に出て解散後、希望者のみ城北温泉で汗を流し軽く打ち上げをして帰途につく。

地形図:    20万=甲府 2万5千=夜叉神峠、間ノ岳、仙丈ケ岳

  用:    甲府~鷲住山入口    ジャンボタクシー        \15000

広河原ロッジ~甲府   バス                      \1950

甲府/城北温泉         入浴代                   \350

 

高川山(本部合同)

  日:    9月15日(土)             日帰り

参加者:    河崎正道(CL),林徹(SL),小原紀子,松村佐代子,笠原隆,澤田治之,輿水政子,大関清充,宮澤恵子,

清水加代子,支部外11名                          計21名

  程:    15日高尾7:26=大月8:18/8:35~登山口8:50~むすび山9:00/9:05~オキ山9:35~天神峠10:00/10:10~田野倉分岐10:35~昼食11:30/12:15~高川山12:20/12:35~羽根子山13:00~神馬沢山13:10/13:20~大岩14:10/14:20~屏風岩14:30/15:00~初狩15:30

大月駅で参加者1名がまだ来ないので次の電車を待つが乗っていなかったので出発する。今日は大変蒸し暑い、むすび山の登山口は人家の庭先の前を通るのだが、芝生の登山道なので少し面食らう。

この時期人が人っていないのか、むすび山は草が生い茂る。カタクリの群生地らしいのだが何処にあるのか不明、それとここからの富士山の展望を期待していたが、雲が多く残念ながら見られなかった。

里山なので秋まつりの笛の音がすぐ下で聞こえる。もう季節は秋だと思うが今日はなんと蒸し暑いのだろう、天神峠など休憩しても風がなく、ゆっくり歩くが皆バテ気味。高川山は人気の山なので大勢で行くと座る所もないだろうと思い手前のピークで昼食を食べたが、山頂は10人位の人が居ただけだった、失敗した。

これから先は余り人が入って居ないのでヤブはひどいだろうと思っていたが、それよりも風の無い方が辛かった。大岩でも風なし、希望は屏風岩。

募集をした時は帰りに八幡荘で風呂に入る予定だったが、入浴費が1000円と高いので取り止めたので屏風岩で少し長めの休憩をとる。着いた時には風は無かったが我々の気持ちが届いたのか風が吹き始める。疲れがドンドンどれ、生き返っていく。

車道に出る手前で雨が降り始めたがすぐにやむ、初狩駅で解散、バンザイ。初めての本部山行のリーダー、無事、事故も無く山行が終わり肩の荷がおりた。これも支部の人達が大勢参加してくれたので気分的にずいぶん楽だった、本当にありがとうございました。八王子での打上げのお酒が非常に美味しかった。

元支部員だった亀井さんが参加、久し振りに皆さんに会え楽しかったのでこれからも本部合同には参加したいとのことでした。

 

北ア/笠ケ岳

  日:    9月22~23日(土~日) 前夜発一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),安村勝代,前田省吾,河崎正道,山本文夫 計5名

  程:    22日(曇り時々晴れ)新宿23:20=松本3:24/3:34=(タクシー)=槍見温泉5:04/5:35~徒渉点6:25~水場(2100m付近)9:05/9:10~クリヤノ頭直下10:10-雷鳥岩10:50~笠ケ岳13:05/13:40~笠ケ岳山荘13:50(泊)

23日(快晴)笠ケ岳山荘6:00~双六分岐7:00/7:05~杓子平7:45/7:55~笠新道登山口10:20/10:30~新穂高温泉(一浴)11:20/13:07=(タクシー)=松本14:54/15:14=八王子17:31

新宿23:20発のアルプス81号に乗る。以前は臨時のアルプスは直角椅子だったが、リクライニングシートに昇格していた。寝ぼけ眼のまま予約のタクシーで槍見温泉まで入る。予想より天気の回復が遅れているのか、ガスが深く垂れ込め小雨交じりの生憎の天気だ。足元が明るくなるのを待って出発、槍見旅館から山側を通る林道に出ると登山口の道標があり、これに従い山道に入る。山腹を巻きながら急登が続く。2ケ所目の平地から道は平坦になりまもなく徒渉点(1250m付近)に出る。前日の雨で増水を心配していたが、思っていたよりも小さな沢で部分的にロ一プも張ってあり、ロ一プにザックを引っ掛けて滑り靴を浸水させた係以外は皆難無く通過する。雪解けの時期や大雨の直後でない限り渡れそうだ。クリヤ谷の左岸を巻きながら登る。沢に降りる踏跡がある錫杖沢出合付近からは晴れていれば錫杖岳の勇姿が素晴らしいはずだが今日は何も見えない。右岸へ一往復する所にクリヤの岩屋がある。沢を離れブナ林の緩やかな斜面がしばらく続いた後、クリヤノ頭への長い急登が始まる。上部で草付きになるが岩っぽい所もあり厳しい登りだ。時々晴れて錫杖岳が頭だけ顔を出している。森林を抜けるとまもなくクリヤノ頭の左側を巻くようになる。この先尾根の右側は概ねガレて急峻なので左側を巻いていくがハイマツの中の大岩がゴロゴロした道で歩きにくい。道の両側に大岩があってどちらが本物がわからない雷鳥岩から少し下り笠ケ岳の肩(2780m)へは急登だ。尾根上を行くようになるとようやくガスが切れてきて笠ケ岳が見えてくる。ここから見る笠ケ岳はきれいな三角錐の険しい山容だ。肩まで登り着くと眼下は一面の雲海、白山が浮かんでいる。最後の一登りで笠ケ岳に着く。

ガスが時々去未するものの屏風のように連なる北アルプスは圧巻、特に雲海の上に一一面灰色の険しい山腹を剥き出しにした槍・穂高の稜線が素晴らしい。直下の笠ケ岳山荘で小屋組とテント組に別れて泊まる。テント場の水場は涸れていて小屋で水を補給する(無料)。夕方には北アルプスが全貌を現わし、最高のロケーションを心ゆくまで楽しむ。しかし寒い。

2日目は快晴、冷え込んで氷点下5度まで下がる。雲ひとつない真っ青な空の下、双六分岐まで稜線漫歩を楽しむ。笠新道の下降点は従来の道がガレで崩れたのか500m程抜戸岳寄りに変わった。分岐からは尾根上をカールヘ下るように道がついていてこちらの方が安全だ。少し色付き始めた杓子平で笠ケ岳は見納め、笠新道の長い急降下が始まる。上部は大岩を飛ぶような所もあり厳しい下りだが、昨日のクリヤ谷ルートの方がもっときっかったせいか、皆スイスイと下っている。恐ろしいメンバーである。それにしても対向者の多いこと、連休の中日ということもあるが黙々と笠新道の急登に挑んでいる。ダケカンバの林から草付き、そして深い樹林へと入っていく。丸太のベンチを見れば登山口までは15分ほどだ。新穂高温泉までの林道歩きも岩屏風が目を楽しませてくれる。バス停前の「アルペン浴場」で汗を流し、予約のタクシーが来るまで食堂や屋外で打ち上げ、足浴できる所があり笠ケ岳を見ながら気持ちよく時間を過ごす。タクシーで松本に出て帰京する。尚、今回割引をしてくれるタクシー会社を紹介して下さった林支部長に改めて御礼中し上げます。

