2013年の山行
身延線沿線/身延山
期 日:1月3日(木) 日帰り 晴れ
参加者:L冨重正樹、宮島陽子、宮澤恵子、助廣弘子、本山まり子、岩倉啓子、黒沢寿子、加納三喜男、杉江秀明、小磯登志子、武末範子 計11名
コースタイム:身延駅10:28=妙見寺10:44〜49−祠(610m神社記号)11:47−914m 12:55〜13:25−身延山14:09〜35−三光堂15:13−久遠寺15:35−身延山バス停15:48〜50=身延駅16:02
費 用: 身延駅=妙見寺 タクシー 3140円
身延山=身延駅 バス 280円
身延山ロープウェイ 680円
東海道線・中央線、双方の経由で身延駅に集合しタクシーで妙見寺まで入りました。簡素ながら伝統を感じさせる寺を横目に先へ続く林道を進み、終点から植林の斜面に取り付きました。身延山と粟倉山の最低鞍部への地形図の破線路に沿って送電線が走っているので巡視路があるはずとの目算が外れ、仕方なく急な斜面をジグザグに登り始めます。今から思えばすぐに取り付かずに沢沿いに探りを入れるべきだったのですが。結果的に西へ登るはずが、尾根を1本外して南西へ914mへ突き上げる尾根を登っていることに気づきましたが、急でトラバースは困難と判断しそのまま直登することにしました。幸い薮はありません。途中にある610m付近の神社記号には小さな祠が奉られていて傍らには細いながら水が湧き出ていました。更に斜度を増す尾根は700mを越した辺りから落ち葉が積もる明るい自然林になりますが同時に岩っぽくなってきます。750m辺りは右側がガレた痩せ尾根で、富士見山が良く見えます。860m付近の馬の背状の岩場を越えると914m、2時間余りの緊張の尾根這い登りから漸く解放されます。粟倉山は諦めて昼食後、身延山へ。緩急を繰り返しながら登り、中継塔が建つ北の肩(1110m圏)からは古い林道を緩やかに辿り重厚な社殿が建つ奥ノ院に出ます。奥ノ院左手奥の展望台には「山梨百名山」の標柱と展望案内図があり、南アルプス南部の山々が一望できます。荒川三山や塩見岳には生憎雪雲がかかっていますが、手前の笊ヶ岳は白銀に輝き一際目を引きます。北には富士見山から櫛形山への尾根が重厚な連なりを見せています。ここからは東登山道下山組とロープウェイ下山組に分かれ、東登山道下山組(係・宮島さん・岩倉さん計3名)は幅広い参道を富士山や富士川流域の山々を眺めながら快適に下り、五重塔を擁する大伽藍の久遠寺、荘厳な山門に圧倒されながらギリギリで15時50分発のバスに滑り込み、身延駅で先着のロープウェイ組と合流して帰途につきました。
係の大きなルートミスを「これもまた楽し」と解釈してくれた心の広いメンバーにひたすら感謝。粟倉山は泡と消えてしまいましたが、こういう形で登り損ねた山は気になってしまいますね。(冨重正樹)
期 日:1月6日(日)日帰り 晴れ
参加者:L助廣弘子、中村精、森田隆仁、小原紀子、小澤美喜代、木村真知子、澤田治之、小梶昌弘、大関清光、矢澤孝二、山本文夫、安瀬はる江、派田正、松宮俊彦、上野進、黒澤寿子、佐藤邦弘、峰尾欽二、鎌田文子、杉江秀明、小磯登志子、大関史郎、冨重正樹、白鳥松男、小松茂男 計25名
コースタイム:本厚木駅10:40=(バス)=土山峠11:25〜30−辺室山12:45〜14:30−土山峠15:30〜56
費 用:本厚木=土山峠(神奈中バス)540円
連日、5度、6度の厳しい寒さが続いていたが、今日は10度まで上がるとの予報。本厚木に着くと暖かな陽が差して、絶好の新年山行日和となった。
腰を痛めた竹田さんが、わざわざ鍋とコンロを本厚木まで届けに来て下さり、恐縮する。25名でバスはほぼ満席となって出発。土山峠から辺室山を目指す。いきなり急な細い階段が登っているので、酔って下山するのが心配になる。
冨重さんに先頭を歩いてもらってゆっくり登り、1時間15分で山頂に達した。成長したケヤキやクヌギの林間に小広い空き地があり、落ち葉がたまって気持ちの良い空間だ。木製の大きいテーブルの上に2つのコンロを置き、各自持参のレトルトおでんを鍋に入れて温める。色々な種類のお酒とつまみが並んだテーブルを囲んで、全員が立ったまま飲んで食べてしゃべって、楽しい新年会となった。創部50周年を記念する旗を広げて記念写真を撮ってから下山へ。酔った人には介添えがついて、慎重に下る。無事1時間で土山峠に下りた。
無事下山出来てみれば、恒例の新年山行はやはり楽しいが、酔って事故を起こしたら、と思うとぞっとする。山頂で宴会をする新年山行を続けるべきか否か、考え直したくなりました。(助廣弘子)
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ベトナム最高峰/ファンシーパン山(3143m)(創部50周年記念 海外山行)
期 日:1月10日(木)〜17日(木)
参加者:L松宮俊彦、森田隆仁、矢澤孝二、派田正、宮島陽子、宮澤恵子、助廣弘子、市川静子、黒澤寿子、峰尾欽二、鎌田文子、平林陽子(武蔵野支部)、計12名
本多直也(ツアーリーダー、アルパインツアー社)
日程及びコースタイム:
1月10日(木)成田10:00=ハノイ15:00=寝台列車(泊り)
1月11日(金)寝台列車=ラオカイ(Lao Cai)=サパ(Sapa)=サパ郊外少数民族部落(クロモン族、赤ザオ族)見物=サパ(ホテル)
1月12日(土)サパのホテル8:35=チャムトン峠(1950m)9:15〜9:30−第一キャンプ(2250m)12:15〜50−第二キャンプ地(2800m)15:55(テント泊り)
1月13日(日)第二キャンプ地7:45−ファンシーピンの鞍部8:25〜35−ファンシーパン10:55〜11:30−ファンシーピンの鞍部13:10〜25−第二キャンプ地14:10〜45−第一キャンプ地17:30(テント泊り)
1月14日(月)第一テント8:05−チャムトン峠10:35〜50=サパ11:20−ハムロン丘−サパ(ホテル)
1月15日(火)サパ7:10=ラオカイ郊外(中国国境)=ラオカイ駅9:15=列車=ハノイ駅20:25=ハノイ(ホテル)
1月16日(水)ハノイホテル7:00=ハロン湾11:00=ハロン湾クルーズ14:00=ハノイ18:10=水上人形劇18:30-18:50=レストラン=ハノイ空港21:40〜0:10
1月17日(木)成田空港7:00
【ファンシーパン山 に決定まで】
相模原町田支部創部50周年記念に海外山行を含むことは当初から異議なかった。課題は、どの国のどの山域にするか。当初の2012年3月頃は何となく、ニュージーランドが最有力でそのほかにもヒマラヤ等も候補に挙がっていた。支部山行であれば、多くの支部員の希望を反映するのが第一と、6月にアンケートを実施。35名のアンケート結果は、条件があえば参加したい(20名)、日数は5日〜7日(9名)8日〜10日(6名)あたりが中心、コストは特に希望無し(7名)20万円〜30万円(7名)と言ったところ。この段階でニュージーランドやヒマラヤはコストもかかるし、個人で行けばよいのではとの意見が多く候補から脱落。従来から相談に乗ってもらっていたアルパインツアー社からもアイデアを出していただき、台湾・ベトナム・ハワイの3候補に絞った。8月の例会の後に、海外山行希望者で検討し「ベトナム最高峰ファンシーパン」に決定。その後日程も2013年1月10日〜17日に確定した。また11月の例会の後、アルパインツアーの本多氏にベトナム山行の内容に関して説明を受けた。
11月末を締切日として参加者を募ったところ、13名の参加者(支部外1名)が確定した。募集に当たり、あいにく日程調整ができなかったり、健康診断の結果ドクターストップがかかってしまい参加できない人が出たのは残念だった。また申込者13名中、最も楽しみにしていた方が出発の前日に転んでけがをしてしまい、残念ながら参加ができなくなってしまった。その結果、最終参加者は12名となった。アルパインツアー社からは、終始相談に乗っていただきベトナム山行の経験もある本多氏自らがツアーリーダーとして参加してくれることになった。
【ファンシーパン登山基地のサパ(SAPA)まで】
【1月10日(木)】
