佐渡/ドンデン山~金北山

期 日:5月14日(土)~15日(日)前夜発一泊二日 曇り、晴れ

参加者:L吉田和興、山本文夫、松宮俊彦、飯嶋光江、助廣弘子(Aグループ)

      森田隆仁、中村精、小澤美喜代、派田正、宮澤恵子(Bグループ  )計10名

費 用:17,000円(レンタカー、12+飲み物、入浴代、新潟~佐渡は往路フェリー1等、復路ジェットフォイル利用を含む。東京~新潟間の交通費は除く。)

コースタイム:13日池袋駅23:30=(高速バス)=万代バスセンター5:00ー新潟港5:306:00=(汽船)=両津港8:3050

1日目(514日)

Aグループ:ドンデン山荘9:3045ー尻立山(ドンデン山)10:05-アオネバ十字路10:4555-マトネ11:35-ドンデン山荘13:10

ドンデン山荘への道は新緑にあふれて気持ちの良いドライブ。東京近辺の山と違い自然林が多く、杉や檜の植林が少ないのが好もしい。しかし目指す金北山方面とその尾根はどんより雲がかかっており、かなりの量の雪もついている。ドンデン山荘は、両津港や小佐渡方面が一望できる格好の見晴台。

9:45山荘を出発。5分ほどで三角点(934m)があり、あっけなく一山制覇かと思ったら更に15分ほど登りが続きそこが尻立山(ドンデン山、940m)山頂だった。風が強く立っているのがやっとなほど。帽子を押さえたり脱いだりしながら早々に先を急ぐ。

金剛山への分岐を右に分け西に進む。途中一度県道に出て左に進み、数百メートル先を右に入り金北山縦走路となる。縦走路は雪と雪解け道が半々程度に続く。10:45アオネバ十字路で一服。更に風が強くなりガスもかかり雪も増えてきたので、森田グループの状況や如何と気になり始める。そんな時飯嶋さんの携帯(DOCOMO)に着信履歴が入っていた。何度か掛けてやっと通じたところ森田グループは撤退の報。我々も戻ることを決め、せめてマトネまでは行こうと雪の斜面を登り11:35着。

戻りは、一路ドンデン山荘を目指したが、途中は各種の花と植物があった。まずカタクリ、東京近辺のと較べると少し大きく葉にマダラが無い。シラネアオイ等々。フキノトウは雪解け道の横にでっぷりとしたのが取りほうだい。圧巻はシイタケ。5m位の立木に何かキノコが付いている。半信半疑で取ってみるとどう見てもシイタケ。手の届く範囲のを取ったが100個近くあったのでは。これは、その日の宿で焼いてもらい皆さんの胃袋に納まった。

13:10ドンデン山荘着。森田グループに合流すべく車を走らせながら電話をしたが、なかなか繋がらず。やっとつながったので、五重の塔で有名な妙宣寺で待合わせ。

カーナビの調子が悪く勘ナビで進み何とか合流。その後両グループ一緒に、昭和天皇も宿泊という旅館の風呂で一浴。その後岩海岸が続く海岸線を走り、今晩の宿の佐渡ベルメールYHへ。道端はちょうど田植えが終わったばかりの田んぼ続き、けばけばしい看板が無く30年くらい前の風情の家並みの連続で、なんとなく落ち着くことが出来「佐渡は良いとーこ、一度ーはおいでー」の歌を思い出した。(松宮俊彦)

Bグループ:白雲台9:50-マツムシ平10:3711:15-白雲台11:47

計画ではドンデン山から金北山へ向かうAグループと、逆コースを行くBグループに分かれ、途中で車のキーを交換することになっていた。Bグループは防衛省管理道路を辿るが、次第に風が強くなり、ガスが濃くなって視界が利かず、マツムシ平でうろうろしていると、自衛隊の車が来て、金北山の先の雪が多く、下るのは止めた方がいいとのアドバイスを受け、撤退を決める。Aグループとの連絡に苦労したが、11:20携帯が通じて、両グループ撤退と決定した。

第2日目(15日)A・Bとも、姫津YH6:57=白雲台7:35-金北山8:509:05-白雲台10:15=両津港12:3013:20=(ジェットフォイル)=新潟港14:25

予定の佐渡観光を止めて全員で金北山往復。快晴で風もなく、なんということなく頂上を踏んだ。花はカタクリ、キクザキイチゲ、ショウジョウバカマ、エゾエンゴサク、ザゼンソウ、シラネアオイ、タムシバなどなど。(宮澤恵子)
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奥多摩/御堂指尾根~三頭山~向山

期 日:5月18日(水)晴れ時々曇り

参加者:L助廣弘子、安瀬はる江、本山まり子、竹田早苗、岩倉啓子、鎌田文子 計6名

コースタイム:奥多摩8:45=(バス)=深山橋9:10-ヨシスキ沢取り付き10:1115-766m10:3034-1072m11:15-1246m12:1035-縦走路13:10-三頭山東峰13:1825-中央峰13:29-西峰13:35-神楽入ノ峰14:13-小焼山14:5015:03-1146m15:35-向山16:0010-余沢17:0010-東部森林公園キャンプ場17:1518:33=(バス)=奥多摩19:0333

費 用:奥多摩-=深山橋 560円、東部森林公園=奥多摩 760

前日の雨が上がり、朝からまぶしい陽が射している。奥多摩から込み合っているバスに急いで乗りこみ、小河内神社で下りようとすると、運転手が「浮橋はないですよ」と言う。水が干上がって2月から浮橋は撤去しているとのこと、そういえばバス停にそう書いてあったと、今頃言う人がいたが、私は気がつかなかった。やむなく深山橋まで乗って、そこから車道を歩くことにした。予定より倍の距離なので思わず足が速くなり、日差しが強く暑くて汗が流れた。