地形図:    20万=高山 2万5千=笠ケ岳

  用:    笠ケ岳山荘                           1泊2食付  \8500

笠ケ岳山荘                           テント1人  \500

松本~槍見温泉                     タクシー     \19000

新穂高温泉~松本                  タクシー     \17500

新穂高温泉アルペン浴場          入浴代     無料

 

東北/滑川温泉~西吾妻山

  日:    10月13~14日(土~日)             一泊二日

参加者:    冨重正樹(L),山本文夫              計2名

  程:    13日(晴れ後曇り)東京6:32=福島8:00/8:18=峰8:48/8:50=(車)=滑川温泉9:06/9:15~大滝展望台9:30/9:45~姥湯分岐11:05~潜滝下11:25~金明水12:40/12:45~弥兵衛平小屋13:00(泊)

14日(晴れ)弥兵衛平小屋5:55~東大嶺分岐6:20-藤十郎7:10/7:20~人形石8:05~梵天岩8:55~西吾妻山9:20/9:30~西吾妻小屋9:40~西大嶺10:15/10:20~西吾妻小屋10:50/11:00~若女平12:30~白布温泉(一浴)13:30/15:03=(バス)=米沢15:44/15:59=(福島乗り換え)=東京18:36

各自新幹線に乗り福島で合流、米沢行きの普通電車で峠駅まで入る。車窓から見る吾妻連峰は遠目にも中腹が赤く染まっていて期待が膨らむ。峠駅から滑川温泉まで歩くつもりで車道を登り始めたら滑川温泉の車に拾われる。電車の時間に合わせて泊まりや日帰り入浴の客を送迎しているようで、温泉に入らない登山者も利用可能な送迎車だ。おかげで約1時間の貯金と体力を温存できた。滑川温泉は山の中の鄙びた一軒宿で紅葉の山々に囲まれた風情が良く、是非泊まってみたい。宿の上方にある吊橋を渡って山道に入る。大滝展望台までは山腹をジグザグに緩やかに登っていく。尾根に出た所が大滝展望台だが右下へ3~4分下ると滝壷まで見える。盛りの紅葉が映え、大滝が見事な簾になって水を落としている。これだけでも一見の価値あり。ここまでは観光客も来る。展望台に戻り、少し尾根を登った後、長いトラバースの道に入る。所々崩れて高巻きがあるが道は良く整備され歩きやすい。

周囲の紅葉を楽しみながら姥湯の分岐を過ぎ、潜滝の下で沢を渡るとまもなく尾根への登りが始まる。

一頻り登って緩やかになるとぬかるみが多くなり、所々木道が敷かれている。草原状の金明水で水を汲めば小屋までは15分ほどだ。きれいで大きな弥兵衛平小屋に荷を置く。晴れていれば弥兵衛平や東大嶺辺りを散歩するつもりだったが、ガスと冷たい強風のため、結局小屋で酒盛りとなった。

2日目、快晴の下縦走路へ。早朝で真新しい木道はうっすらと凍り、恐怖の滑り台と化す。縦走路を西吾妻山へ向かう。広大な草原はきっね色に染まり、どこまでも続く穏やかな尾根に心が和む。凍った木道とドロドロの道に気を使いながら藤十郎を過ぎ人形石へ。広い台地に岩がこつとつとした人形石まで来るとリフトを使った軽装の登山者が目につくようになる。梵天岩の先で道が二分、西吾妻山へは左の道に入る。登り着いた西吾妻山は吾妻連峰の最高峰だが樹林に囲まれ展望はない。広い草原に建つ西吾妻小屋に荷を置き、西大嶺を往復する。茫洋とした山が多い吾妻連峰の中で西人嶺はちょっとピークらしいピークだ。水場がある鞍部から一登りで西人嶺に着く。磐梯山方面はガスがかかり見えないのが少し残念だが、眼下に磐梯高原の湖が見える。この先、デコ平、早稲沢、白布峠と3本の道が下っている。西吾妻小屋に戻り白布温泉へ下る。巻き道を少し人形石方面に戻り白布温泉への道に入る。沢状のぬかるみが延々と続く、なかなか厳しい下山道だ。若女平まで降りてくると、また見事な紅葉に出会う。ダケカンバやブナが広がる穏やかな尾根に心洗われる思いだ。若女平からは道も歩きやすくなり、尾根を外れて急な下りとなり有料道路に出て少し下ると白布温泉に着く。風情のある西屋旅館で汗を流し、食堂で軽く打ち上げをして米沢へ向かうバスの人となる。

地形図:    20万=福島 2万5千=天元台、吾妻山、白布温泉

  用:    峠~滑川温泉                        送迎車無料

白布温泉~米沢                     バス\780

白布温泉/西屋旅館   入浴代\400

 

大菩薩/お坊山~笹子雁ガ腹摺山

  日:    1021()         日帰り

参加者:    笠原隆(L),坂口恒夫,河崎正道,大関清充,小野恵子,武末範子         計6名

  程:    八王子=笹子7:56/8:00~東尾根登山口8:25/8:40~入道山9:35/9:4010:10/10:20~東峰10:45/10:57~お坊山11:056/11:40(昼飯)~米沢山12:05/12:15~笹子雁ガ腹摺山13:05/13:20~新田14:15/14:20~笹子14:57/14:59=八王子

笹子駅から吉久保入口バス停を左に入り中央自動車道の陸橋を渡ったところで左折し、坂を下ったところをまた左折する。そこから、50mくらい先がお坊山への一般登山道となる。その先20mのところを北西に向かって登る。

道悪ので赤テープが時々目につくが、無視して登る。ほどなく鉄塔に着く。ここから先は一般登山道となり、左右ナラの木の自然林で気持ちの良い道が続く。

棚洞山と東峰の山頂が急登で地形図で見た目より疲れる感じの尾根かも。

お坊山で昼飯にする。我々6人だけ。

米沢山の下りは急下降の鎖場があり慎重に下りる。途中3つほどピークを越えると笹子雁ガ腹摺山の山頂に着く。一休みしたあと、急坂を一気に下る。

笹子駅に着いてすぐ大月行き列車に乗り、大月駅で始発電車に乗換え帰る。

 

丹沢/栗ノ木洞(本部合同)

  日:    10月28日(日)           日帰り      小雨

参加者:林徹(CL),中村精(SL),森田隆仁,神之村均,河崎正道,小梶昌弘,矢澤孝二,宮澤恵子,

支部外5名 計13名

  程:    新松田8:04=(バス)=宇津茂8:26/8:45~あずま屋9:10/9:15~櫟山10:15/10:29~栗ノ木洞10:41/10:55~県民の森を下る~真新しいあずま屋11:30/12:00~県民の森芝生広場12:12/12:17~大倉13:30/13:38=(バス)=渋沢13:50