1月10日午前8時に、参加者12名と本多ツアーリーダーが成田空港集合。皆さんほぼ始発に近い電車やバスを利用。飛行機はベトナム航空でほぼ満員だった。最近の日本とベトナムの経済交流の深さを実感した。我々の帰国予定の16日には安倍首相が最初の海外訪問地としてハノイを訪問するとのこと。
飛行機は15時頃(2時間の時差)到着。早速バスに乗り込む。今回のツアーではベトナム人のガイドのワイ(HOAI)さんが常に同行してくれるとのこと。彼は南部出身の特徴の二重瞼で、快活で話も面白く頼りになりそう。早速彼に日本円をベトナムドンに両替してもらう。日本円5千円が110万ドンとなるが、2万ドンが約80円〜100円。何しろ桁が大きい。全てのお札にはホーチミンさんの肖像が印刷されていて、彼の影響の大きさがうかがわれる。バスでの観光もまずホーチミン廟へ。彼が1969年に79歳で亡くなってから、その遺体が今でもこの廟に祀ってあり、時間帯によって直接参拝できるそうだ。
夕方、ワイルドライス(Wild Rice)というベトナムレストランで食事。ビールはハノイ(HANOI)ビール。食事は生春巻き・エビ入りの焼きそば・炒めた肉等。どれも日本人の口に合う。さらさらしたベトナム米も料理によく合って美味しい。焼酎はコメの焼酎。しっかり食べて飲んだ後、今夜の寝台車に乗るためにハノイ駅へ。
ハノイ駅で待っていた寝台車は、10両以上あり一部は他の国のお古も連結しているようだった。部屋は上下2段の向き合いで4人1組でコンパートメントになっている。奥行きは180cm程度か。外国特有の低いプラットフォームから乗り込むと旅情に誘われる。荷物の整理が片付いた頃、21:10に定刻通り出発。列車は愛国的に「ベトナム・ベトナム」(ワイさん談)とゆっくり適度な揺れで進む。今朝早くからの飛行機で疲れ気味の所に夕食のお酒のせいもあり、よく眠れた人が多かった。
【1月11日(金)】
5:30の定刻に中国との国境に近い町ラオカイ(Lao Cai)に到着。まだ夜明け前で暗いのに、駅前は列車から降りた多くの観光客と駅前の市場やホテルの人々で活気がありごった返していた。はぐれないようにマイクロバスに乗り込む。それから1時間ほど、田舎道を走る。周りは霧がかかった状況であまりよく見えないが、田畑や民家がポチポチあるようだ。ラオカイの標高が約150mで目的地のサパが約1500mとのことなので、マイクロバスはひたすら登って行く。途中遅いトラックは追い越して行く。
7時頃サパの町に到着し、ホテル(Chau Long Sapa Hotel)へ。サパは霧時々雨と言った天気でかなり寒い。まだチェックインできないので、まず朝食のためレストランへ。名前は確かロータスハウス(Lotus House、Lotusはハス、ベトナムの国花)だった。イモのスープなどが美味しかった。その後必要な荷物だけ取り出し、またマイクロバスに乗って少数民族の村に向かう。約20分程でクロモン族(Black Mong)の部落ラオチャイ村に到着。マイクロバスの外に10人ほどの子供がいたので小学校と間違えた人もいたが、全員が物売りだった。傘をさしながら歩き始めると、子供や大人の物売りが一緒について来るので一団となって進む。雨と霧が少なくなると、前面に一面の棚田が見えてきた。下の方の部落から両面の山にかけて延々と棚田が続いている。棚田は今は農閑期らしく、刈り取られた稲の株だけが出ている。時々水牛小屋があったり、田んぼに黒豚やアヒル(?)がいたりする。部落の中心には小学校があり、ホーチミンさんの写真が飾ってあったり(学校や役所風の建物にはほとんど有った。規則なのかもしれない)。また、日本のODA(政府開発援助)で校舎の一部が建てられたことを感謝する掲示板もあった。部落の中心にはお土産屋があり、ひとしきり買い物をする。2万ドン(約100円)、4万ドン(約200円)と言った単位で人形やクロモン族独自の文様(刺繍)の入った小物入れ等を買うのだが、なんだか大金を使った気になる。一人ずっと付いてきたクロモン族のおばさんからも、何人かが少し買った。
お昼は、サパに戻って確かNature
Bar & Grillというレストランで。大きな暖炉の感じが良かった。料理はベトナム料理。美味しかった。その後全員でまず市場見物。路地のように入り組んでいて、その中に野菜、花、肉(水牛?、チキンの姿売り他)、魚(鯉、ナマズ?)、食糧品、小物等々を売っている。女性陣はクロモン族やアカザオ族の作ったスカーフや小物の物色に夢中。また全員で街の中心にある教会にも行った。サパの街は、少数民族の村の観光やハイキングの基地になっているようなこじんまりした町で、ホテルやレストランが沢山あり、アウトドアー用品のお店やお土産屋もかなりある。白人観光客の顔も良く見ることがある。ホテルにもオーストラリアからのグループなどがいた。
午後は、希望者5人がアカザオ(Red Dao)族の部落へ。他の人はサパの街で買い物等。赤ザオ族の村はタイピー村と言うらしい。マイクロバスを下りたところには、赤ザオ族の女性たちが集まって独自の文様の刺繍をしている。また多勢の土産物売りが付いてきて、グループになって進む。村は、クロモン族の村より平坦だが、やはり棚田が延々と続いており、黒豚や水牛などがあちこちに見える。全体の景色が、日本の古い農村に似ていて、数10年前にタイムスリップしたような気分になる。女性に比べ、男性は何をしているのかと思ったら、途中ベトナムの将棋をしている男性グループや、赤ん坊をおぶってお守りをしている男性がいたりした。どうも女性の方が生活力があるようだ。突き当りの民家の中を見せてくれたが、カマドがあったり天井の上に農具が置いてあったりで、古い日本の農家にそっくり。自家製の米の焼酎を飲ませてくれたので、お礼に少しお土産を買うことにした。一方、サパの街に残った女性陣は、アオザイの試着、購入に多大なエネルギーと時間を使ったとのことだった。
夜は、Red Dao(赤ザオ)という名のレストランで、ベトナム料理。ここの料理も美味しかった。外は相変わらず霧がかかった様子。食事の帰りに昼間の教会の横を通ったら、時間で色が変わる方式のライトアップがしてあり、きれいだった。やはり観光地なのだろう。それにしてもこの霧と寒さ、明日からの山行が心配。
【ファンシーパン登山】
【1月12日(土)】
6時にモーニングコール、6時半ホテルのレストランで朝食。バイキングだったがフォーが好評。荷物の整理をしてホテルを出発(8:35)。今日も寒く、雨もよいなのでスパッツとカッパをつける。マイクロバスでチャムトン峠へ。ここがファンシ―パンへの登山口で標高は1950m(9:15-30)。他にも登山客が数組いた。ガイドのリーダーはトン(TUAN)さん。他に荷物を持ったり料理を作ってくれたりするポーターが12人。彼らはクロモン族の男性達とのこと。ハノイからのガイド、ワイさんも一緒に登山する。
歩き始めると暑くなり、カッパを脱いだり着たりする。登山道やその周りに緑色や黒の大きなフンが落ちている。どうも水牛のものらしい。普段の「頭注意」ではなく「足元注意」、と言ったところ。1時間ほどで渡渉点に来た。川幅は5メートル程度。一回目は細い丸太がかかっていてその上を渡る。2回目はガイドの人達が川の中に大きな石を置いてくれたのでその上を渡る。その後しばらく河に沿って左岸を進む。周囲の森は広葉樹の木々が続くが、その中に細い竹林があるのがベトナムらしい。
第一キャンプ(2250m)には12:15頃着。高さ5m程の大きなブルーシートをかぶせた3角屋根の食事用テントと、番小屋風の食事を作る小屋がある。雨がひどくなってきたので全員テントにもぐりこむ。昼食はフランスパンにハム、キュウリ、トマトなどを挟んだもの。フランスパンが美味しい。またデザートで出た小さなミカンも美味しかった。少しゆっくりしたいところだったが先が長いのと、オーストラリアからという若者集団(11名とのこと)が入ってきたので、我々は出発することにした(12:50)。
雨の中、少し傾斜がきつくなる中を登って行く。30分程で雨がやみ、そのうち東方には、雲海が見えてきた。一部だが青空も出てきた。周囲は高い木が姿を消しほとんど笹の原に変わってきた。所々にある高木は真っ黒になって枯れている(後で聞いたところ、1998年に山火事があり燃えてしまったとのこと)。第一キャンプから約1時間で2500m弱の地点。第二キャンプにつきあげる急峻な尾根が前にそびえている。これからの登りが大変そう。