山のふるさと村の分岐(信号あり)を過ぎて、二つ目の沢がヨシスキ沢で、橋を渡ってすぐ急な石段があった。一息入れて、ここから御堂指尾根に取り付く。薄暗い雑木林のなか、下に見える車道に沿うようにいったん東へ登って行く。踏み跡はあるかなきかで、それぞれが登りやすい斜面を木や根や石につかまってよじ登り、766m地点で御堂指尾根に乗った。カエデやブナ、ミズナラの巨木が目立つ綺麗で明るい、気持ちの良い尾根だ。1072m地点は木々に囲まれた広いピークで、テントを張りたいような場所だった。ここからはヒノキの植林帯で、足元にアセビが茂り、落ちた枝がうるさくなった。1000mの鞍部を過ぎると、また急登で、足元にはイワウチワの葉が目立つ。1246m地点で昼食。ブナの巨木が印象的だ。咲いたばかりのミツバツツジの色が濃い。再び植林帯があり、やがて自然林のなかにダケカンバが見えてきたひと登りで縦走路へ出た。三頭山と鞘口峠を示す標識があり、御堂指尾根は「行き止まり」と書いてあった。三頭山から見えるはずの富士は霞んで見えなかった。三頭山西峰から鶴峠方面の標識に従って下山路に入る。2万5千図では破線すら書いてないが、小菅村のハイキングコースになっているようで、神楽入ノ峰を通るしっかりした道がついていた。ただし、この道を気楽に歩いていると、ピークを巻いてしまう。途中で岩倉さん、安瀬さんが「ちょっと見て来ます」と登って行って見つけて下さったおかげで、小焼山のピークに立つことが出来た。次第に尾根が広がって、巻き道は下を行くが、あえて尾根を辿って、1145m地点を通ることが出来た。逆に、この後は、咲き残りのシャクナゲに導かれてしっかりした道を行くことで、向山山頂へ到達することが出来た。既に4時、次のバスは6時台とあって、急ぐような急がないような気分で余沢へ下る。

余沢バス停でケーキタイムを取り、次はビールを求めて東部森林公園キャンプ場へ寄ってみたが、ビールはなくて、そこの女性管理人から小菅村発展の構想を聞いたり、キャンプ場の見学をしているうちにバスが来ました。(助廣弘子)


ミツバツツジ

三頭山にて

向山シャクナゲ


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大菩薩/石小屋ノ尾根

期 日:6月12日()日帰り

参加者:L長谷千秋、小澤美喜代、上野進、渋澤和子、竹田早苗、佐藤邦弘、峰尾欽二 計7名

コースタイム:大月駅=(タクシー)=大峠8:2030-真木小金沢林道9:1525-(石小屋ノ尾根)-銃走路12:08-川胡桃沢ノ頭12:1045-牛奥ノ雁ヶ腹摺山13:2535-小金沢山14:1020-石丸峠15:22-小屋平15:5516:05=(バス)=甲斐大和16:45

当初の予定では石小屋ノ尾根の下の駐車場までタクシーで行く予定であったが、大峠のゲートまでしかタクシーが入れないため、大峠から歩くことになった。林道をしばらく下っていくと左側に大きな駐車場が現れてきた。ここから尾根を登ることになる。

休憩後に駐車場の奥から取り付いた尾根は、腰までの高さのある笹と緑の木々に覆われている。人はあまり入っている様子がなく、足跡は見当たらない。その代わり獣道が幾筋か上へ伸びており、我々も獣道を選びながら登って行った。

しばらく尾根を登って行くと、笹はだんだん少なくなり、そのうち無くなった。尾根の半ばを過ぎたあたりになると、6月12日というのにミツバツツジの花が次々と現れ、尾根歩きを楽しませてくれた。

何回かの休憩を取り、木々を避けながら登って行くと、黒岳と川胡桃沢ノ頭を結ぶ縦走路に出た。川胡桃沢ノ頭で昼食を取った後は大菩薩峠へ向かう縦走路を歩き、牛奥ノ雁ヶ腹摺山や小金沢山を通り、石丸峠で山を下り、小屋平でバスに乗って帰路についた。(長谷千秋)

 

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大菩薩/境沢ノ頭~木賊山(本部合同)

期 日:5月22日()日帰り

参加者:L長谷千秋、安瀬はる江、渋澤和子、松田照子、峰尾欽二、竹田早苗、大塚多美子、

杉江秀明、支部外21名   計29名

コースタイム:甲斐大和8:10=嵯峨塩鉱泉8:3050-かくれ窪9:3540-境沢ノ頭10:2030-三角コンバ10:40-△141311:0010-古部山11:3012:05-木賊山12:4055-大志戸林道13:1520-甲斐大和14:20

午後の降水確率が60%にもかかわらず、29名の方が参加してくれました。

甲斐大和駅から上日川峠行きのバスに乗り嵯峨塩鉱泉で降り、バス停そばの源次郎岳の標識の所から登り始めた。道なりに登って行くと嵯峨塩深沢林道に出る。ここからは源次郎岳のコースとは分かれ、林道を左に5~6分行くと、かくれ窪(標識がある)に着く。1/25000だとガケマークの手前になる。標識の裏あたりを登って行くと境沢の頭につながる尾根に出る。そこには左に三角コンバを示す道標があり、指示どおりに尾根を進んで行くと、前方左側に尾根が伸びている山が見えてきた。頂上に着くと三角点があり、標識に境沢ノ頭と書いてあった。

境沢ノ頭からは先ほど見えていた尾根を進み、三角コンバを通り、古部山で昼食を取って木賊山から大志戸林道に下りた。

雨は林道に下りたころから降り始め、甲斐大和に向かう途中から本降りになった。全体としては、嵯峨塩鉱泉から木賊山までの新緑が印象的な山行でした。(長谷千秋)

 
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山北町・松田町/はなじょろ道(花女郎道)

期 日:5月25日(水)日帰り 晴れ

参加者:L佐藤邦弘、中村 精、山本文夫、宮澤惠子、竹田早苗、加納三喜男 計6人

コースタイム:JR御殿場線山北駅8:228:30-八丁8:458:50-はなじょろ道登り口-炭焼き窯跡9:479:51-富士見台10:1020-ヒネゴ沢乗越10:26-高松山10:5111:35-ヒネゴ沢乗越11:52-はなじょろ道降り口12:3712:45-田代向バス停13:2013:35=新松田駅14:00

① 当初の計画では登り口を松田町寄の虫沢地区とし、山北町の八丁地区を降り口としたが、そうすると八丁から山北駅まで約7kmの単調な林道歩きを強いられるため、山北駅からタクシー利用で八丁に入り、虫沢に降りることにした。

  タクシーは山北タクシーに前日2台予約しておいた。9人乗りのタクシーがあるということであったが、すでに予約が入っているということで、利用できなかった。

  タクシー利用は正解であった。約15分で八丁に到着。タクシー料金2510円。約2時間の林道歩きを省くことができ、飽きがくる気分を避けることができた。

② 八丁から続くはなじょろ道は、説明板があり、手製の道標もあって、それを確認して歩けば、迷うことはないと思われる。廃れて荒廃していた古道を復活整備し、親切な道標を立ててくれた地元有志7名の労苦に頭が下がる。