天気予報で昼頃から雨、午後は雷雨と伝えられたためか、15名が4名、バスを下りた所で加わった富樫さんを入れて5名が支部外の人だった。城北支部の椎谷さんは2回目の参加である。大関さんは新松田のバス停まで来て帰る。寄に入ると雨が降ってきたので、バスを下りると雨具をつけ傘をさして歩き始める。暑いので、あずま屋の所で上着をぬぐ。ここからの細い山道は薄暗い。鹿よけの扉が2つあり、開けて通る。中山からの道と会う。いったん林道に下りて向かい側の階段を登る。石仏がある。急な登りが終わった所で一休み。県民の森の峰に入る。また急な登り、平らになった所が櫟山、薄暗い樹林の中で三角点?もある。記念に写真を撮る。下りる道もあるが、20分ぐらいなので栗ノ木洞まで行くことにする。やがて草原が広がっている栗ノ木洞、大きな松の木の下で休む。少し歩いて標識の⑤栗ノ木洞からのコースを下ることにする。落ち葉が散っている道はぬかっていて急で滑りやすく、所々が階段になっている。右手にジグザグに下ると林道に出た。真新しいあずま屋の中でゆっくり休む。ここの紅葉は赤くて良い。林道を少し登って行くと芝生広場への道があり下る。途中の沢を渡る所で鹿の声を聞く。芝生広場には人がいた。下りて沢を渡って登り返すと林道、大倉へと歩く。すぐのバスに乗って渋沢駅へ。北口のいろは食堂で、支部外の2人を交えて2時間ほど打ち上げをして帰る。雨はまだ降っていた。(.中村 記)

 

奥多摩/大栗山~板形ノ峰

  日:    11月1日(木)             日帰り

参加者:    澤田治之(L),木村真知子,魚谷寿美枝,山口康子           計4名

  程:    1日(晴れ)立川6:50=奥多摩8:01/8:10=(バス)=日原鍾乳洞8:43~賀郎橋10:15~尾根出合11:35/11:45~巡視路12:05~板形ノ峰13:05/13:45~(1225m圏)14:15~カロー谷(巡視路)14:55/15:05~賀郎橋15:20~日原鍾乳洞16:00/16:20=(バス)=奥多摩16:53

メッチェン3名と連れ立ち、ルンルン気分で紅葉と渓谷美を楽しみながら小川谷村道を歩いていると、ライトバンに乗った工事人と思しき男が、この先土砂崩れがあり通行止だと仰る。まあ、何とかなるさと、賀郎橋を過ぎ2kの道路標示板まで来ると、件の男が通せんぼをしている。見ると、確かに林道が巾20m位にわたり、日原川まで完全に土砂で埋まっている。右の山側急斜面が高さ100m以上崩壊し、その岩肌が生々しい。

男によると、やっと機械を山に上げ昨日lから工事に入ったという。落ちそうな岩は全て落として終い、その上で川側に仮歩道をつくるとのこと。

ならば仕方ない、男と相談の上、日原川まで下って徒渉し、対斜面を沢床から10m程度よじ登り、然る可きところからまた林道に戻るべく、トラバースし始めた。

弱く安定してない地肌に、生と枯れた木枝が足の邪魔をする。崩壊現場の丁度真向いまで来た時、はるか上の方で作業機械がガリガリ岩を落としているのが見えた。

岩と岩がぶつかる凄まじい音と、その落ちる様には迫力がある。中にはバウンドして日原川の流れに、ドボン、ザブン、バシャンと派手に飛び込む奴がいる。まさか我々の立っているところまで、岩が跳ね上がってくるのではと足元を見たが、それらしき破片はなかった。

この先、目途がたたないので、大栗尾根~大栗山を諦め、下山の積りだったハンギョウ尾根を登ることとし、もう一度徒渉し直す。林道まで這い上り、賀郎橋まで戻る。残念ながら何とかならなかった。

すぐ尾根に取付く。意外とよく踏まれている。朝の柔らかい陽が徐々に射してきて、秋の色を纏った木々の葉が映えて美しい。

この尾根は登るにつれて急になる。尾根をまたぐ水源巡視路を過ぎるあたりからは更に急になり、かつ広くなる。殆んど尾根の形状をなさなくなった斜面になると踏跡が消えた。

杉の植林帯が終り、見通しのきく気持ちの良い広葉樹林の中、時々燃えるようなモミジの紅葉に歓声が上がり、急登の辛さがまぎれる。

山口さんが以前このコースを歩いたとのことで、何かと心強い。フットもヘッドも確かだ。1150m圏で、1086m峰からくるゆるい尾根に乗るとそれらしい踏跡がある。大体に踏跡というものは、尾根が広いところははっきりせず、狭くなると歩くところが収斂するから自然と道が出来ていくものだ。

小休止して腹に物を詰め東に向う。1200m圏から尾根が北に曲るあたりで、右に下る顕著な尾根を見る。古い赤布が枝にぶらさがっていた。枯れたスズタケが疎らになった中に、一筋の細い道が切ってある。

しばらくで広い巡視路を右から合わせる。この巡視路は、尾根のゆるいところは尾根にとり、きつくなるとほぼ右側(東側)に巻くことを繰り返している。(最後は西側にとり、一直線に長沢背稜に突当る)

我々はといえば、ただ只管、忠実に尾根の真中のスズタケをかき分ける。そういえば、この尾根に乗ってから、何のお呪いか知らないが、5~10m間隔で巾狭の長い白テープがずうっと天辺まで樹にぶらさがっている。目障りだが、あまりに多いので取ることもかなわず、無視することとした。

2,3のピークを越すと縦走路に出た。そのまま横切り、20m位いった僅かに高いところが板形ノ峰。(2万5千図、昭文社にも山名の記入はない)テープも標識もないが、高度計は1555mと表示している。(2万5千図では1553m)前後にここより高いピークがあるから、縦走路を歩いていても見過ごしてしまう、尾根のちょっとしたふくらみだ。

昼食中に下山路を考える。酉谷山方面には行けないし、ヨコスズ尾根は長いので、結局またハンギョウ尾根を下ることとした。

今度は尾根をはずし、7,80m程西にいったところから楽な巻道(巡視路)に入る。快適に歩き、左のカロー谷に向う巡視路を捨て、先刻見た赤布のある辺りから、南南微東に延びる尾根を探ることにする。

地形図通り、登った尾根より勾配が緩い。左側に引き込まれないよう気をつけ、倒木で歩きづらい植林帯から右の尾根に乗り換える。

やがて沢音が聞こえ、予測通りカロー谷右岸につけられた巡視路に出た。巡視路は上流に向っており、恐らく先程捨てた路につながっているのであろう。

よく見ると、登り口に白柱が立ち、赤テープが巻かれている。(途中ではテープ類は全く見なかったので、入口と出口にエフがあったことになる)

あとはこのまま下って賀郎橋に出、山を終える。

奥多摩の小さな尾根に遊んだ一日であった。

 

大菩薩/大蔵高丸南西尾根

  日:    11月4日(日)             日帰り

参加者:    冨重正樹(L),森田隆仁,小原紀子,河崎正道,長江唯志,矢澤孝二,山本文夫,宮澤恵子,武末範子          

計9名

 程:    4日(晴れ)八王子6:34=甲斐大和7:41/7:46=(タクシー)=天目トンネル7:54/8:05~取付点8:20-(1453m)9:10~巡視路分岐9:30~大蔵沢源頭鞍部10:30~大蔵高丸11:20/12:00~破魔射場丸12:20~光背負峠12:55/13:00~大蔵沢林道13:30/13:35~やまと天目山温泉(一浴)14:35/15:42=(タクシー)=甲斐大和15:53