尾根は下から見たとおりの急登で、かなりの区間にコンクリートでできた手すりがある。また、梯子もあるし大きな岩がごろごろしている箇所も多い。それに加え、岩っぽい個所の急降下もあり、想像していたより大変。ただ、先頭のトンさん初め前を歩く人達が頑張っているので、とにかく着いて行くしかない。約2700m地点でファンシーパンが見えてきた。周りは竹林が多く、うっすらと雪が残っていた。3:55に第二テント場に到着(2800m)。テント場には、ブルーシートで囲った大きな食事用建物と炊事用の建物があり、今晩我々が寝るためのテントが8張既に張られていた。ポーター用にも少し大きめなテントが2張用意され、更に他のグループ用のテントがいくつか有った。我々のグループ専用トイレも男女別々に用意されていた。
雨はすっかり上がり、青空のもとファンシーピンとファンシーパンが並んで見え、その間を白い雲が早い速度で流れている。しばらくするうちに夕焼けも少し掛かってきた。食事テントでの夕食は、キャベツの炒め物、青菜、肉と玉ねぎの炒め物、揚げだし豆腐(?)、ポテト等々。肉が苦手の二人にはイカの入った炒め物も用意されていた。みそ汁や昆布茶も美味しい。酒は明日の登頂を考え、数人が持参の酒を少量飲む程度。Hさんは高山病の症状が出てきたようで、食事が進まず、少し吐いたりした。明日の注意を聞き、19時前にはテントへ。それにしても寒さが厳しい。夜半には氷点下になるのは間違いないだろう。
【1月13日(日)】
昨晩はとにかく寒かった。テントの周りの地面はカチカチに凍っているし、テント内や靴が凍った人もいたようだ。その分、夜空はすごい数の星で埋めつくされていた。オリオン座や北斗七星もあまりに星が多いので、かえって見つけにくかった。5時過ぎに起床。トイレは専用トイレで快適。朝食はフォーで美味しい。7:45快晴の空の元、テント場を出発。ガイドのトンさんを先頭に、本多さんは4番目、ワイさんとスー(Sue)君という17歳のかわいい子が最後について来てくれる。Hさんも頑張って登る。1時間弱でファンシーピン(パンではない)の岩峰の手前の鞍部に到着(約2900m)し、一息入れる(8:25-35)。途中、少しの雪とツララがあったが、ワイさんやスー君には珍しいようで、雪を丸めたり、ツララを食べたりして喜んでいた。トンさんからも、スマホで写真を撮ってほしいと依頼があった。そこから一度大きく下る。その分登りが増えると思うと気分的にかなりまいる。登りは急で岩っぽい個所が多いので体力的にも気力的にもかなりきつい。所々四つん這いになって登る。Hさんも辛そうだ。ゆっくり登る。やっと9合目くらいの所で視界も開け、前方のすぐ先にファンシーパンの山頂が見えてきた(10:20頃)。
それから約30分頑張り、10:55についにファンシーパンの頂上に到着した。頂上は狭い岩場になっており、三角錘の金属製の表示塔があった。ベトナム国旗(星のマーク)とFANSIPAN3143mという字が刻まれていた。別に竹ざおに付けられたベトナムの国旗があった。展望はぐるり360度が眺められ、北の方はベトナムの山の向こうに中国の山も見える。西はラオスの山も見えているとのことだ。南から東はベトナムの山が延々と連なりその間を雲海が埋めている。東の下の方に、サパの街やその真ん中にある池まで見える。また、いくつかの村やそれをつなぐ道が点々と見える。まず12人全員で記念写真。その後本多さんやワイさんにも入ってもらいオールメンバーで記念写真。各自思い思いに記念の写真を撮ったり、感慨にふけったり、おしゃべりしたり。名残は尽きないが、11:30下山にかかる。
下山もなかなか辛い。特にHさんは高山病の症状が回復しないままでの下りや登りで辛そう。ファンシーピンの見える鞍部(13:10-25)を経て、やっと第二キャンプ場に到着し、遅い昼食(14:10-45)。昼食は登頂を祝してという事か、赤飯だった。スイカのデザートも美味しかった。その後はひたすら下山。途中ファンシーパンが良く見える箇所で休憩した。尾根の下りは、改めてよくこんな所を登って来たなというくらい急で、一歩一歩気をつけながら下りる。途中登って来るグループにも何組か出会った。挨拶した限りでは地元ベトナムの若い人たちやフランスからの数人のグループだった。急な尾根の下りの途中から景色が良くなり、前方(北)の山々や西のごつごつした山々を見ていると飽きない。尾根が終わった所(2500m弱)で後ろを見ると、白い雲が早いスピードで西から東に尾根を越えて流れてきており、急速に天気が下りつつあるようだ。第一テントの手前では鹿の一種の動物親子に出会う。第一テントの到着は17:30.さすがに今日の行程は疲れた。
テントの割り振りをして、注文してあったビール(一本4万ドン、2百円弱)を飲む。夕食は18:30から。今晩は、春巻きがカラっとしていて美味しい。他にはいつも通りの鶏肉や水牛肉(?)の炒め物、青菜等々。今晩は昨晩程は寒くないようで、少し気が楽になる。その分天気も曇り気味になってきており、我々は本当に良いタイミングで登頂できたものだと、幸運に感謝する。就寝は20:00頃。空の星も見えたり見えなかったり。
【1月14日(月)】
6時起床。昨晩はあまり寒くなかった。7:30朝食。今朝は、野菜入りのラーメン。みそ汁のあさげや紅茶もあり。8:05下山開始。この第一キャンプ地から上は、笹や竹が主だったが、ここから下は木が多い。途中ドングリが落ちていたり、椿の木があったりする。登りと同様水牛(?)の糞が多いので、足元に注意。約1時間で沢筋まで下山(2100m弱)。登山時の渡渉個所も水が引いていて何なく渡れた。ガイドのトンさんが川の中で何かを捕まえたので、何かと思ったらオタマジャクシだった。その後気をつけていたら時々蛙の鳴き声らしきものが聞こえた。チャムトン峠には10:35着。ここで、トンさん初め13名のガイドとはお別れとなる。お別れに当たり、13名それぞれが、各ガイドに手間賃プラスお礼を渡す方式にした。トンさんが登山中ずっと持っていた竹筒のようなものが何か気になって聞いてみたら水パイプだった。
チャムトン峠をマイクロバスで10:50発。サパのホテルに11:20着。昼食は確か近くのLotus Houseだったか。炒め物とビールが美味しかった。午後は、余力と好奇心の強い4名は予定通りハムロン宮への散策に行った。ハムロン宮は岩に特色のある公園で、往復1時間半ほどで戻ってきた。その他ゆっくり組は、まずシャワーを浴び、その後買い物。買い物組は、サパのアオザイや少数民族を扱うお土産屋と既に顔なじみになっているので、そこに押し掛けて、壁掛け、テーブルセンター、小物等を買う。ホテルの近くにはコンビニが2軒あり、そこでビールや米焼酎、インスタントフォー、ロールケーキ等のお土産も買った。
夕食は、ホテルから10分程歩いた地元の鍋やさん。店に入った途端に鍋の温かい感じがしてくる。細い階段を上ってその店の2階へ。鍋の具は、豆腐、ウズラの卵、えのきだけのようなキノコ、鶏肉、水牛(?)肉、たっぷりの春菊のような青菜。それに本多さんからのプレゼントのコーンで作った焼酎。鍋のダシ汁が良い味で、お酒もまわりサパ最後の晩餐にふさわしいお店だった。食べ終わって一階に下りカウンターの横を通ったら、黒い毛の生えた水牛(?)の足が二本並んでいた。外に出ると相変わらず霧で、ホロ酔いで歩くサパの街の雰囲気は良く、結局我々にとってこの街は「霧の街サパ」であり続けた。
【ハノイへ、そしてハロン湾へ】
【1月15日(火)】
今日は列車でハノイまで。5時のモーニングコール、6時の朝食、7時過ぎにマイクロバスでホテルを出発という早い活動スケジュール。まずラオカイまで戻り中国との国境を見物する。ラオカイ郊外の街からホー(Hong、紅)川をはさんで対岸に街が見える。その街が中国の河口という町で、川の幅は50mと言ったところか。対岸は大きなビルがいくつかあるが、看板はどれも漢字だ。川にかかった橋にはトラックが何台も止まっているし、おおぜいの人が歩いて橋を渡っている。トラックの荷物はお米とのこと。中国の食糧は安全等にも不安があるためベトナム米が好まれるとのこと。2008年の北京オリンピックの時は、ベトナムの肉はほとんど中国に流れた、とワイさんの説明があった。