はなじょろ道は総延長約5kmで、平成21年9月27日から間伐材など利用して整備をはじめ、平成22年4月16日に開通式をおこなったという。

③ 八丁側には開けて美しい富士山の姿を間近に見ることができる地点がいくつかあり、特に富士見台からの富士山の眺めは素晴らしい。また炭焼き窯跡もあり、古くは生活の道でもあったことを偲ばせた。虫沢側は展望の開けたところはないが、ヒネゴ沢に沿った形で道が続き、沢の音を聴きながら降った。

④当初の予定では高松山に登る予定ではなかったが、時間的に余裕がありすぎ、昼食休憩の場所も考えて、高松山にも登った。ここからの眺望も素晴らしく、昼食休憩には恰好の広い草原の場所で、ゆっくりと昼食をとることができた。ここで今日のコースで初めて、ハイカーのグループに出くわした。

⑤「はなじょろ道」は戦前頃まで生活道として利用されていたという。そして、山北町から寄へ花嫁さんが嫁ぐとき、牛の背に家財道具を載せて通る道であったというが、どのようなおもいを抱いて、当時の花嫁さんはこの山道を越えたのだろうか。人影のない静かな道であった。

⑥ <花女郎>ということば

花女郎ということばについて調べたところ、海老名市のサイトに海老名市のむかしばなしが紹介されているが、その中に次のような解説があった。おそらく同様の意味だと思われるので掲げておきたい。

『この土地では若い美しい女性を女郎と呼び、盆踊りなどに化粧して集まる娘の群れを女郎衆などと言った。これは江戸で言った遊女とは全く違った意味のもので、花嫁を「花女郎さん」と呼んだのも美しく清楚なものへの讃美とあこがれであり、女の子たちは小さいころからやがて美しく着飾った花女郎さんになることが夢だった。』(佐藤邦弘)

 
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奥秩父/唐松尾山

期 日: 6月4日() 晴れ 日帰り

参加者: L合田英興、SL安瀬はる江、上野 進、杉江秀明 計4名

コースタイム: 各自宅付近=中央道八王子IC0530=三ノ瀬登山口07300745-山ノ神土0940-西御殿岩10401100-唐松尾山11501240-黒槐山1345-笠取山14301510-水干1550-中島川橋下山口1725-三ノ瀬17451800=小作(夕食)=各自宅付近

交通費: 2,500(車代)

朝日を受け新緑葉裏が目に沁みる将監小屋への林道から七ツ石尾根に入る。急坂を抜け四差路から東に寄り道して富士山や竜喰山方面の展望を楽しむ。山ノ神土で和名倉山に行く単独行者と別れて唐松尾山への縦走路を辿る。小崩落地を幾つか抜けて西御殿岩に立寄り、当山域随一の開放的大展望を楽しむ。

 分岐には戻らず痩せ尾根をそのまま直登し、登山道に合流すれば直ぐ唐松尾山頂(2109m)に着く。奥多摩最高峰のせいか多数の登山客で喧しい。昼食後、北方の露岩にも立寄り西御殿岩などの展望を楽しんでから山頂を後にする。岩稜帯でのシャクナゲ花海やら、小さな展望岩を通過する主脈縦走路は良く整備されており快適かつ順調に進む。2044m峰辺りのシャクナゲも丁度見頃である。

黒槐山(2024m)には丈の低い笹路を直登し、尾根通しに小ピークを幾つか越え笠取山手前の広場で休憩。少し離れた通常登山道からは山ガールもいる若人パーティの談笑が聞こえ、動物の気配は薄くなり自然への畏れは消えつつあるが、尾根筋には以前と変わらない大きな鹿のヌタ場が残されており安心する。

 笹を分け左寄りに登り通常登山道に戻って、更に一登りすれば笠取山東端に着く。時間的に笠取山頂に行くか、のめこい温泉に寄るかの二者択一問答で山頂と決まり、三角点(1953m)、山梨百名山碑を経て急な防火帯を下り水干への道に入る。水干祭り対策か公園遊歩道のように整備されているのには驚いた。

 シラベ尾根分岐を過ぎて直ぐの沢で一休み。豊富な冷たい沢水で顔を洗いミニ縦走の疲れを流す。整備された広い水平な道は黒槐尾根分岐から尾根横を緩く下り続け、馬止手前から顕著に下降し始めると下山口の中島川橋横は近い。舗装林道では小型観光バスを待つツアー登山客の一団が待機中。そこから舗装路を歩いて三ノ瀬民宿みはらし駐車場に無事帰着。(合田英興)

山行の要点は次のとおり。

好展望とシャクナゲ

 今年は入梅が早く天候が気になったが、運良く当日は晴れた。西御殿岩からは東方に横たわる飛龍山の脇に雲取山、北方に悠然と構える和名倉山、南西方には大菩薩から残雪を抱く富士山、彼方に上河内岳から荒川三山へと南ア主脈の素晴らしい展望に恵まれた。岩稜帯ではアズマシャクナゲの艶やかな大輪の花が縦走路を彩る。ただし、今年はシャクナゲの裏年なのか蕾を付けていない木が多かった。

長歩き新人歓迎山行

 山歩きを最近始めたばかりの杉江さんは自転車通勤等で運動されている由にて、確かに岩場などの技術的局面では緊張することがあっても、通常の山歩きには全く問題なかった。そのため日照時間の長さを活かし、ゆっくりした歩調で休憩を長く取りながら西御殿岩から唐松尾山への岩稜尾根、黒槐山付近の笹分けも含め、西端の笠取山まで尾根通しルートを完全踏破したため行動10時間の長歩きとなった。

人影濃くなった山域

 10数年前に今は退会された方と二人で歩いた時は25千地形図でも尾根筋には破線表示が無く、実際に歩いても踏跡だけで笹やら倒木が多く人気も無く静まりかえり、時折寂しげな鹿の啼声を聞くだけの一寸した深山幽谷的ルートであった。しかし今や週末とは言え、「唐松尾山・和名倉山」の貼紙付き小型観光バスが三ノ瀬に横付けされ、唐松尾山頂では20人以上の登山客で賑わう時代に変わった。

豊かな自然景観は不変

 それでも、西御殿岩付近の山地崩壊は一層進行しているし、立派に整備された登山道ながら亜高山原生針葉巨木の下では緑に苔むす箇所も箱庭のように残されており、道は綺麗で歩き易いものの周囲の自然景観は充分に保全されている。従って、そちこちでチラつく人影を気にしなければ、以前と同じく近場に在りながら南ア深南部的雰囲気の片鱗を味わうことができるのは嬉しい。