八王子6:34発松本行きに乗り、甲斐大和から予約のタクシーで天目トンネル入口(大蔵沢林道入口)まで入る。舗装された大蔵沢林道を緩やかに登っていき、大蔵隋遂道を出た所で右の送電線巡視路に入る。植林の中、急坂を登っていくと1本目の送電線(203号)に着く。振り返ると白く雪を纏った富士山、南アルプスも上の方は白くなっている。そして周囲の山々は紅葉が盛りだ。しばらく錦秋とでも呼べそうな美しい樹林を通り、再び植林との境を急登すると2本目の送電線(202号)に出る。ここからは傾斜も緩やかになり落葉松と自然林の境を行くようになる。緩やかに1453mを越し、201号送電線へ向かう巡視路と分かれ尾根上の踏跡を追うと、まもなく気持ちの良い自然林の尾根になる。下草の全くない落ち葉の積もった尾根は心を穏やかにしてくれる。しばらく進むと1610mの手前辺りから笹が出てきて、次第に濃くなってくる。1610mで右折、膝くらいの笹を漕いで、緩やかに小ピークを2、3越す。行く手に大蔵高丸が高く大きい。左手に大菩薩嶺を見ながら急降下して大蔵沢源頭鞍部(1550m)に出る。大蔵沢から上がってくる昭文社の破線の道は既に消失、ここから大蔵高丸への最初の急斜面は背丈ほどの笹が密生していて、獣道を注意深く追うが、厳しいヤブ漕ぎを強いられる。15分ほどで斜面を抜けると一旦緩やかになり笹もおとなしくなってくる。ここには字がほとんど消えた古い道標がある。再び急坂を登り切ると大蔵高丸の頂上台地に出て南面が大きく開ける。尾根上の踏跡を拾って大蔵高丸に着く。秋の好天の一日、ハイカーで賑わっている頂上は風が冷たいので、少し南へ下った樹林の中で昼食にする。吸い込まれそうなほどの真っ青な空だ。ここから米背負峠までは気持ちの良い樹林と草原が交互に現れる、大菩薩の中でも出色のコースだ。天下石から一下りで米背負峠に着く。大月側はテープはあるものの道形は既にない。道標に従い米背負沢を下る。新しい道標と赤テープは目につくが、ヤブがなくどこでも歩けるせいか少し道が不明瞭だ。パステルの紅葉の美しい自然林を下り、植林帯になると道ははっきりする。行く手に落葉松林が黄金色に輝いている。

大蔵沢林道に出た所で下流に踏跡を探したがわからないので、大回りになるが林道を下ることにする。

紅葉に彩られた林道を気持ち良く下り、天目トンネルを潜ってやまと天目山温泉で汗を流す。好天の週末、温泉は人で賑わっていた。タクシーで甲斐大和に戻り帰京する。

地形図:    20万=甲府 2万5千=笹子、大菩薩峠

  用:    甲斐大和~天目トンネル           タクシー     \2410

やまと天目山温泉~甲斐大和    タクシー     \2490

やまと天目山温泉                   入浴代     \700

 

丹沢/大室山~蛭ヶ岳~本間の頭

  日:    1110日~11日(土~日) 一泊二日

参加者:    笠原隆(L),河崎正道,小野恵子,宮澤恵子,武末範子,  計5

  程:    10日 藤野=月夜野=椿大橋~大室山~日蔭沢新道~神ノ川ヒュッテ

11日 神ノ川ヒュッテ~広河原~地蔵新道~蛭ヶ岳~丹沢山~本間の頭~金沢橋~宮ヶ瀬=本厚木

 

滝子山   (本部合同)

  日:    1118日(日) 日帰り            晴れ

参加者:    CL森田隆仁.SL林徹,SL冨重正樹,SL輿水政子,松村佐代子,木村真知子,神之村均,前田省吾,

澤田治之,河崎正道,小梶昌弘,大関清充,長江唯志,宮澤恵子,武末範子,清水加代子,福屋鮎子,          

支部外15名  計32

  程:    八王子6:55=笹子7:56/8:08~南稜入口8:40/50~林道9:08/15~休9:50/10:00~稜線11:25/55(滝子山往復)12:35~浜立山12:52~1246㍍P13:20/30~大鹿林道(道証地蔵前で解散)14:15~笹一酒造~笹子

初めての本部LS山行早くなったり遅くなったり不調の方が出たり休みの取り方等30名もいるとなかなか難しい。リーダーをやっている方の苦労が良くわかり、皆様のご協力有難うございました。

帰りに新酒祭中の笹一酒造により、タダ酒をしこたま飲ませて貰い、2002年もこの時期にこの辺りの山へと思案しています。

紅葉には遅かったですが、晴れて暖かく良い一日でした。

 

山伏-八紘嶺

  日:    1123日~24日(土)快晴

参加者:澤田治之(L),鈴木いつ子,小原紀子,矢澤孝二,清水加代子,伊藤さん     6

  程:    23日新横浜6:54=静岡8:00/8:37=新田10:20/10:25~西日影沢登山口11:20/11:40~よもぎ峠13:05/13:20~小屋分岐14:50/14:55~山伏15:00/15:15~山伏避難小屋15:30(泊)

24日 山伏避難小屋5:35~山伏6:00~大平沢の頭(1923㍍峰)7:10/7:15~新窪乗越7:30/7:40~大谷崩の頭8:25/8:50~八紘嶺10:20/10:40~富士見台11:30~林道(峠の香和家)12:10/12:15~安倍峠12:25/12:40~林道13:50~梅ヶ島温泉(一浴)14:00/15:29=静岡17:30

梅ヶ島温泉手前の新田でバスを降り、山伏から南へ伸びる稜線を眺めながら紅葉の林道を西日影沢登山口まで歩く。11月も下旬としては暖かい。こういうのを小春日和というのだろう。

登山口で昼食としてから、わさび田のある沢沿いのよく整備された道をゆるゆる登り、最後の水場からチョイと急登を過ぎるとそこがよもぎ峠。樹間から上河内岳方面が望まれる。

ここからは尾根道となるが、急なところは巻いている。乾燥しきって少々埃っぽいが、ぬかるんでいないので滑らなく歩きやすい。

明るい広葉樹林帯から針葉樹林帯が出てくると勾配もゆるくなり、主稜線に出る。小原さんが直接避難小屋へおりるというので水汲みを託し、残ったメンバーで山伏を往復する。

頂上では南アの重鎮たちが午後の斜光を受け、少し白くなったスカイラインを蒼天に描いている。手前の好展望地からは、富士山と明日歩く大谷嶺のすさまじいガレ場から八紘嶺への稜線がよく見える。

寒くなってきたので小屋へおりる。今夜の泊まりは25人程度。3連休の初日としてはまあまあだ。今夜の夕食は、伊藤さんが野菜炒めとビーフンを用意してくれたので、いつもよりバラエティーに富んでいる。いろいろつまんでいるうちに腹がいっぱいになり、持参した白飯やカレーはとうとう食べずじまいだった(翌日その分を持ち歩くことになるのだが)。

翌朝まだ暗いうち、満天の星空の下小屋を出る。山伏に着くころには空にも明るさが増し、ヘッドランプをはずす。

いよいよ縦走に入る。広く刈払いされたゆるい降りと登りを繰り返し、新窪乗越に出る。小休止とし、大谷嶺への登りにそなえる。ここからの大光、十枚、真富士そして竜爪の山なみが折からの陽光のシルエットとなり、墨絵のように天空に浮かんでいる。朝の爽やかなひと時だ。昔ここで見知らぬ静岡の人からとても美味しいお茶を馳走になり、葉を土産にいただいたのを思い出す。