ラオカイの駅に戻る。数日前来た時には暗くて良く見えなかったが、駅前にはかなりの数のホテルがあり観光バスも沢山並んでいて、北部の観光の中心地だと言う事がわかる。列車はここからハノイまで約300kmを11時間かけて走る。ほぼホー川の左岸を走り続けるのだが、地図を見る限りその間に橋は数本しかない。列車は11両編成で、我々の車両は寝台車を利用し一両貸切(7コンパートメント)の贅沢さ。他の10両は、木製の4人掛けの椅子が並んでいる。ハノイまでは、一日数本の運航のせいか、地元の人達もかなり利用しているようだ。駅でビールを二本買ったら4万5千ドン(約200円)だった。
車窓に飛び込んでくる景色は、まず田んぼ。今は農閑期らしく稲は生えていないが、時々水牛で田起こしをしている人がいる。バナナの木も多い。家々の庭や駅の線路の横に菜園が多い。それほど広くないスペースに葉物の野菜やインゲン豆のようなものを、整然とした畝で仕切ってきれいに植え付けてある。また、家々には洗濯物をきれいに干してある家が多い。ベトナム人は勤勉で几帳面なようだ。犬、鳥、水牛を放し飼いで飼ったりしている。赤い石でできた墓地も時々見える。全体的に日本の30年くらい前の農村と言った雰囲気。我々は、「ベトナムベトナム」とゆっくり進む揺れに任せ、現地で買ったビールや焼酎と、日本から持参の焼酎を取り混ぜて飲み続けたため、かなりの人がハノイに着く頃には出来上がってしまった。いずれにしてもベトナムの旅情を楽しんだ11時間だった。
ハノイの駅には午後8時半頃到着。夕食はClubというしゃれた西洋料理のレストランに行った。ただ皆さんお疲れの様子で、食欲はマアマアと言ったところ。スープが有難かった。その後今夜のホテル(Fortuna Hotel)に着いたのは、午後10時頃だったか。
【1月16日(水)】
今日も早い活動開始で世界遺産のハロン(Ha
Long)湾へ。5時モーニングコール、6時朝食、7時バスで出発のスケジュール。ホテルが比較的大きいせいか、朝食のレストランには他の日本人のグループもいた。バイキングスタイルだったが、胃にやさしいお粥が美味しかった。専用バスでハロン湾に向かう。通勤時間帯のハノイの街では、オートバイが所狭しと走り回っている。高速道路があり、そこを走って行く。車が郊外に向かっていくにしたがって、田園地帯が拡がり、田んぼが延々と続く。1時間も走ると工業団地があり、日本のキャノンや佐川急便の看板が見えた。また、日本が作った(?)短期大学等も見えた。オートバイがどこでも走っているが、若い女性は色とりどりのマスクをしていて、それもおしゃれの一つなのかなと思ったりした。2時間ほどでドライブインのような場所で休憩。歳のせいか、この間トイレを我慢するのが大変だった。お店の内部では数十人の若い女性が刺繍をしていてそれを製造直売している。思い思いにお土産を買う。それからまた2時間ほど走り、11時にハロン湾に到着。
ハロン湾は、1994年に世界遺産に登録されたとのこと。沖に石灰岩でできた尖がった島が沢山並んでいる。さすがに世界中から観光客が集まるようで数十艘の観光用の船が湾に浮かんでいる。我々もその一艘貸切で乗り込み、クルーズの始まり。まず、10分ほどで近くの鍾乳洞のある島に上陸して、鍾乳洞見物。中は天井が高く大きな部屋になっている。鍾乳洞独特のいろんな形の文様の岩が固まっている。各種の色にライトアップされているのが日本と趣が違う。その後船に戻りクルーズを続ける。沢山の島の間を廻るのだが、観光船ではない船が固まっている場所があったが、船で生活している集落で小学校まであるとのことだった。船の中での食事が売りのようで、ワタリガニ、ハマグリ、エビ等の海鮮料理が続く。ベトナム産の白ワインが安かったので頼んだが少し水っぽかった。食事の後、ウエイトレスが売り子になり、お土産物を売りに来た。ベトナムっぽい小物入れなどが人気だった。
午後2時頃クルーズを終え、一路ハノイへ。往きの心配があるのでトイレ休憩を増やしてもらう。約4時間かけ、ハノイの街へ戻った。途中、田園地帯が続いているが、稲の苗床を作っているところが数か所あった。途中の街や村では、二三階建ての家も多く洗濯物も多く見かけた。バイク屋、家具屋、レンガ工場、果物屋、甕屋、棺桶屋、床屋、肉屋、お墓等々、生活の匂いのするものを沢山見ることができた。
午後6時過ぎハノイの街に入り、少しの交通渋滞を経験しながら水上人形劇の劇場に着いた。6時半開演とのことだが、観光バスが次から次へと到着して大混雑。一日数回の公演で、会場は300人位は入れる広さだが満員。もともと稲の刈取が終わった水田で、農民たちが楽しんだ人形劇とのことなので、水の入ったプールのようなところが舞台。その上でというか中で、体長50cm位の沢山の人形が跳ねたり踊ったりする。人形は手や足が器用に動く。竹とその中を通した糸で背後から操られているとのことだ。人形は、べトナム独特の楽器と歌に合わせて踊る。演目は一つ5分ほどで約10作。歌、楽器、人形の表情と踊りの組み合わせが上手くマッチして、なんとなく陽気で、素朴で、稲の刈入れが終わった明るさみたいなのが出ていて、なかなか良かった。上演時間は1時間弱。
終わって、今回の旅行最後の夕食へ。場所はちょっと高級なベトナム料理店AU CAE Houseという所。元は役所とかで由緒ある建物とのこと。料理も、スープ、パパイヤのサラダ、春巻き等が美味しかった。ただ、飲み物の方は皆さんさすがにお疲れのようで、ビールを一本程度という人が多かった。その後一路ハノイ空港へ。空港へのバスの中でワイさんが、彼の生い立ちやベトナムの政治事情等も含めて説明してくれた。彼は南出身だが、南と北では顔立ちや言葉の違いがあることや、現在でも出身地によって何かと差別があることなど、話の内容は印象深かった。
ハノイ空港には、午後10時前に着いたが大勢の人で混雑。我々の飛行機は0:10発成田行きだが、その5分前と後に、それぞれ名古屋と大阪行きもあるのに驚いた。ベトナムと日本の人的交流はずいぶん深くなっているようだ。飛行機は定刻通り出発し、うとうととしている間に成田に到着。実際の飛行時間は5時間ほどで、思ったよりずっと近い国なのだった。到着時の外の気温がマイナス3度と聞かされ驚いた。
【最後に】
今回の海外山行は、昨年3月頃から場所の選定の検討が始まり、ついに実現することができた。振返ってみるに、いろんな意味で、当支部の海外山行として良い選択だったのではないかと思う。山の大変さはきつからず易しからず、催行人数も多すぎず少なすぎず、またせっかく行くのだから山行プラスアルファの楽しみ、そんな希望に上手く合ったようだ。ただそれも、全員が無事登頂でき戻って来れたからこそ言えること。全員の頑張りに驚くとともに、関係の方々に感謝したい。
それにしても参加者の頑張りと好奇心はすごい。僭越ながら参加支部員11名の平均年齢を計算したところ、68歳6ヵ月。その方達がベトナム最高峰に登っただけでなく、見るもの聞くもの食べるもの買うものと、いろんなものに好奇心を持って楽しんできた。これこそ相模原町田支部の特徴ではないでしょうか。今後もこの好奇心と体力の維持を図り、次の機会に備えたいものです。(松宮俊彦)
ベトナムの寝台車 |
サパ郊外少数民族部落の棚田 |
登山口にて |
第一キャンプ(約2250m) |
指差す尾根を登る |
第二キャンプ(2800m寒かった) |
ファンシーパンを望む |
登頂日の朝 |
登頂間近ガイドもはしゃぐ |
ファンシーパン山頂(3143m)ついに登頂 |
頂上から南を望む |
ガイドも喜ぶ |
第一キャンプでの昼食 |
ガイドたち |
下山口にて |
サパの街での夕食 |
寝台車でハノイへ |
途中の駅にて |
ハロン湾クルーズ |
伊豆/鷲頭山(創部50周年記念山行bX)
期 日:1月19日(土)日帰り 快晴
参加者:L佐藤邦弘、竹田早苗、加納三喜男、大関史郎、武末範子、関みち子、小松茂男 計7名
コースタイム:JR沼津駅8:45=多比バス停9:10〜9:20−多比口峠10:03〜10:10−多比峠10:40−鷲頭山10:55〜11:05−小鷲頭山11:13〜11:40(昼食)−志下峠12:02−馬込峠12:15−志下山12:21−志下坂峠12:30−徳倉山13:08〜13:25−横山峠13:48−横山14:14〜14:30−八重坂峠14:50−沼津港(鮨店)15:30=JR沼津駅