自転車登山も可能

 笠取山頂直下の水干付近の道は多摩川水源林巡視目的もあり、東京都水道局の肝煎りで幅広く滑らかに整備されており、以前に増してハイカーで賑わっている。おそらくは笠取小屋への道も含め登山客やら水源視察団の人々に配慮しての整備と思われるが、結果的にマウンテンバイクでも快適に楽しめる道となっている。そのうち、歩行者には遠慮しつつ自転車登山も試したい。

自家用車利用の得失

 偶々参加希望者が皆近場に住んでいたため、自家用車の機動性を活用して始発電車前に出発し、帰宅途上の打上げ夕食会にも対応できる計画書とした。しかしそれ故に、計画書作成後に参加希望の電話を頂戴しても、お断りするしかなかった。車利用の山行では、自家用車でもタクシーでも人数が車単位となるのは已むを得ないとは言え、参加できなかった方には申し訳ない。

久しぶりの会山行係り

 ここ10年ほど小生は幽霊会員を続けているし会員の顔ぶれも大きく変化したので、係りを務めるには一抹の不安もあった。しかし今回は結果として楽しい山行となったのは、いきなり一寸ハードな山行にお付き合いいただいた杉江さん、山経験が豊富で様々な局面で山能力を発揮していただいた安瀬さん、上野さんのお蔭です。参加された皆さまには改めてお礼申し上げます。(合田英興)

 
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天子山塊/五老峰~大ガレの頭~毛無山

期 日:6月15日(水)前夜発日帰り 曇り

参加者:L助廣弘子、上野進、岩倉啓子、鎌田文子(支部外)小林茂樹、後藤勝弘 計6名

コースタイム:八王子14日23:00=(貸切タクシー)=道の駅しもべ15日1:105:00=温泉会館前5:15473.6m5:451116m7:48-五老峰(1618.8m9:2540-大ガレの頭(1904m11:3040-毛無山(1945.5m12:1944-麓ゲート14:3040=富士緑の休暇村15:2016:20=八王子17:50

費用:貸切タクシー 6万円 入浴代 800

梅雨入りしてぐずついた天候が続く中、15日は全国的に晴れるとの予報。しかし、15日下部温泉で目覚めてみると、空は曇っていて1日中晴れ上がることはなかった。

温泉会館前の石段を上がり、尾根に取り付く。かつて「湯町緑とふれあいの街」なる遊歩道が作られていたらしいが、石段には分厚く落ち葉がたまり、「森林浴の道」の看板が場違いなほど、辺りはうっそうと茂って暗く倒木が多い。自然林と植林が交った尾根に出ると、やっと歩きやすくなり、473.6m峰に出た。石柱に図根点と書いてあった。630m圏で明るい伐採地に出たが、植林した苗木を鹿から守るためかネットが行く手をふさいでいる。やむなくネットの破れ目から一人ひとりくぐって入った。行く手に目指す五老峰が三角錐の山容を見せている。苗木は成長していたが、タラノキ、キイチゴ、ノイバラ、サンショといったトゲトゲの植物が蔓延しており、おまけに伐採した木が等高線のように積んであるのが既に朽ちていて、乗り越えるのも容易ではない。ヤブ好きの岩倉さんが元気に先頭を進んでいたが、小鹿がいきなり眼前のヤブから飛びあがって右手に逃げていくのに驚かされた。後半はゲストの後藤さんに先頭に立ってもらって、100mほどの伐採地をようやく越えて、ネットの隙間から外へ出た。30分かかっていた。ここからは自然林の尾根をひたすら登って行く。踏み跡はうっすらながら途切れることはなく、赤テープや立ち木の赤丸がところどころに付いている。炭焼き小屋のような建築物があり、巨大な石垣のような岩稜もあり、甲斐金山跡に近いから、この辺にはかつて案外人の往来があったのかもしれないと思われた。岩が立ちはだかると、その左右には新しいトラロープが張ってあり、進路を示してくれている。岩を巻いたり、尾根に出たりしながら高度を上げてゆくと、1550m圏で露岩の上に出た。白肌の太い枯れ木が岩をがっちりつかんでいる。ここから南アルプスの山々がみえるはずだが、白いガスが沸いて遠望はなかった。枯れた笹ヤブを進んで、五老峰三角点に到着。薄暗い樹林の中だ。ここで昼食をとり、1620m圏の広い尾根を南東へ下って大ガレの頭へ向かう。モミ、ツガ、ダケカンバ、カエデなどの巨木が綺麗な明るい尾根だ。右手にガレが出てくると、まだ盛りのミツバツツジが次々現れ、疲れを忘れさせてくれる。イワカガミの群落もあった。一か所岩を登るのに、木材搬出用に使ったらしい針金が張ってあるのを利用した。1904mの大ガレの頭は、北に延びる雨河内川北側の縦走路の途中のコブである。今日の長い登りのしんどさにかなりばてて余裕がなくなっていた私は、この時点で地図を確認せずそのまま北へ進もうとして岩倉さんに呼びとめられ、広い尾根を南寄りに戻って、大ガレの頭へ到達することが出来た。立ち木に古びた標識があり、ようやく到達できた山頂で記念写真を撮る。ここから南東へ急に下り、登り返して毛無山へ向かう。足元にはテンニンソウやヤマドリゼンマイの葉が青々と茂り、灌木の間を縫うように進んで、毛無山山頂に飛び出した。辺りはガスでかすんでおり、今にも雨が落ちてきそうだ。富士山どころか、何も見えず残念。地元消防団の研修らしい若い男性の一行と男性二人連れ、男女二人連れが次々麓方面から上がってきて昼食を取り始めた。私たちは20分ほどケーキタイムを取ってから、一般コースを麓へ下る。今度はゲストの小林さんに先頭を歩いていただいた。標高差1700m、歩行9時間の充実した山行が終わった。(助廣弘子)


五老峰山頂

大ガレの頭

毛無山にて


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東北/高松岳~虎毛山

期 日:6月25日(土)~27日(日)二泊三日 曇り、曇りのち雨、小雨

参加者:L中村精、小澤美喜代、松宮俊彦、助廣弘子、市川静子、竹田早苗 計6名

コースタイム:25日JR東京駅7:04=新庄10:5411:23=湯沢12:3038=山伏岳登山口(川原毛)13:3514:42-山伏岳15:4253-高松岳避難小屋17:40  26日5:10-高松岳5:1520-カンジャロコース分岐6:0515-虎毛山分岐13:2030-虎毛山14:2550-分岐15:4555-渡渉17:2530-赤倉沢の橋18:10-駐車場18:45=(宿の車)=宝寿温泉 27日宝寿温泉8:45=(タクシー)=道の駅=横堀9:2510:01=新庄10:5011:14=大宮14:30=東京14:56