急登で2、3のピークを越えると大谷崩の頭に出る。ここも眺めの良いところ。2,000㍍にほんのわずか届かないが、2000年にちなんでの記念登山のプレートが埋め込んである。

ほかの2パーティもやって来た。笊ヶ岳の双耳峰と布引山がますます大きい。(縦走中、この2ピークがずっとついて見えている。)

ここまでが曽遊の地で、ここから八紘嶺までトレースするのが、私の今回の主たる目的である。

あい変らず良い道が続くが、八紘嶺の少し手前で俄然稜線が細くかつ岩っぽくなり、キレット状のところを緊張しつつ通過する。スタンスの狭いところをトラバースするが、ロープも張ってあるので、ゆっくり進めば心配ない。

八紘嶺に着いてほぼ目的を達成する。七面山から単独の女性がやって来た。

ここからは緩急交えて尾根をおり、富士見台から梅ヶ島温泉へ直接行くのが普通だが、安倍峠へ稜線を通したいので、ぐるっと回遊することとする。富士見台から無理に尾根に上がったが、笹が多くトレースがないので、時間的な問題もあり、また戻って少し降りたところから巻き道を行き、また尾根に乗り、やがて林道の香和家(WC)に出る。ここからも尾根をあきらめ林道を少し歩き、安倍峠へとつなげた。

残りのものを腹に詰め、気分の良い昔からの峠みちを逆川ぞいに歩き、もう一度林道に出てからは一気に梅ヶ島温泉へとおりる。

梅薫楼で断られたので、手前の自炊民宿で部屋を借り、一浴休憩をする。他の客から差し入れもあったりした。

さっぱりしてバスの人となり、静岡駅では直帰組以外の4人で駅横の旨い回転寿司屋で腹を満たしてから帰る。

甲府北部/中津森~黒平峠

  日:    1124()         日帰り
参加者:   
冨重正樹(L),神之村均,河崎正道,長江唯志,山本文夫,武末範子,山口康子,福屋鮎子         8
  程:    24(快晴)八王子6:34=甲府8:11/8:16(タクシー)=板敷渓谷入口8:48/8:55

中津森10:45/10:55(1344m)11:15~御巣鷹山12:30/13:00~水ケ森林道13:55~黒平峠14:05~林道に出る14=45/14:55~塩平15:15/15:37(タクシー)=塩山温泉15:58

八王子6:34発松本行きに乗り、甲府駅北口からタクシーで板敷渓谷入口まで入る。板敷渓谷大滝への遊歩道に入り、すぐに対岸に渡り鉄筋の梯子を登った辺りが尾根への取付点だが、踏跡は無いので自然林の中の岩場交じりの急斜面を岩場を避けながら這い登る。尾根までは15分ほどだが滑ったら多分渓谷まで止まらないと思われるので慎重に歩を進める。

尾根上にはケモノ道と思しき踏跡が通っている。ケモノもジグザグに登るほど急な尾根を忍の一字で登っていくが、手つかずの林の美しさに思わず見惚れてしまう。1150m辺りから続く広い斜面をやや右目にルートを採ると、次第に傾斜は緩んできて1350m付近のはっきりした平尾根に出る。ここから右に回り込んで密な灌木帯になってくると中津森の頂上に着く。樹林に囲まれて展望はないが静かな好ましい雰囲気がある。緩い双耳峰になっていて、御巣鷹山へは東峰ヘシフトしてから下るのだが、灌木が密生していて尾根上は辿れないので、来た道を少し戻り気味に進みスイッチバックして東峰へ向かう。東峰の一端に乗った所で、再びスイッチバック気味に下る微かな踏跡を追うと御巣鷹山へ向かうはっきりした尾根に乗り、灌木帯から解放される。1344mで左折、防火帯のような切り開きを少し下り赤テープがある所から右へ下ると広い鞍部に出る。尾根の左側に笹の下生えが出てきた自然林の急な尾根を笹をかき分けながら登って1400mのピークを越え、次の岩峰となった1470mは尾根の左側を巻く。尾根に戻ると左側が大きくガレた所に出て、茅ケ岳から黒富士、そして金峰山のスカイラインが望める。落葉松林の中を急登すると樹林の中、ポツンと3等三角点がある御巣鷹山に着く。ここも中津森同様、静かな好ましい頂上だ。

ここで昼食後、少し下ると尾根の右側が落葉松の若木帯となり、甲府盆地、御坂山塊、そして富士山が望める。周りの山々はどこか牧歌的だ。落葉松林を下ると黒平峠道の破線が合流するだだっ広い鞍部に出て、尾根はおおらかな自然林の覆われる。黒平からの峠道は全くわからない。板敷渓谷の源流の一部になっていて冬枯れのこの時期でも水流がある。

ここから1545mへの尾根に乗るつもりが、間違ってひとつ右の支稜を登ってしまったが、水ケ森林道の手前で目的の尾根に合流する。水ケ森林道に出た所には「やまなしの美林100選、奥仙丈のクリ林」と書かれた標識が立っている。ここまで結構ハードな行程だったので1545mは割愛して、水ケ森林道を歩いて黒平峠に出る。林道が尾根上に出た所が黒平峠、沢に向かって斜めに下っていく峠道に入る。沢に出た所で沢沿いに下るのが本来の峠道だが、ヤブがひどいので、沢を横切って小尾根に乗る作業道を採り、小尾根に出た所で下に見える堰堤に向かって小尾根を下る。堰堤を巻いてしばらくは峠道ははっきりしているが、やがて笹ヤブに覆われるようになる。足元の道形を確認しながら進むが、イバラもあり結構大変だ。右下に見えるブナヨコテノ沢からの踏跡を合わせると道ははっきりする。ブナヨコテノ沢を渡り植林の中を少し辿ると荒れた林道に出る。峠道の入口に目印はない。林道を20分下って塩平の集落で山行は終わる。

バスの待ち時間が長いので公衆電話でタクシーを呼び塩山温泉へ直行、ヤブほこりと汗を洗い流す。ちょっと「ケモノ」になった一日だった。

地形図:    20=甲府 25=茅ケ岳、川浦

  用:    甲府~板敷渓谷入ロ                タクシ-    \5220
塩平~塩山温泉                     タクシー    \4420

塩山温泉/宏池荘                    入浴代     \300

 

甲府北部/笠無~雨竜山

  日:    121()             日帰り 晴れ
参加者:   
冨重正樹(L),神之村均,輿水政子,河崎正道,矢澤孝二,山本文夫,武末範子,山口康子         8

  程:    八王子6:30=日野春8:42/8:46(タクシー)=海岸寺峠9:12/9:25~海岸寺山9:40~笠無10:55/11:10~比志ノ塒12:00/12:30~大尾根峠13:30~雨竜山13:50/14:00(15分ロス)~越道14:55/15:00~和田15:25/15:40(タクシー)=日野春16:02

八王子6:34発松本行きに乗り、日野春からタクシーで海岸寺峠まで入る。赤テープに従い灌木がうるさい尾根を登っていく。峠のすぐ上に石仏がある。登り着いた海岸寺山には3等三角点があり、樹間から雪を纏った八ケ岳が望める。行く手に笠無はまだ高い。気分の良い自然林から植林帯となった尾根をゆるゆると登っていく。1200m付近で左折すると右側が伐採跡の灌木帯となり、枝が張って歩きにくい。1350mのピークからは気持ちの良い自然林となり、笠無への最後の急登が待ち受ける。落ち葉が積もって滑りやすい急斜面を忍の一字で登っていくと笠無の頂稜に出て、少し進んだ所に山名板と3等三角点がある。裸木のこの季節、八ケ岳、金峰山、信州峠から飯盛山への稜線と見通しが利く。