@ 鷲津山は沼津市にあって標高392m、沼津アルプスと呼ばれるやまなみの最高峰で、沼津アルプスは岩崎元郎が選定した「新日本百名山」(2004年10月5日に朝日新聞に掲載されたという)のひとつになってから、地元のみならず広く知られるようになったという。
眼下に駿河湾がひろがり、そして間近に霊峰富士山を拝みながら歩けるというのだから、足を向けたくなるというものである。
加えて、沼津アルプスのやまなみは、低山ながら眺望にすぐれ、しかし岩場やクサリ場の通過を強いられ、アップダウンも並ではないというコースがまた変化に富んで魅力であるというから、低山志向の者としては一度は訪ねたくなった。
A おまけにこの地には海の幸がたのしめる沼津港がある。この沼津港には海鮮料理屋が競って並び、人気を博している。下山後はここに立ち寄って、やすくておいしい海鮮料理を頬張ることができる。下山後に食のたのしみを計画に盛る込めることが、この山に更に魅力を加えていると言えるだろう。
B 事前の調べでは沼津アルプスを完全縦走するとなると、6時間から7時間を要するということなので、下山が遅くなり、ゆっくり食をたのしむにはいささか無理がある。北端の香貫山と南端の大平山は省略し、時間を短縮することにした。
地図でみると八重坂峠に下りると、まっすぐに西方の沼津港に向かって舗装道路が延びている。八重坂峠の近くには八重坂バス停もある。八重坂峠の標識には沼津港2.7kmと記され、バス停からは沼津駅行のバスがあるが、沼津港には行かない。途中の「宮脇」バス停で下車して、沼津港まで少し歩くことがわかった。
C 当日は全くの快晴であった。眺望は抜群と言っても、それはお天気次第である。天気が悪ければ眺望をたのしむことなど如何ともしがたい。お天気に恵まれることを祈っていたが、この日はまさに沼津アルプスを歩くには絶好の日和であった。なんと運のよいことだろうか。
陽ざしを受けた、おだやかな碧い海面と入江の地形がうつくしい。やまなみは駿河湾の海岸沿いに走っている。山から海を眺めることができるのはまた気持ちがよいものである。
D 関東は14日が大雪であった。このあたりは雪は降らなかったようだ。念のため軽アイゼンを持参したが使わずに済んだ。万一雪が積もっていたら、案の定、急登、急下降が連続しており、軽アイゼンを付けずには歩くことは困難であっただろう。
E 鷲頭山で50周年記念山行の横断幕を前にして記念撮影。富士山を背景に撮りたいところだったが、富士山が座っている方向は樹木が遮り、叶わず。
富士山の姿がもっともきれいにみえたのは、徳倉山ではなかっただろうか。山頂は広く、三角点があり、数人のハイカーが休んでいた。ここで富士山をバックに7人は集合写真におさまった。
F 沼津の役所からもらった沼津アルプスの資料のなかでは、横山峠から横山までのルートタイムは40分となっていたが、我われはこの間約26分で到着。予定より早い到着となり、八重坂峠にも予定した時刻より早く下りることになった。当初、八重坂バス停から宮脇バス停までバスに乗ることを考えていたが、1時間に一本のバスということで40分程度待たねばならず、沼津港まで歩くことにした。八重坂峠から沼津港の今日入った鮨店まで徒歩約40分であった。
G お天気が悪ければ、起伏が激しいルートのため、徒に疲れ、気が滅入ってしまったかもしれない。すばらしお天気に恵まれたお陰で、展望を満喫しながら心地よい気分で歩くことができ、苦になるところのハードな登り下りを踏ん張ることができた。
H 注意!熱海駅まではJR東日本、沼津駅はJR東海のため沼津駅でのSuicaの使用はできない。あらかじめ沼津駅までの切符を買い求めて(Suicaを使用して切符を買えばよい)電車に乗ることが面倒なことにならい方法のようだ。
I 沼津港ではどこのお店に入るか、ネットで調べていったが、たくさんあって迷うところである。昼の休憩なしの店ということで港大橋を渡ってひとつ目の信号を左にまがり、鮨店に入る。7人全員が麦酒で乾杯。デカネタのすしであった。(佐藤邦弘)
期 日:1月20日(日) 晴れ 日帰り
参加者:L安瀬はる江、森田隆仁、木村真知子、山本文夫、派田 正、小磯登志子、冨重正樹、近藤由美子、山口音子 計9名
コースタイム:町田駅6:40=(貸切タクシー)=海ほたる7:30〜45=横根峠下8:20〜45―三角点188.2m9:25〜35−保田見林道10:45〜52−境界尾根入り口11:06〜12−嵯峨山山頂12:00〜13:00−下貫沢登山口13:50〜14:00=人骨山入り口14:15−人骨山山頂14:35〜45−人骨山入り口15:00=海ほたる15:45〜16:00=町田駅17:45
創部50周年の山は各県一山を選んでいた。水仙とコースの面白さ、気軽さで千葉県からは嵯峨山を選ぶ。新ハイ誌bU75でも紹介されている。
素晴らしい天気で海ほたるからは富士山も望めた。一週間前の爆弾低気圧で降った雪が所々残っていた。海を渡った千葉はやはり南国調でほのぼのする。海岸線独特の照葉樹がもくもくと繁る低山が続く。いたるところに水仙はあるが葉だけだ。今冬は寒く、雪の影響もあり、開花が大変遅れていた。
横根古道はかつて生活道として使われていたようだ。大小のコブは巻き道があり、なだらかで歩き易い。緑濃い照葉樹の林は薄暗く、展望がない。マテバシイの根が地表を張っていたのが印象的で、延々と続き、強い生命力を感じた。
古道から分水嶺尾根に入る所は、四方八方の斜面が水仙で埋まっていた。前回は満開で感激したが、ちらほらだった。それでもかすかに芳香はあった。
保田見林道に出ると来年登る愛宕山が東側に見えた。15分位林道を進み、保田見峠に着く。ここからは昨年歩いて見つけた今日一番のお楽しみコースだ。林道を離れ左側の山道に入る。今回はテープが付いていた。境界線が林道から離れる場所だ。笹が刈り払われ、一筋の踏跡があった。再び林道と合流する鞍部から北西の尾根をつづらに登る。嵯峨山北東尾根に合流する。深く抉れた崩壊地や、トラロープのついた痩せた岩稜部分もある。短いがスリリングな尾根だ。雪がなくて良かった。
12時ジャストに嵯峨山山頂に着く。西側に祠があり、海も臨め、暖かいので昼食を摂る。思ったより登山者は少なく、2、3パーテイだった。団体さんが丁度下山していった。
下山はメインルートだ。南側で明るく、よく歩かれていた。急下降、痩せ尾根、岩稜と超ミニ版だが、変化に富んでいた。こちらも斜面一杯に野水仙があるが、咲いていない。途中休耕田の土手に花つきのいい水仙があったので、撮影タイムをとる。
予定より早く下山したので、南東側山域の人骨山に行く。今月号の新ハイ誌に紹介されていた。名前がユニークなので気になった。30分位で往復できた。山頂からは360度の大展望で、すっかり気分が晴れ、大満足だった。嵯峨山の全貌も見えた。
途中民家の庭先に直売所があり、水仙、菜花、みかんを買い込み、帰路についた。水仙の花は長い間楽しめた。(安瀬はる江)
費用 貸切タクシー代 40、000円(高速代、アクアライン通行料込み)
期 日:1月26日(土) 日帰り 晴
参加者:L小磯登志子、宮澤恵子、助廣弘子、杉江秀明、粟野秀穂、山口音子、関みち子 7名
コースタイム:鳩ノ巣駅8:33−城山9:40−大楢峠10:16〜25−鍋割山11:50〜55−(昼食0:25)−大岳山荘13:10〜20−分岐13:56−白倉バス停15:15
費 用:白倉=武蔵五日市駅(西東京バス) 520円
鳩ノ巣駅集合。参加予定者1名が集合時間に間に合わず不参加との連絡が入り7名にて出発。
真っ青な青空にキーンと冷え込んだ空気に冬山を感じる。今日は強風予報のおまけも付いている。駅前より見た北面の斜面には14日の降雪がたっぷりと残っているようだ。
多摩川に架かる雲仙橋を渡ると城山への登り口の階段が右手にある。杉林の急登で始まるがこの辺りの雪は消えていた。660mの鉄塔あたりから積雪も少しずつ増えるが、トレースがあるので足が沈まずアイゼンも不要。歩きやすい。
大楢峠で一般道とクロス。ここからの落葉自然林の尾根はぐんと積雪が増え雪山の雰囲気たっぷり。しかし稜線に出ると風がゴーゴーと唸っていて風の冷たいこと!防風対策をして鍋割山を目指す。