費用:(一人分)大人の休日倶楽部パス13000円、タクシー代 6700円+心付け1600円、宝寿温泉宿泊6450円+心付け850

はじめに、今回の山行について、あと一歩で色々な方面や皆さまにご迷惑をかけることになりそうだったことをお詫びいたします。当日の朝、宿に連絡をとらなかったこと、自分の携帯がつながらなかったこと、唯一、携帯の通じる虎毛山山頂で土砂崩れの個所を確認しなくて、下山が遅れたこと、安心して歩ける対処が足りなかったことを反省します。

25日、タクシーは、途中、三途川渓谷の閻魔石象のある橋でメーターを止めて川原毛地獄の説明をしてくれた。泥湯三山の一つ山伏岳への登りは、ブナの森の中で、道はかなりえぐれていて時間がかかる。高松岳避難小屋が山の上に小さく見え始めるが、道はガクンガクンと下る。思いがけずシラネアオイが出てきたり、サンカヨウ、イワカガミ、ミズバショウの花もあった。途中下山者は一人、市川さんが小屋の様子を聞くと、戸が外れていたので立て掛けてきたと。避難小屋には男性が3人、小屋の補修に来ていた地元の人たちだった。3人は二階に、私たちは一階に寝ることにした。硝子戸の外に木の戸がある、しっかりした作りの小屋で、虎毛山の避難小屋と殆んど同じ作りであった。夕食を作って食べたり飲んだりして、早めに休む。

26日朝4時起床、小屋の前から雪の栗駒山や虎毛山が見える。朝食後、記念撮影をして出発する。高松岳へは、すぐだったが、ここからの下りが急で、右に左に方向を変える痩せ尾根。カンジャロコースの分岐には、高松岳1キロと記されていたが、もっと長いように感じた。ここからは、ブナの鬱蒼とした原生林の中の道だったが、虎毛山分岐まで指導標はない。道はしっかり通っていて迷うことはないが、ブナの枝が折れていたり、笹がかぶっていたり、倒木があったりで歩きにくく、思ったより時間がかかる。左側がガレていて細いところが3か所あった。ガレを通る時少し展望があった。途中で松宮さんに先頭を代わってもらう。1177M地点からずっと登っていて、やがて1234Mピーク、虎毛山分岐に着く。高松岳11.5キロ、虎毛山1.3キロとあるが、高松岳の方は変だ。ここからは一般道とひと安心して、休息、山頂の楽園をめざす。虎毛山の避難小屋は、高松岳と殆んど同じ作りだが、昨年以来壊れたままだ。ガスっているが、先に行ってみると、池糖が木道の先に続いている。今日は展望はないが、チングルマ、イワウチワ、ヒナザクラなどの花も咲いている。ゆっくりしたいが、時間を急ぐので分岐まで戻る。ブナ、サラサドウダン、ヒノキの原生林の中、600Mの急下降、水場まで急ぐ。ここからは、川に沿った平らな細道と思っていたら、小さな崩れが3か所、一番奥の車が入る地点の手前では、橋がなかった。1Mぐらいの幅だが、石や丸太を入れて浅くして松宮さんの長いストックを借りて渡る。その先も2か所、路肩に土砂が崩れて、車は通れない。予定時刻はとっくに過ぎている。タクシーは待っていないと思ったら、そこからもう少し先に車が見える。その手前で斜面が崩れ、沢の水が混ざって15Mぐらいの幅の泥田のような状態になっていた。先に行った人は力任せに通過、小澤さんは藪を登って通過。私は泥田に踏みこんで、靴が泥の中にめりこんでしまい、尻もちをついてしまう。ストックをついて立とうとするが、なかなか起き上がれず、竹田さんの手を借りて立つ。まさか、こんな国道近くが崩れたとは・・・ 長時間待っていてくれたタクシーに規定の料金を払って帰ってもらい、ダンボールを敷いた宿のご主人の車に泥まみれのまま乗せてもらって宿へ。露天風呂からバケツに湯を汲んで靴やザックや衣服の泥を洗うのを手伝ってくれる。濡れたものを入れるビニール袋や靴に詰める新聞紙まで用意して下さる手厚い宿のもてなしに感謝。いい宿に恵まれました。実力ある皆さんと一緒に無事に高松~虎毛山を歩きとおすことが出来たのは、せめてもの慰めでした。ありがとうございました。(中村精)


ギンリュウソウ

シラネアオイ

サラサドウダン

栗駒山を望む

虎毛山頂上

高松山避難小屋

遥かな虎毛山

                                 山行記録へ戻る















道南/大千軒岳・恵山・渡島駒ガ岳

期 日:6月25日(土)~27日(月)二泊三日、天侯:晴れ、晴れ、曇り

参加者:L吉田和興、木村真知子、上野 進 黒澤寿子、計4名

費 用:48,000円(パック旅行代金32,000+宿泊・食事・入浴代、現地交通費、計16,000円)

コースタイム:羽田AD81便6:40=函館空港8:30=(レンタカー)=松前登山口12:30-(新道コース)-大千軒岳14:0520-登山口15:20=松前城=函館山=函館(泊)=賽ノ河原駐車場9:10―無名峰-恵山11:0010-登山口12:00=大沼=大沼公園YH(泊)=赤井川六合目登山口8:50-馬の背9:35-剣ガ峰取り付き10:05-馬の背10:30-駐車場11:00=函館市内観光=函館空港AD84便=羽田1755

・渡島駒ガ岳の赤井川コースは9時にならないと六合目に行く林道が開かない、15時で閉鎖となる。馬の背ではロープが張ってあり、それより先は一般者進入禁止となっている。剣が峰の岩場はこれと言った確たるルートはない、取り付いてみたが危険なので撤退した。

・大千軒岳は思っていたよりもはるかにいい山である。稜線にでると渡島半島の山々、津軽半島、

遠くに下北半島、函館が見渡せ、お花畑が続く。ただ時間がないので周遊できなかった。海岸線から林道に入って、これが長い。1時間20分かかった。海岸線は奇岩・奇勝、崖には野かんぞうの花も咲き快適なドライブコースである。(函館から登山口まで130Kmある。)

・山として登って楽しめるのは、駒ガ岳よりも恵山。こちらは下北半島が目の前に見える。

(吉田和興)