頂稜を進み鞍部から急登すると樫山峠とのジャンクションピークに出る。比志ノ塒へはこのピークをかすめて右折するのだが、ピークからの展望は素晴らしく、八ケ岳から飯盛山、横尾山、小川山、瑞牆山、金峰山と遮るものなくズラリと並ぶ。南下して1440mで左折すると岩尾根となり、岩を右に左にとかわしながら進む。「摩利支天」の石碑が立つ辺りは金峰山、そして甲府盆地をはさんで南アルプスが迫力だ。岩尾根を抜けると再び気持ちの良い自然林の尾根が、大尾根峠の分岐点を経て比志ノ塒まで続く。裸木に囲まれた静かな比志ノ塒の頂上には4等三角点がある。

ここで昼食後、分岐点まで戻って大尾根峠へ下る。この分岐は目印が全くないので注意。急な尾根をどんどん下っていくと次第に岩っぽくなり、痩せ尾根に倒木が横たわる小さな鞍部を通る。大尾根峠の手前に1170mの小ピークがあるが灌木のヤブがひどいので、これを避けて手前の鞍部付近から右へ逃げる踏跡を伝い、沢沿いに車道に出る。車道を左へ少し登ると大尾根峠、ここから道は良くなる。

右側が植林帯となった急な尾根を登っていくと雨竜山に着く。3等三角点がある頂上は展望はない。ルートがはっきりしてきて気が抜けたせいか、1170m付近で南へ延びる小尾根に入り15分ほどロス、1110m付近で右折して尾根なりに下っていく。1010m付近の平尾根に乗ったら右を注意しているとジグザグに下る道があるので、これを下って車道が乗り越す越道に降り立つ。傍らにひっそりたたずむ石仏が峠の面影を残している。

既に15時、ここから降りることにする。当初は比志側の馬場に下る予定だったが、地形図でみると津金側の和田の方が近いのでそちらに下る。正面に甲斐駒を仰ぐ和田ののどかな山村風景は心を穏やかにしてくれる。タクシーを呼んで日野春に出て八王子で打ち上げ後、帰宅する。冬枯れの山を楽しんだ一日だった。
地形図:    20=甲府 25=谷戸
  用:    日野春~海岸寺峠    タクシー    \4570
             
和田~日野春          タクシー    \3930

箱根/明神ケ岳~明星ケ岳・白金山(忘年山行)

  日:    12月8日(土)~9日(日)              一泊二日

参加者:    林徹(L),中村精,小原紀子,梅澤文子,木村真知子,神之村均,前田正吾,澤田治之,

河崎正道,小梶昌弘,松井利夫,小野恵子,清水加代子,山口康子,山ノ井憲子 計15名

  程:    8日(曇り後晴)新松田8:00=(タクシ-)=道了尊8:20/8:35~林道8:55/9:05~林道9:20/9:25~金明水9:48/9:53~銀明水10:27/10:32~明神ケ岳11:00/11:25~宮城野分岐11:55/12:05~12:28/12:35~明星ケ岳12:52/1.3:07~13:45/13:55~宮城野橋14:12=(車)=青風荘14:45(バス=15:00)

9日(晴れ)青風荘9:00~三角点9:37/9:45~10:23/10:30~三所山11:37/11:45~頼朝道12:22~白金山12:30~12:43/13:15~ターンパイク13:30~藪こぎ~夕-ンパイク13:50/14:00~大観山14:40/15:12=(バス)=箱根町15:25/15:45=(バス)=元箱根15:50/15:55=(タクシー)=青風荘16:10/16:20=箱根湯本16:33/16:39

新松田から予約の2台のタクシーは、足柄大橋を通って行く。行く手に、矢倉岳や、明神ケ岳は、見えているが、雲に隠れて富士山は、見えない。道了尊に着いて、出かける支度をしていると、松井さんが車で到着。大きな赤い和合下駄の所で、記念撮影し、橋を渡って、12人で出発する。ここには、ザックを背負った5人のグループがいた。

大杉の中の道を登って行くと、石仏がある。山道から林道を渡る所で、一休みし、また、登る。老朽化したロープウエイの鉄塔があったり、防火用水の大きなドラムカンガあったりする。植林帯を登って、また、林道に出た所で休む。単独行の人も来て休んでいる。

階段を登り、雑木林の中を行くと、ベンチのある見晴小屋に着く。南足柄や小田原が一望できる。溝状の道を登って行くと、平らになってススキの原になる。勾配が急になり古い鉄塔付近で平らになって、また、登って行く。左に金明水があり、コップが置いてあったので、飲んで行くことにする。沢を渡って行くと、銀明水に着く。ここにも、コップが置いであったので、飲んでいる人もいた。(何年か寿命が伸びたでしょうか?)

急坂を登って稜線に出て、丈の低いクマザサの原、分岐に出て,明神ケ岳へ直登する。

山頂には、笹の茂みを背にして、昼食をとっている人達が何人かいた。風が吹いていて、すごく寒いのだ。やはり、笹の茂みを風よけにして、昼食にするが、寒いので、予定を5分切り上げて出発する。ゆるやかな道を下って行く。灌木からハコネダケの中を行く頃になると、あの寒さが信じられぬように、暖かくなる。ジグザグに急坂を下って行くと、人がいた。宮城野橋への分岐であるが、早すぎるので、少し休んでから、明星ヶ岳へ行くことにする。曇り空は、だんだん青空に変わっていく。緩やかなアップダウンのある尾根を行くが、後ろの方で、賑やかな話し声が聞こえる。平らな道になると、宮城野と明星ヶ岳の分枝に出る。少し行った所で、小休止。ここでは、赤い実をつけたマユミの木が所々にあり、青空のバックに映える。明星ケ岳の山頂は石仏、石碑があるが、カヤトに囲まれていて、展望はきかない。しばら<休んでから、分岐まで戻り、宮城野方面の道を下ると、展望が開ける。大文字焼きの「大」の字に当たる場所である。ハコネダケの中を下って行き、落葉樹の林の中のジグザグの急斜面を下る。丸太の階段を下る前に、休憩をする。舗装道路に出て右に行くと、工事中の看板があって、宮城野橋への道がよく分かる。名残の紅葉がきれいだ。橋の所で、松井さんの車が待っていて、女性6人も、乗せてもらい、宿へ先行する。男性は、パスに乗り、宿へ15分ぐらい後に着く。木村さんが着く。夕方、小野さんが着き、夕食は14人になり、カラオケなどもあって賑やかだった。松井さんと、山口さんが帰る。