鍋割山頂上で記念写真を撮り大岳山方面に少し進み、風を避けられる場所を見つけて昼食を摂る。体もようやく温まりほっとした。ここからは一般道。踏み固められて凍結しているのでアイゼンを装着して大岳山荘に向かう。山荘は閉鎖されていた。
白倉までの下山路も凍結したところが多くアイゼンを外すタイミングに悩まされたが、バス時刻に余裕で下山。低山ながら強風のおまけによりちょっとした冬山を楽しめた一日だった。(小磯登志子)
期 日:2月3日(日) 晴 日帰り
参加者:L安瀬はる江、森田隆仁、山本文夫、上野 進、竹田早苗、小磯登志子、粟野秀穂、関みち子 計8名
コースタイム:吾野駅8:15〜30―369m点9:13―梨本坂9:50−大窪峠10:12―三社峠10:45〜50−石地蔵11:55〜12:00−高山不動尊12:20〜13:00−関八州見晴台13:20〜50−傘杉峠14:30〜45−顔振峠15:10〜30−吾野駅16:24〜28
創部50周年の山を展望する目的で関東八州の見晴らし台、関八州見晴台を計画した。前日は朝、雨だったが、当日はうってつけの展望日和。八高線の車窓からはまっ白な
富士山がくっきりと見えた。山頂での見晴らしに期待がもてた。
吾野中裏の尾根を変更して、中尾の辺りの尾根から取り次いだ。擁壁の脇に階段があり、かすかな踏跡があった。思ったより急で、すぐ踏跡がなくなった。30分程頑張って稜線にでた。北に少し登ると369m点で、中尾山と書かれた木片が立ち木についていた。
稜線にはしっかりした踏跡がある。小刻みな緩急で梨本坂、大窪峠、三社峠と進む。中でも大窪峠は切通の趣き深い峠だ。昭文社地図では大久保峠と記載されている。森田さんのカウントによるとコブは20個以上だったようだ。
三社峠は広い鞍部で石祠があった。以前通過時、東への巡視路が気になり、帰宅後ネットで検索した。吾野に続いていることが判ったので歩いてみた。地図で見ると、車道で挟まれ、どら焼きの餡のような稜線だ。
間野からの登山道と合流するまでは奥武蔵独特の植林の暗い道だった。昼時だが、急登になり、石地蔵まで行く。更に延ばして高山不動尊で昼食にした。関東三大不動尊で歴史を感じた。時間が押していたので、下山は花立松ノ峠から顔振峠にする。
さて、関八州見晴台からの展望はいかに。三方向に山名図の立て看板があった。50周年の山は富士山、大平山、三宝山、日光白根山の4山が同定できた。男体山がくっきりと綺麗だった。丹沢方面は残念ながら霞んでいた。そしてスカイツリーは針の様だった。
下山は2,3箇所車道を横断しながら山道を行く。傘杉峠から山道はいきなり急登になっている。皆閉口して、車道を歩く。ゆるゆると昇り顔振峠に着く。義経と弁慶が絶景を振り返りながら通ったという伝説があり、名前の由来だ。実際はこのルートは通ってないようだ。茶屋に入らず、直下の麻利支天で休憩する。眼前には奥多摩の山稜が広がっていた。 吾野駅まで一目散に下山する。駅近くで電車の時間に合わせ急ぐ。発車5分前に着く。それでも飲み物を買い込む余裕もあった。車内で節分の豆を食べた。
立春の前日、のんびりと楽しい会話をしながら日溜りハイクが出来ました。(安瀬はる江)
期 日:2月9日(土)〜10日(日)一泊二日 晴れ、曇り時々小雪
参加者:L宮島陽子、矢澤孝二、松宮俊彦、助廣弘子、冨重正樹、本山まり子、堤理恵子、峰尾欽二計8名
コースタイム:9日 八王子駅6:40=貝原登山口12:20−1085mピーク13:40〜13:50−真米山14:12〜27−貝原登山口15:30〜45=湯の花温泉「三楽」16:00
10日 三楽7:20=木賊温泉・廣瀬の湯7:50〜8:05−長卸山9:15〜40−新屋敷登山口11:00〜15=木賊温泉11:30〜12:00=お買物ツアー=八王子19:00
9日 石黒タクシー利用で、高尾山ICから圏央道経由(一部未開通)で東北道・西那須野塩原ICを走り南会津に入る。三連休の初日であり塩原で渋滞する。登山口手前の舘岩観光センターで昼食・登山の準備をする。貝原登山口でワカンを付け、神社の赤い鳥居をくぐり、登山開始したのは12時を過ぎ、頂上まで行けるか少し心配する。しかし、歩き始めると新雪と言うより残雪の状態に近く、あまり潜らず雪は良く締まっていて歩き易い。交代でラッセルをして登る。稜線は風が冷たく、気温は氷点下12度。しかし嬉しいことに、太陽が顔を出して青空である。真米山手前の1085mピークからは、右手に大嵐山・湯ノ倉山が、前方にはこれから登る真米山が良く見える。登り始めて2時間もしないで、古いテープが下がる頂上に立つ。真名板倉山・田代山方面の展望を楽しんで、下山を開始するが、踏み跡の残る下山はあっという間で、1時間で登山口に戻る事が出来た。
宿に着いて、湯の花温泉の共同浴場「湯端の湯」に入り冷えた体を温める。湯の花温泉の「天神の湯」や「弘法の湯」に足を延ばし、温泉巡りをしたメンバーもいる。完登を祝って夕食まで一杯、夕食には名物の骨酒を、そして食後にはまた一杯(いっぱいか?)、と喜びを十分噛みしめる。
10日 新屋敷の長卸山下山口を確認してから、登山口の木賊温泉「廣瀬の湯」の駐車場に行き、ワカンを付ける。天気は曇りであるが、風が全くなく暖かい(ただし明け方は氷点下15度)。湯の花温泉より、積雪量が多そうである。道形の残る沢から、すぐに右の尾根に取付き、その後は西に向かう尾根を一直線に登る。所々急な登りがあったり、木の根の間に穴があったり、昨日よりは苦戦する。それでも高低差が270mくらいしかないので、1時間少しで山名板と石祠(僅かに頭が見えた)のある山卸山頂上に着く事が出来た。風がなく寒くないので、頂上でゆっくりする。長卸山の先のピークから新屋敷に向かって明確な尾根が下っており、時間もあるのでそちらの尾根を下る事も考えたが、やはり当初の計画どおり長卸山から直接新屋敷に下る事にする。
下り始めが地図では一つの尾根に見えるが、実際に歩くと、地図上に載らない途中で窪地に落ちて消滅する尾根が、目指す尾根の北に延びており、間違えて少し下ってしまう。登り返して予定の尾根に乗るが、急で雪が固いので慎重に下る。すぐに明確な尾根になり、雪も新雪で歩き易くなる。広く緩やかな場所では、各自バラバラに自分だけのトレースを刻む。少し急な所ではシリセードを楽しむメンバーもいる。11時前には新屋敷の神社に着き、希望者は木賊温泉の混浴岩風呂に入る。川沿いにあるこの温泉は、なかなか風情があり、料金も200円と安く、訪れる人が絶えない。「廣瀬の湯」は男女別であるが、残念ながら14時半からしか入れない。
時間があるので、帰りは石黒タクシーのご厚意で南会津のお買物ツアーを楽しむ。井桁豆腐店・国権酒造・道の駅湯の香しおばらで、お好みのお土産を買う。帰りの車中でも、アルコールを堪能して、19時に無事八王子に着いた。参加者の皆さま、石黒さん、ありがとうございました。(宮島陽子)
期 日:2月11日(月・祝) 日帰り 晴
参加者:L小磯登志子、安瀬はる江、上野進、杉江秀明、大関史郎、富重正樹、粟野秀穂、武末範子、白鳥松男 以上9名
コースタイム:武蔵五日市駅9:00=(バス)=南郷9:40−落合橋10:00−(長尾尾根)−軍刀利山12:14−熊倉山12:25〜13:00−(南西尾根)−14:00井戸14:08=(バス)=上野原駅
費 用:武蔵五日市駅〜南郷(西東京バス) 690円
井戸〜上野原駅(富士急山梨バス) 310円
リーダー以下4名が拝島駅乗換の電車に乗り遅れるというアクシデントがあったが、タクシーで追いかけ南郷バス停で先着の5名と無事合流。冷え込みが強いとの予報であったが風もなくまずまずの日和天気である。
林道の凍結はほんの少しで落合橋に着く。橋の先から矢沢におり水量の少なくなった流れを渡渉して長尾尾根の末端に取り付く。6日の降雪はほとんど消えていたので、のっけからの急登もその後に続く岩混じりの細尾根も皆の足並みが揃って快調に登る。
775m辺りから少しずつ積雪が増えてきたがアイゼンを必要とするほどではない。6日以降の入山者はいなかったが、代わりに冬眠しなかった熊が歩き回ったようで足跡が雪の上にしっかり残っていた。念のためしばらくは笛を吹きながら登る。
広々とした884mピークは東面が伐採されていて春の陽射しがたっぷり。「風が無かったら昼寝をしたいね」の声に同感!