大千軒岳

大千軒岳のお花畑

大千軒岳1等三角点

恵山

下北半島を望む

恵山頂上

大沼から渡島駒ケ岳

渡島駒ケ岳を背に大沼

渡島駒ケ岳を目指して

渡島駒ケ岳鋭鋒

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北ア/霞沢岳

期 日:7月24日(日)~26日(火)二泊三日 晴、曇後雨、曇時々晴

参加者:L山本文夫、派田正 計2名

コースタイム:24日新宿都庁大型バス駐車場7:30=(バス)=上高地バスターミナル河童橋11:3512:05-明神12:3513:05―水場14:40ー霞沢岳分岐15:05-徳本峠小屋15:15(泊)

25日小屋6:25-ジャンクションピーク7:2535―3つ目のピーク8:15252330mピーク8:35-ガレ場の上部8:50-K1ピーク10:2530-K2ピーク10:50-広い道(昼食)11:0025-霞沢岳頂上11:3540-昼食場所(雨具着用)11:5012:00―K2P12:0815-K1P12:3238-ガレ場の上13:2852-2つ目のピーク14:00-湿地帯14:13-ジャクションP14:5715:05―小屋15:50(泊)

26日小屋6:30-力水7:30-岩魚留小屋8:339:00-離れ岩9:40―瀬戸下橋9:55-休憩スタンド(岩魚留2.6k、二俣2.6k)10:0515―戻り橋10:45-行き橋10:57―二俣11:13-休憩11:2030-釣り橋の近く12:00―車ゲート12:07―島々宿(農産物加工場前)13:15=(タクシー)=竜島温泉(せせらぎの湯)=(車)=新島々駅=(電車)=松本=あずさ28号=八王子19:03

費 用:約35000

内訳 高速バス6000円 徳本峠小屋18000円 CD3000円 タクシー1180

 温泉500円 松本電鉄680円 JRあずさ4200円(ジパング)等

*徳本峠小屋標高2135m

*霞沢岳   標高2645.6m(日本200名山)

24日(日) 都庁近くのバス停はわかりづらい。7時過ぎには各方面行の人々で混雑していた。 バスは普通の2座席ずつで後部にまだ空席があった。中央高速は八ケ岳PAでトイレ休憩1回のみ、松本からの国道158号線は2ケ所崩壊の跡あり一方通行で問題なし。帝国ホテルの手前から片側はバスターミナルまですべてバスで埋まっていた。聞くとこの土日のみ今年は一般観光バスが入れるとのこと。遊歩道と河童橋から明神まで人々であった。

穂高の山々は山頂付近は雲の中で全く見えず、わずか明神岳がちらっと見えた。焼岳はずっーと見えた。明神のベンチで昼食。富山の女性から笹スシ一箱もらい二人で食べた。おかげで荷物は軽くならず、徳本峠への道に入ってから人は絶え、小鳥が4種類程さえずりの競演のみ、途中単独行の下山者に霞沢岳の様子を聞く。上り3時間下り1.5時間だったとの事でビックリ、今朝大滝小屋からとの事。

徳本峠小屋は昨年8月完成、古い柱は再利用され、外観はあまり良くないも頑丈な造りと見えた。古い建物も半分位残り、新築は2階建てで、下は食堂と炊事場、2階は宿泊となっており、2階から別棟のトイレへ行けるようになっている。定員30名だが昔129名泊したとのこと。主人は大阪の人で仲々のお人好しと言うか、親しみやすく、2日目山から戻ってから夕食をはさんで3人で飲んで話をした。

夜は再誕一周年記念コンサートがあった。ガンバ奏者、品川聖と言う。少し太めのマジメな若者(35才位)で40分にわたり、低い音で近くで聴くのも仲々良かった。ガンバとは大きいヴィオラがチェロ位で、7弦あり、弓は下から持って弾く。バロックが得意との事であった。外は蚊が多く室内で乾杯した。

25日(月) 3時半頃から皆さんガサガサ起き始め、5時には吾ら2人だけになった。夕べは羽毛ふとんが暑く、何度も目が覚めた。夜中に星空だったが3時頃から雨があり、朝はガスの中で何も見えない。6時半出発は展望台から行った方が良いと奥さん?がわざわざ出て来て教えてくれた。

最初は草つきの道で露払いが10人以上通った後でラッキーと思った。その内、林間をジグザグに登ると、ジャクションPに着いた。相変わらずガスの中を登ったり、下ったり、水のない湿地帯のぐちゃぐちゃ道を通ったり、やがて大きなガレ場が左側にあり、登山道も巻き込みそうに崩れていた。ようやく低木帯になり、お花も咲いている。泥濘道を又急登の長い沢筋の汚い崖道をトラロープに捕まりながら登ったらK1ピークであった。ここが唯一の難所と言えば言える所であった。

K2Pまではようやく見えて一度下って小山を幾つか越した先に見えた。はい松に足元をすくわれながら進むといつかK2に登った。ガスの向こうに薄く本峯らしきものが見え、急に元気が出てきたがお腹も空き、道端で食事をした。

もう誰もいない二人だけの山なので、ザックをそのままにして、出発。お花を愛でながら行く。白、ピンク、黄、赤等、キズガサソウの大輪が並んでいたり、シャクナゲの白と、少しピンクがかかったのがあったり、イワカガミもあり、名前の知らない花も多く桜もあった。すべて咲き始めで綺麗。二人でパチリ、パチリと道草をやっているとパラパラと雨が、まずいと思い、お花畠を切り上げ、先を急ぐと直ぐ頂上だった。霞沢岳のカンバンと左奥に三角点があった。そんなに広くない。記念写真を撮り、直ちに退散。

雨がひどくなり、全身ずぶぬれ、ザックを置いてきたのがくやしい。ザックから雨具を取り出し身に着けたら晴れた。と、見る間にガスが上り始め、周辺が見えて来た。上高地も良く見える。大いに希望が持てたが再びガスがかかり始め二度と晴れなかった。

雨も降ったり、止んだり、たんたんと覚えのある道を戻る。4時少し前に小屋に戻り、バケツをかり、タンクの蛇口から水を出し、雨具、スパッツ、靴等の泥を荒い落とす。この小屋の特徴は飲料水は湧水を使っている。その他は天水で使い分けていることである。

夜は旧館の2階で寝たのは4人だった。

26日(火)昨夜と同じく12時頃は星空で3時には雨音がした。朝は止んでいた。6時半出発。主人の話で下草刈をしてあるから上着の雨具は不要との事で大助かりだ。ジグザグの急傾斜の道はガレもなく昔ながらで400mの高さを一気に下る。水場で先行の2名を追い越す。これから沢筋で相当ひどい荒れ方で右へ左へと渡渉も多く、木橋も殆ど流されて、まともな橋は一つもなかった。赤札を探しながら岩をつたい、流木を渡り、10回は数えたが多くて諦めた。  