9日は、朝から晴天で、山ノ井さんを加えて、この日も、12人で出発する。木村さんの道案内で、湯本ホテルの横の細道を上り、石畳みの道から、台の茶屋パス停で国道に出る。湯本カントリー入口の表示の所で、右に横断して坂道を登る。三所山白金山と書かれた三角形の小さい標識を見て、沢を渡って、山道に入る。カンアオイがたくさんある道で、やがて、三角点のある所に出た、406メートル峰らしい。1回めの休みをとり、檜の尾根を行き、一度下って次の尾根を行った所で休む。左上に登り、5分くらい行き、少し下って長細い尾根、ここは、アセビの樹林が続く。道がはっきりしなくなる。探しながら、登って行くと、イノシシ避けの金網が出て来る。こからは、バラが混じった藪で、金網に沿って藪の薄い所を選んで、金網を越えたり、戻ったりしながら、上に進む。藪がなくなって次の峰を登った所が三所山、ほっとして休む。ここから、道が明瞭になる。尾根を進んで笹をかきわけて下ると、左から来る道と合い、木の坂に白金山20分、湯河原駅からの行程が記されていた。背丈を越える笹の道を行くと、頼朝道の標識、ここから、笹をかきわけて白金山三角点を見る。左へ金網に沿って15分くらい下って平らな所で、ゆっくり昼食。下って行くと、玉川大学演習林の看板があり、ターンパイクに出た。右手の山の斜面に入って20分ほど藪歩きをし、戻って、休み、大観山まで歩く。箱根町まで、バスに乗り、湯本行きに乗換え、元箱根まで行く。2台のタクシーで、宿に戻り、預けておいた荷物をとり湯本駅に行き電車に乗る。おいしい蕎麦を食べに行った人もいた。(中村 記)

  用:    KKR箱根青風荘        宿泊(二食付き)         11000円

交通費                                               約2000円

 

鶴ヶ鳥屋山・北尾根(本部合同)

  日:    1216日(日) 日帰り            晴れ

参加者:    CL澤田治之,河崎正道,長江唯志,小野恵子,清水加代子,山口康子,支部外31名 計37名

  程:    高尾7:26=笹子8:30/45~808㍍P9:20~1084㍍P(黒野田林道)10:10~主稜線10:55/11:00~鶴ヶ鳥屋山11:10/12:30~黒野田林道13:20/25~990㍍P13:50~林道14:45/50~国道20号(唐沢橋バス停)15:05~初狩15:25

笹子駅から船橋沢沿いの林道を行き、808㍍三角点峰にある東京電力46号鉄塔の巡視路から北尾根に突き上げる。あとはヤブも無く起伏も少なく、歩き易い踏跡を辿る。

今日は晴れてはいるが北風が強く寒い。

鉄塔が見え尾根が広くなると1084㍍峰で、黒野田林道に出る。左上方に鶴ヶ鳥屋山が大きく盛り上がっている。

林道左から適当にまた尾根に戻り、急登僅かで主稜線に飛び出る。ここから10分で頂上。

頂上では、南面に風を除ければ左程寒くないので予定通りおでん鍋を炊くこととした。

昨年のとん汁と違い、今回は1人ずつ自分用に持参して貰ったので余ることもなく丁度よかった。身も心も温まり、北東尾根を降る。

急で岩っぽい所を過ぎ、気分の良い樹林帯から黒野田林道に立ち、990㍍峰を直進し(左手にも踏跡あり)、広くなった尾根を途中右に分け、赤松が見え出したら右下に見える林道目掛け、強引に枝打ちされた斜面に突っ込む。林道を右へ10分で中央本線を潜り、甲州街道を初狩駅へと出る。

※頂上でのおでん鍋では、火気、鍋、調味料他を担ぎ上げて戴いた河崎さん、清水さん、また色々お手伝い戴いた長江さん、小野さん、山口さん、有難うございました。誌面を借りてお礼申し上げます。

 

富士山五合目雪上訓練

  日:    1223日~24日(日~月)1泊2日(小屋泊)

参加者:    L笠原隆,松村佐代子,澤田治之,宮澤恵子,武末範子,清水加代子,福屋鮎子 計7名

  程:    23日(快晴)大月7:51=富士吉田8:35/45(タクシー)=中の茶屋8:55/9:10~馬返し10:30/50~三合目12:05/30(昼食)~佐藤小屋13:55/14:10~六合目付近(雪上訓練)14:30/16:00~佐藤小屋16:10

24日(快晴)佐藤小屋7:45~五合目付近(雪上訓練)8:00/9:20~六合目付近(雪上訓練)9:40/10:50~富士安全指導センター11:00/11:05~佐藤小屋11:20/11:50(昼食)~三合目12:30/12:45~馬返し13:15/13:30~中の茶屋14:10/25(タクシー)=富士吉田14:35/15:19=大月15:55/16:17=八王子17:09

1日目。前日タクシー会社より道路が凍って馬返しまで入れないと連絡が来たので心配していたが、中の茶屋まで入れたのでだいぶ助かった。

ゆるやかな登りがとめどなく続き、朽ち果てた大石茶屋の前を通り、いっとき道が急になると広い空き地に出る。ここが馬返しで、正面に鳥居、右手に明大山荘がある。ここからいよいよ登山道らしくなる。各々アイゼンを着けて出発する。

雪が少ないので時々泥道を通るが、標高が上がるにつれて雪道に変わってきた。快適なジグザグ道を繰り返しながら登ると三合目の見晴し茶屋跡に着く。ここで昼食をとる。

四合目を過ぎるあたりで無名山塾の岩崎元郎氏とみなみらんぼう氏の一行27名とスレ違う。佐藤小屋泊まりで雪上訓練の帰りとの事でした。

御座石を過ぎるあたりからダケカンバが目につくようになり、ようやく高山の雰囲気が出てくる。中の茶屋で分かれた滝沢林道に出合うとまもなく佐藤小屋に着く。

予定より早く着いたので翌日の訓練の場所さがしを全員で行く。

適当な場所が見つからず、河口湖口登山道の六合目まで登ってしまい、翌日に登る予定だった経ヶ岳がはるか下に見えた。

ちょっと急だけれど格好な場所を澤田さんが見つけてくれたので、そこで滑落停止訓練をして小屋に戻った。

小屋は5年ほど前より若夫婦に交替しており、昔の噂とは大違いでサービスはグッド、夕食はカモ鍋、我々の飲み会に合わせて用意してくれた。

寝具も羽毛の掛布団で寒さ知らず(シュラフ持参者数名あり)、泊り客は我々7名の外3名で貸しきり状態で、好き勝手に就寝。

2日目。朝は強風が吹き荒れており、これは、と思われたが、朝食の煮込みうどん(モチ入り)を食べ、出かける時には風も弱まってきた。

小屋を10時に閉めて帰るという事で、荷を外へ出してからサブザック又は空身で雪上訓練に向かう。

前日は急斜面すぎたので、もう少しゆるいところを見つけ練習を始めた。ピッケル無しでアイゼンを着けての練習中にMさんが身体を反転させた時右足が雪面に深く入ってしまい怪我をしてしまった。

少し休んだが痛みが引かないので、小屋の軽トラックに乗せてもらい1人で降りてもらった(富士吉田駅で合流を約束)

残ったメンバーはピッケルを使用しての滑落停止を終了し、前日練習した所へ行きアイゼン歩行の練習をした。急斜面の直登及び下降、斜行、トラバース練習を終了後、六合目の富士登山指導センターを経由して佐藤小屋へ戻り昼食。

佐藤小屋からは軽アイゼンに履き替えて下山する。途中三合目、馬返しで小休し、中の茶屋からタクシーで富士吉田へ。待っていてくれたMさんと合流し特急(200円)で帰途につく。