軍刀利山から熊倉山の登山道に出ると雪は消え残る程度となり、昼食を摂った熊倉山頂上では泥で靴底がダンゴになってしまった。
風が出てきたので早々に下山。浅間峠方面に少し戻った所から南西尾根に向けて杉林の急な尾根を一気に下りる。この尾根は2012年版の昭文社地図では赤の破線になっており踏み跡は明瞭。740mの井戸方面への分岐で、「時間も早いし618mピークの南西方面への尾根で遊びたいな〜」の声も聞こえたが却下。計画通り井戸集落に向けて足を速めたおかげで1本前のバスに乗ることができた。
2月の山行、しかも北斜面の尾根ということで歩程の少ない計画を立ててみたが、積雪が少なかったため夏時間と変わらぬ内容に不完全燃焼の1日ではあった。(小磯登志子)
期 日:2月16日(土)日帰り 晴れ
参加者:L助廣弘子、山本文夫、宮澤恵子、上野進、堤理恵子、冨重正樹 計6名
コースタイム:西武秩父駅8:58=(タクシー)=加明地9:38〜41−戸蓋峠10:10〜20−小鹿野要害山(615M)10:38〜46−566.7M(点名:飯田)11:11−559M 11:50〜12:17−577M 12:50−権五郎峠13:40〜51−373M 13:59−明神山(472.5M)14:34〜50−萬霊塔15:08−車道15:16−黒海土入口15:31〜55=(バス)=小鹿野役場16:05〜29=(バス)=西武秩父駅17:10〜30
費 用: 西武秩父駅=加明地 タクシー 6380円
黒海土入口=小鹿野役場 バス 170円 小鹿野役場=西武秩父駅 バス 470円
一年前に楢尾沢峠から両神村と小鹿野町の境界尾根を辿り、戸蓋峠の少し先まで歩いたことがある。今回は戸蓋峠からさらに東へ延びる境界尾根を末端の黒海土まで歩くつもりで出かけた。
西武秩父駅から2台のタクシーに乗る。一人の運転手は今神も加明地も知らなかったが、一人がこの地で30年運転手をしているとかで、その車が先導して今神集落から加明地への細い分岐に入ることができた。薄川を渡ったところで車を降りる。青空が広がり、絶好の山行日和だが、北風が吹くとの予報が出ている。しっかり防寒対策をして出発する。薄川に沿って林道が延びており、薄川が曲がる頂点で民家の庭先を通って北へ向かう踏み跡があった。ここが戸蓋峠への取り付きだ。行く手に二つの山に挟まれた峠らしき地形が見えている。道は丁寧にジグザグに切ってあり、意外によく歩かれているようだ。30分ほどで峠のお地蔵さまに再会。廃仏毀釈のせいか2体とも首がないが、いかにも昔から村を守っているこのお地蔵さまのおかげで、いい風情の峠だ。峠の北側を覗き込むと間明平の集落が見え、彼方には白石山が雪をうっすらかぶってごつごつした山様を見せて聳えている。その左手には二子山の異様に尖った二峰が見えていた。峠から東へ進む。最初のピークは615Mの小鹿野要害山だ。いきなりの急登で風が吹き付ける斜面は凍っていてちょっと怖かったが、今日の最高標高点がここなので、以後はアイゼンの必要はなくてほっとした。566.7Mを過ぎると鞍部から南へ広い尾根が下りている。一年前はここを下ったので、ここからが未知のコースとなる。低いピークがいくつも連なっており、コースは概ね東へ向かうのだが、北に南にいろいろな派生尾根が延びていて紛らわしい。次の559M峰、540M峰とも東西南北へ尾根が派生しているのを、慎重に見定めて進む。堤さんがよく協力して下さった。577Mからは三方向に延びている尾根の中で一番進みたくない急な斜面を行くことに。雪がついた斜面は落ち葉で滑るし、つかまる枝はもろく、ここが今日一番の難所だった。車道に出たところに「権五郎峠」の立て札があった。お札が貼ってある木の脇から再び尾根に上がる。まばらな雑木林の中で細い枝が顔に当たる。373M峰から東へ広い尾根が延びているが、ここは北を目指す。巨大な送電鉄塔が2本建っている。電線が交わる下を通り、尚もだらだらと登って行くと、最後のピーク472.5Mに到達した。電波塔が立ち、今日初めての山名標「明神山」があった。展望が開け、遠く雪の武甲山が見えていた。記念写真の後、ケーキタイムを取ってから下山へ。ここからは境界尾根をはずれて雑木の広い尾根を東へ下る。2万5千図にある石碑は、丈の高いコンクリート製の「萬霊塔」だった。車道に下りたのは15時16分、バス停黒海土は案外遠くて、27分の最終直通バスは目の前を通り過ぎて行った。バス停脇のコンビニで飲み物を買って待ち、小鹿野役場経由で西武秩父駅に戻った。(助廣弘子)
期 日:2月23日〜24日(日)一泊二日 天候:晴れ
参加者:L矢澤孝二、黒澤正弘、派田正、松宮俊彦 計4名
コースタイム:奥多摩駅8:35−鴨沢9:10〜30−小袖峠9:55〜10::00−堂所11:50〜12:15−ブナ坂13:50〜14:00−奥多摩小屋14:35〜45−小雲取15:20〜30−雲取山16:00〜20−雲取山荘16:50(泊)6:30−雲取山7:05〜30−ブナ坂8:25〜30−七ツ石山8:50〜9:00−七ツ石小屋9:15〜30−鴨沢11:50〜55−奥多摩駅12:20
支部でも久しぶりとなる雪の雲取山へ、男性4人のパーティーで出発した。
奥多摩駅からは2台のバスが出て鴨沢下車。寒かった今年の冬から見れば今日は穏やかな日和のもと、準備を整えて登り始める。雪は小袖峠の上から、所々のアイスバーンが現れる程度となる。標高980bの小広いところでアイゼンを着けたが、実際には土の上を歩く方が多い。堂所で昼食後、ブナ坂までがやけに長く感じられた。
石尾根に出ても風はあまりない。防火線の雪もあったりなかったりで、アイゼンが時々邪魔に感じられた。小雲取の急登が最大の難所だったが、これを登り切ると頂上はあと少し。富士山と南アルプス、近くに大菩薩や奥秩父連山を望みながら雲取山に到着。鴨沢から正味5時間半の行程だった。寒暖計はマイナス7℃で、それほど寒くはなかった。
北斜面はやはり積雪が多く、蒼氷になったところもあり、慎重にくだる。雲取山荘前にはカマクラが作られていた。本日の宿泊客は30名くらい。われわれは1部屋与えられ、豆炭の入った炬燵で暖かく休むことができた。
翌朝はさすがに冷え込む。登りは風があってさらに寒い。昨日よりは雲が多く南アルプスは望めなかったが、東京湾に朝日が反射して輝いていた。
カラマツ林が綺麗なブナ坂へ戻り、ひと登りの七ツ石山頂上で雲取山を振り返る。くだりはさすがに早く、小袖峠でアイゼンをはずすとようやく足がほっとした。
バス時間まで2時間待つことを覚悟して鴨沢に下りたが、ちょうど待っていた埼玉の登山者の車に拾われ、早く帰ることができたのでラッキーだった。
今回は比較的雪が少なかったが天候に恵まれ、快適な山行になった。(矢澤孝二)
※雲取山荘宿泊代 一泊二食付 7,500−新ハイ割引1,000=6,500円(会員証必携)
期 日:2月24日(日)日帰り 天候:晴れ
参加者 :L吉田和興、長谷千秋、飯嶋光江 計3名
コースタイム:小野駅11:10−登山道入り口11:40−鉄塔12:10−霧訪山13:00〜13:25−登山口14:05−小野駅14:40
費 用:交通費¥8,060(ジパング)