出発から丁度2時間で立派な木橋があり、岩魚留沢橋とあり、渡った所に小屋があった。丁度一人登って来て、ベンチに同時に着いた。夜行バスを島々で下り、登って来たとのこと。多分、このコースは今日5名のみだろう。小屋の前の立派で新しい木橋を渡り、再び右岸、左岸と歩き同じタイプの木橋を渡ったが、もう渡渉はなかった。一ヶ所この木橋が完全に流され、鉄梯子で沢に下りた。しかし、本流に流れ落ちる支流の多くの小沢の崩壊がひどく、ガレ場で登山道は寸断され、土砂や岩石を乗り越えて下った。

二俣に取水口があり、ここから車道になったが、至る所で崖が崩れて道を塞ぎ、「車止め」の先の発電所よりもっと下流まで通行不能であった。

島々宿で農産物加工所のおばさんに道を聞き、交番は不在で、郵便局にてタクシ-を呼んで竜島温泉「せせらぎの湯」で汗を落とした。ここは下山口の対岸だが、橋がないので、遠回りにならざるを得なかった。本通りから離れたかくし湯的な所であった。風呂の中で会った人の車で新島々の駅まで送ってもらい、初めての松本電鉄に乗り、松本からあざす28号で帰った。八王子に7時過ぎであった。(山本文夫)
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御坂/蛾ケ岳・市川大門 『神明の花火』

期 日: 8月7日(日)日帰り [晴れ時々雨]

参加者: L竹田早苗、小原紀子、小澤美喜代、河崎正道、市川静子、黒澤寿子、山村晶子、(支部外)竹田利昭、笠原 隆 計9名 

コースタイム:町田マツモトキヨシ前 6:45=相模湖IC=談合坂SA=甲府南IC=四尾連湖(900m) 9:3545-大畠山分岐(1090m) 10:0510-西肩峠(1170m) 10:5055-蛾ケ岳(1279.0m) 11:1015-西肩峠(1170m) 11:25-大畠山分岐(1090m) 11:55-大畠山(1117.6m) 12:0005-四尾連峠(986m)(昼食)12:1545-東屋(845m) 13:1015-うなぎ沢分岐(760m) 13:30-碑林公園・市川本町駅分岐(405m) 13:5055-金毘羅大権現(365m) 14:10-車道(270m) 14:15-市川公園(275m) 14:20=「みたまの湯」 14:3015:45=駐車場 16:00-花火会場 16:1521:30-駐車場 21:55=増穂IC=双葉SA=大月IC=最初の人の自宅 0:30=最後の人の自宅 3:00

 四尾連湖で山組と温泉組に分かれる。この四尾連湖は支部山行、本部合同山行、昨年の花火大会と今年で4回目と相模原町田支部とは縁が深い。

 樹林の中を歩くので意外と涼しいが大畠山分岐の稜線まで、約200mのジグザグの登りはやはり厳しい。分岐から西肩峠までは軽い登り降りは有るがほぼ水平道、風も有り気持ち良く歩けた。西肩峠から山頂までは約100mの厳しい登りなので各自のペースでゆっくり登る。蛾ケ岳に着くが雲が多く展望は余り良くないので早々に下山。

 元の道を戻り、本部合同山行の時に時間切れで登れなかった大畠山へ寄り、四尾連峠へ、ここで遅い昼食とした。この四尾連峠は「野沢一」の文学碑公園と成っていて広く気持ちの良い所だ。野沢一は笛吹市に生まれ大学時代に病を患い休学し、ここ四尾連湖畔に丸太小屋を建て5年間住んでいたらしいが、昭和4年のこの地での一人暮らしは大変だったと思う。

 四尾連峠からは峠路らしく道幅も広く、馬頭観音・石仏など昔の面影が残っていた。展望の良い所には東屋が有り、その少し先に烽火台の有るピークが有ったがそこは巻く。うなぎ沢へ下る分岐を分け下って行くと市川大門駅と市川本町駅への分岐が出て来る。我々はタクシーを市川公園に待たせて有るので市川大門駅方面へ進むが、ヤブ・クモの巣が多く歩く人は少ないと思った。多くの人は碑林公園経由市川本町駅へ下る様だ。このコースには2ケ所3角点が有るが、両方とも確認出来なかった。

 石黒タクシーに乗り込み「みたまの湯」に向かう途中、豪雨と成り間一髪だった。高台の上に建っている「みたまの湯」の露天風呂からは素晴らしい展望、甲府盆地と南アルプスが目の高さで見える。

 市川大門は昔、武田氏の軍事用狼煙の生産地で有った事から現在も花火の町で、江戸時代の日本3大花火「三河・吉田」「常陸・水戸」「市川三郷・神明の花火」の一つとされていた。現在の3大花火は「長岡まつり」「大曲」「土浦」で約2万発が打上げられているが「隅田川」「神明の花火」もそれと同じ2万発である。

 会場では、今回世話に成った竹田さんの娘さんのグループと合流し、各自が持ち寄った肴で花火前の宴会が始まった。時折雨が降るがそれにも負けずに飲める人は飲み続ける。

 打ち上げ場所と見る場所が近いので、頭上で花火が開く為、見ていて首が痛いので寝ながら見ると丁度良かった。 神明の花火は2尺玉(500mまで上昇し、直径500mに開花する)が目玉で、他に音楽に合わせてストーリー性の有るプログラム構成で打上げられるものなどは観客が一緒に歌い出す。 『7月おいで盆すぎて市川の花火の場所であいやしょ』と地元では市川の花火を大切な人と一緒に見ると幸せになれる「出会いの花火」と親しまれているらしい。その為「メッセージ花火」が打ち上げられるが内容は「結婚して下さい」などが多い。大会前に30文字以内で3万円からメッセージを募集しているらしいですよ、皆さん如何ですか。 真近で真上に打ち上げられる迫力満点の2万発の花火も何だかアット言う間に終わった様な気がする。

 今年の開催が日曜日だった為か現地では渋滞も無く高速に乗れたのだが大月より先が渋滞していた。石黒さんが大月ICで降り一般道を走った判断が良く、渋滞は避けられて、最初の人は0時30分で最後の市川さんも3時には家に帰れた。(河崎正道)