恒例の反省会はクリスマスイブと云う事もあって早く帰ることにした。

  用:    宿泊料                                               佐藤小屋(2食付き)7,000円

              富士吉田-中の茶屋                 タクシー4,180円

              中の茶屋-富士吉田                 タクシー5,540円

 

中ア/越百山        

  日:    1230日~11日(日~火)  二泊三日

参加者:    L石塚孝彦              1名

      30須原13:53~14:05=伊奈川第二発電所14:30/40~今朝沢橋ゲート15:02~福栃橋登山口16:26 (幕営)

31日福栃橋登山口5:49~下のコル6:50~ちょっとの平7:12~おこじょ平7:49~遠見尾根展望台8:32/45~上の水場9:20/26~福栃山横巻10:15/18~越百小屋10:40/11:00~ラッセル開始地点12:09/12~ワカン沈まなくなる13:00~越百山13:20/35~越百小屋14:40 (泊)

1日越百小屋8:08~福栃山横巻8:28/30~上の水場8:49~遠見尾根展望台9:07/14~痩せ馬の背9:54~下のコル9:59/10:05~福栃橋登山口10:36/47~今朝沢橋ゲート11:21~伊奈川ダム11:47/52~ダム下の乗車地点11:54=須原12:22/38=塩尻13:43/53

12月30日(日)曇り後、雪、夜中快晴

武蔵小金井駅での人身事故の影響で、ダイヤが乱れていて、塩尻で乗り継ぎ調整されて、須原には約10分遅れで到着。塩尻付近から雪景色で、須原駅前周辺から車道は雪道。タクシーで伊奈川ダムの先の地下式の伊奈川第二発電所入ロシャッター前広場まで入れた。(昨年はタクシーが来ず、登山口近くまで4時間歩くいた)ここでの積雪は20センチ㍍程、3台停車していて、1台が2人でチェーンを着けていた。『今朝、越百小屋からアタックしたが、途中でやめて降りて来た、越百小屋までのトレースはついている』との話で私の予定も話した。先の駐車場には6台停まっていた。登山届けを書いて、林道ゲートから今朝沢林道に入り、福栃橋登山口までトレース上を歩いて、途中から降雪となる。福栃橋登山口でのテント設営中が一番の降りであった。19時12分寝る。夜中に2回、外を見ると降っいないし、満月で風もなしトレースも消えないでよさそう。

31日(月)快晴

夜明前から、食事の準備をしていると、駐車場を3時半に出て来たという人のやりとりで、昨年ここから6時間掛かったと私が言うと、『登りきれないで、途中でビバーグした事がある』と言う。テント等をデポして、思い切り軽くして、先行者の約1時間遅れでスタート。昨年は下部に雪が無く、途中からトレース無く時間が掛かったが、今回は、下部から雪があるが、トレースが有り、しかも先行者もあるので、助かる。遠見尾根という地点からは、積雪量が50センチ㍍程以上に増える。上の水場を過ぎると、見上げるような急登となる。夏道は蛇行して登っていくようだが、トレースはひたすら直登。途中で1人、と2人の下山者に会うが、山頂には登れていない。先行者のアイゼン幅は、合わせ続けられないほどガンガン登っている。福栃山の下を巻く、福栃山横巻に入れば、メドがつき、やがて越百小屋に着いた。先行者は、ちょっと前に着いたような雰囲気で、追いついてしまったようだ。やはりトレースが有ると言っても、一番手と二番手では苦労に違いがあるようだ。小屋番に挨拶して、少し食べて、先行者より20分遅れで先行者と同じようにワカンに変えてスタート。12時01分、先行者が『体力の限界だ』と言って戻るのに会う。先の様子を話してくれた。12時12分トレースの先端地点に来る。小さなピーク上で、右が切れている1O㍍程の下降は始め勇気がいる。左は緩斜面なので、雪庇を踏み抜かない様に、左よりで下降。登り返しは、ワカンで踏み固めても、体重を掛けるとまた沈むなど、腰まで来るフカフカ新雪でトレースはわからず、トレースとは完全に違う所を進んでいる。森林眼界近くで、かなりラッセルを続けても、後ろを見るとラッセルを始めた小ピークはまだ遠くならない。小さな登り下りを繰り返し進めば、だんだんと尾根が狭くなって来る。左からの風も出て来て、左は崖なので、ピッケルで探りを入れながら進む。13時00分突然、ワカンが沈まなくなる。そうか、雪が吹き飛ばされた岩稜帯に入ったとわかった。48分間のラッセルであった。尾根は広くなり、ここからトレースはなんとなくわかる。ピッチも上がり、20分の急登で越百山頂に着く。幸い、下で会った2人を始め、多くの人がトレースを延ばしてくれて、最後は私が体力消耗前に登り切る事が出来ということになる。写真を撮って、あまり景色を見ないうちに、雪煙が上がって来て、周囲は全然見えなくなってしまった。セルフ撮影したりして南駒ケ岳へ下る所も見に行く。下山は、往路を忠実に戻るが、上から見ると思いの外の急降下で、アイゼンに変えようと思ったが、凍結してないので、そのままワカンで下降した。アイゼンの5人が、ラッセルを始めた付近で、登って来た。もう道ができていると思い、ワカンを外すが、踏み抜くことが多く、腹筋を消耗して、小屋に着いた。小屋は小さいが、アンカの炬燵が効いている。越後の酒とスルメなどを出して来れて、自分のもって来た焼酎のお湯割で夕食までの時間を過ごす。連泊者と後続者等で13人の宿泊者、避難小屋は3人のよっだ。先行者は、その後見ないので、泊まらないでそのまま下山したようだ。夕食はなかなかいいいものが出る。布団にもアンカが効いている。昨夜と同じ時間の19時12分に寝る。

平成14年1月1日(火)晴れ後、曇り

越百山などに行く人は、4時半起床朝食で出発して行った。その他の者は6時起床朝食。

朝方は快晴なれど、しだいに曇って来る。初日の出は外に出ないで、省略。窓から越百山に登る人や、頂稜上を南駒ケ岳へ向かう4人が見える。往路とは違う、タクシー会社を予約してもらい、下山開始。ゆっくりと下山する。途中、遠見尾根という地点で65歳位の人が、『いい道だ助かる』と言って日帰りとの事で登って行った。頂上までトレースが付いていると伝える。ゆっくりと下山したので、後の6人と1人に福栃橋登山口付近で追いつかれてしまい、デポ品をパッキング中に先へ行った。後で行くと、皆は、駐車場にいて、車で帰る。私は伊奈川ダム下まで歩いて行く。あとは順調に、乗り継いで帰途に着いた。2年越しの登頂で、いろいろな意味でのいいチャンスに恵まれた。①小さな山小屋の、頭の上から声の出るようなよく動き回る小屋番とその雰囲気、②ラッセルもしたし、八ケ岳のように多くない登山者の2点がこの年末年始の越百山の魅力です。なお、越百小屋周辺はテント禁止です。

  用:    須原~伊奈川ダムの先            南木曽観光タクシー                  5,250円     0264-55-4155

伊奈川ダムの下~須原            木曽おんたけ名鉄タクシー         5,250円     0264-57-2616

越百小屋                              1泊2食付き                            7,000円     現地090-7699-9337

町田~八王子~塩尻~須原      往路青春18きっぷ使用             2,300円

須原~塩尻~八王子~町田      復路青春18きっぷ使用             2,300円