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白山 

期 日:8月20日(土)~21日(日)前夜発一泊二日  曇り後雨、雨

参加者:L上野 進、松宮俊彦、助廣弘子、加納三喜男、杉江秀明、山口久基(支部外) 計6名

コースタイム:JR八王子駅21:40(=渋谷駅マークシティー5F22:45)=金沢駅東口6:006:45=(北陸鉄道白山登山バス)別当出合8:559:25-(砂防新道)甚之助避難小屋11:1511:55(エコーライン)-室堂センタ13:4014:20-御前峰15:00-(白山お池めぐり)室堂センター16:20(泊)~7:30-(黒ボコ岩経由)-甚之助避難小屋8:209:20-別当出合10:5511:00=(バス)市ノ瀬 11:1513:45=(バス)金沢駅15:5016:20=(JRはくたか21号)越後湯沢=(新幹線)大宮19:46

費 用:約31,840円(夜行バス7,840+白山登山クーポン10,600+JR12,800,入浴代600

初日は曇りで午後から雨の予報であった。金沢駅から北陸鉄道白山登山バスに乗り込んだが、補助席も一杯になる状況であった。途中でもう1台バスが追加され2台目のバスはガラガラだった。

市ノ瀬には広い駐車場があり、マイカーがたくさん停まっていた。ここから別当出合まではシャトルバスが出ておりマイカーの人はこれを利用することになる。

別当出合にはたくさんの登山者がおり、ファミリーも大勢いた。一番ポピュラーな砂防新道を行く。初級者コースの割には傾斜がきつい。道は石畳になっており非常に歩きやすい。途中中飯場にはトイレ、甚之助避難小屋は新しく中も割合広く、トイレも非常に立派であった。ここで昼食とした。

この先南竜道分岐から南竜道に入り途中からエコーラインを登る。お花畑が出現し気持ちが癒される。花に詳しい助廣さんに色々な花の名前を教えてもらうが、悲しいかなアルツハイマー直前の頭はたちまち名前が消え去ってしまう・・・。きつい傾斜を登りきると広々とした弥陀ヶ原に出て、木道を歩く。チングルマは既に終わっており穂となっていた。

しばらくで室堂センターに到着。まず宿泊手続きをする。宿泊棟は3棟で妻側が渡り廊下でつながれており、中央に外部トイレがある。我々は中央の棟であった。中廊下を挟んで両側に部屋があり、入ると両側に2段の寝床がある。夫々8人ずつ泊まれるよう敷布団と毛布2枚が用意されている。2階を6人で使用してよいとのことでほっとした。

明日は朝から雨模様なので、予定通り御前峰行く。白山比咩(しらやまひめ)神社にお参りをし、整備された石畳を登っていくが、かなり傾斜がきつい。途中で杉江さんはリタイアし室堂周辺の散策に切り替える。40分ほどで山頂に到着。奥宮がある。周辺はガスに包まれまったく視界なし!そのまま来た道を戻ろうか考えたが、加納さんの力強い言葉でお池めぐりに行くことにする。視界がほとんど無いため、地図とコンパスで確認しながら進む。はじめは岩場でその後も意外と傾斜がきつい。紺屋ヶ池らしきところでUターンするが分かりづらい。地図にも迷マークが着いていた。その先千蛇ヶ池でも方角が分かりづらい。方位を確認して山すそをトラバース気味に進みやがて登拝道に合流しすぐに室堂に着いた。初級者コースといえどもガスがかかると途端に難しいコースになると実感した。

夕食は500520までの割当で総てセルフサービス。生ビールを飲みつつ歓談し制限時間を20分程オーバー。食事内容はまあまあだった。

食後時間をつぶす談話室もなく、特にイベントも無いようなので、部屋に戻る。乾燥室があるのは有り難いがとにかく狭く、ほとんど割り込む余地がない。あきらめて合羽は玄関脇に干す。明日は朝から雨との予報なので、6時の朝食を食べ計画の白山禅定道は途中岩のヤセ尾根があるので、黒ボコ岩経由の一般道でゆっくり下った。途中甚之助避難小屋では山口さん持参のコンロでお湯を沸かしコーヒーをご馳走になった。中飯場から先下山専用の道に入る。ここは余り整備されていない。やがて登りの道に合流しまもなく大吊橋を渡り別当出合に到着。1100のシャトルバス(20分おき)が出るというのであわてて乗り込む。市ノ瀬の永井旅館(日本秘湯を守る会)で汗を流した。玄関の談話スペースで打ち上げとした。隣で先に飲んでいたご夫婦にブルーチースをご馳走になる。このご主人は昔写真の修行を10年ほどしたとかで、山の写真を10枚ほど見せてくれたが、セミプロという感じだった。

最後に色々な花を見たがハクサンカメバヒキオコシ、センジュガンピという花は初めてだった。シモツケソウ、タテヤマアザミ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマあたりは何とか分かった。

視界は余り良くなかったけれど、支部長の協力もあり、最後に全員無事に下山出来、まずまずの山行でした。ご協力有難うございました。これに懲りずに又参加してください。(上野進


甚之助避難小屋

甚之助避難小屋

頂上

頂上

お池めぐり

お池めぐり

別当出会い


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箱根/大雄山最乗寺奥ノ院とビール工場見学

期 日:8月27日()日帰り 

参加者:L市川静子、中村精、森田隆仁、小原紀子、小澤美喜代、河崎正道、木村真知子、竹田早苗、笠原隆(支部外) 計9名

コースタイム:新松田駅8:25=(バス)=関本8:469:15=(バス)=道了尊9:25-大雄山最乗寺拝観9:3010:10-てんぐのこみち-花咲く里山-仁王門11:4012:00-清左衛門地獄池12:1823-大雄山駅12:4045-アサヒビール神奈川工場13:0015:10(見学)-バス停15:2016:00=(バス)=新松田駅16:30

軽いコースなので雨天決行としたが、小雨けぶる杉木立の参道を歩きはじめることになった。ふだんは明神ヶ岳のゆき帰りに通過するだけの境内をゆっくり参詣する。長い石段をあがって奥ノ院の十一面観音にお参りしてからてんぐのこみちへ。林床にはヤブミョウガが花盛りだった。

花咲く里山は、地主さんたちが花を植えてウォーカーを楽しませてくれる里道だ。仁王門の小広場で昼食後、中村さんの案内で清左衛門地獄池を訪れてから、バスでアサヒビール神奈川工場へ向かう。

南足柄の豊かな自然が残る敷地にある近代的な工場で、映像室で10分のビデオ鑑賞後、40分ほど工場内を見学する。お楽しみの試飲会場では、生ビール3杯(20分)をいただく。だいたいの人がクリアーできたようだった。ほろ酔い気分で新松田で解散した。(市川静子)



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