下界は晴れだが、上は薄曇り。期待したアルプス、八ケ岳は見られず残念。麓で積雪約10cm、下が凍っているので登りからアイゼン着用。行動時間が短く物足りなさはありますが気軽に楽しめる雪山でした。(吉田和興)
期 日:3月10日(日)日帰り 天候:曇り時々晴れ、一時小雪
参加者 :L吉田和興、派田 正、杉江秀明、冨重正樹 計4名
コースタイム:小野上駅10:06−登山口11:20−720m鞍部(昼食20分)―雨乞山12:33−小野子山13:42〜13:47−中ノ岳14:35−十二ケ岳15:13〜15:18−登山口16:08−小野上温泉17:10〜18:05−小野上温泉駅18:13
費 用:交通費¥2,300(青春18)、温泉¥400
歩き始めは初夏を思わせる陽気。車窓より黄砂と思った靄は、実は杉花粉。風に煽られそこらぢゅうの杉から、まるで砂煙の様に飛び散っている。高度を上げると風は更に強くなり、小雨がぱらつきミゾレにやがて小雪となる。終日風が強く、場所によって体感温度は氷点下、下山にかかる頃晴れてくる。駅そばの温泉で一息つく。1,000mを超えると稜線は残雪が多くなるが、凍結はしていないのでアイゼンは使用せず。小野子山・十二ケ岳、共に展望の良い山。谷川は生憎見えなかったが、対峙する榛名山塊が良い。(吉田和興)
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期 日:3月13日(水)日帰り 曇り/晴れ
参加者:L助廣弘子、宮澤恵子、本山まり子、竹田早苗、大関史郎、武末範子、関みち子、小松茂男、大貫文正 計9名
コースタイム:新松田駅8:25=(バス)=丹沢湖9:17−三保ダム9:35−取り付き9:40〜45−380M地点9:55−太郎小屋山(843M)11:15〜20−日影山(867M)11:33〜35−山市場分岐11:40〜12:15−番ケ平12:35−不老山12:55〜13:15−世附分岐13:20〜30−大久保山14:15〜20−谷ケ山14:45〜15:00−生土15:45−駿河小山駅16:05〜37
費 用:新松田=丹沢湖 富士急湘南バス 870円 駿河小山=松田 御殿場線 230円
2007年1月木村真知子さんの支部山行で明神峠から不老山〜谷ケ山を歩いた。今回は丹沢湖から上がって西へ辿り、不老山へ繋げるつもりだ。下山は前と同じく神奈川県・静岡県の県境尾根を下り、谷ケ山から東へ辿って城山(347M)へ繋ごうと考えていた。だが、3月の例会で小磯さんから城山は採石場になっていて入れないとの情報を得た。確か城山へ行った友人がいたはずと、確かめてみると、採石場へ出てしまって大型ダンプの行き交う中を歩いてゲートから出してもらった、城山へは結局行けなかったとのこと。駿河小山駅の北側に379.2Mのこちらも城山という山があるのを見つけたので、生土に下りてからこの城山へ寄って帰ろうと予定を変えた。
長く厳しい冬だったが、3月の3週目で20度を越えていきなり春になった。今日も20度を越えて暖かいとの予報だ。だが、丹沢湖へ向かうバスの窓からは鉛色の雲が垂れこめた空が見え、空気はそれほど暖かくない。丹沢湖バス停から少し戻って三保ダムへ出る。ダムに沿って広い道路を歩きながら見上げると、どこから取り付くのか不安になるほどの急峻な崖が聳えている。崖の途中にコンクリートの急な階段が切ってあり、鉄の手すりが延びている。ここが取り付きだ。4,5段目に鎖が巻いてあるのをまたいで登ってゆく。斜面はさらさらした土で、せっかくの手すりがところどころ土台ごと倒れており、慎重に登る。10分で階段は終わり、尾根に乗った。380M地点だ。その後も急な登りが続き、初参加の大貫さんの様子を伺うと、「全然へっちゃら」との頼もしい答えだった。550Mを越えると斜度が緩み、ほっとして休憩をとる。植林帯や自然林が混ざり、伐採された枝が散らばっている。一か所ミツマタが群生しており、花は3分咲きだった。700M辺で出てきた笹ヤブがしばらく続き、太郎小屋山へ到着。標識はない。その後は笹の中にしっかりした踏み跡が延び、「神奈川県森林公社」の白いポールが続いて導いてくれる。ただ、踏み跡を歩くうち、867Mの日影山からずいぶん遠ざかってしまったので、途中から登り直して、山頂より少し先の尾根に戻った。さらに植林帯の中を西南方向へ下って行くと、広い斜面に日が差して明るい場所に出て、ここで昼食を取る。少し下ると、山市場への分岐で、「不老山」と「山市場」を指す標識が立っている。私たちが来た方向には「ここから先はハイキングコースではありませんので通り抜けできません」と書いた看板があった。しばらく進んで、林道が交わる地点に出ると、大きな「番ケ平」の看板が立っていた。ここからは一般登山道をひと登りで不老山だ。山頂のベンチで休み、記念写真を撮る。山頂からは何も見えないが、5分先の分岐からは雲を被った富士山が霞んで見えていた。世附峠方面は2009年の台風被害により下山出来ませんと書いてある。有名な岩田さん手製の標識が立ち、かわいい金属の金太郎の人形がユニークだ。生土へ下る県界尾根には、確か2007年には岩田さんのにぎやかな標識はなかったと思うが、2008年松浦隆康さんが歩かれた時(『バリエーションハイキング』)にはしっかり復活していたようだ。岩田さんにより「不老の活路」と名付けられ整備されて、さすがの松浦さんもこのルートを下るしかなかったのだろう。ただし岩田さんは大久保山、谷ケ山には興味がなかったとみえて、コース上に表示はない。山に登りたい人は登山道を離れて探さなければならないのが救いか。
午後になって南風が強くなり、時折身体がよろめくほどだ。風に抵抗して
歩くのが疲れる。無事大久保山と谷ケ山を見つけ、484Mから西南へ標識に従って下ってゆく。11号送電鉄塔を越えて生土へ下ったのが15:45。もはや私に城山へ登り返す元気はなかったし、メンバーの誰にも城山へのこだわりはないようだった。(助廣弘子)
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期 日:3月17日(日) 晴れ 日帰り
参加者:L安瀬はる江、上野 進、竹田早苗、峰尾欽二、杉江秀明、近藤由美子、関みち子 計7名
コースタイム:初狩駅8:21〜30―林道取次9:00−830m10:11〜40−林道取次11:17−鍵掛峠11:40〜12:05−685.2m13:05〜20−大幡峠13:42−650m14:05〜20−712大幡初狩線14:30−初狩駅15:20〜41
3回目の計画でやっと天気に恵まれる。暖かく絶好の山日和になった。やっと芽吹きが始まり、所々アブラチャンの黄が鮮やかだった。
前回、計画した時に事前に大幡峠まで歩いた。林道から鍵掛峠への取次ぎを確認していた。ところが、当日は手前で、左に入る山道が目に入る。まだ先と進むが、迷いがあり、戻って取り次いでしまう。途中でやはりルートが違うと判るが、このまま進む。涸沢を渡り西側の尾根に移る。作業道がジグザグについて尾根上に出る。辺りを偵察して、東の高みを目指し、急登を喘ぐ。登り着いた830mのピークはカンバ沢ノ頭の北西だった。
相談の結果、戻って鍵掛峠から大幡峠まで行くことにする。戻ってみて、我慢が足りなかった事が判る。林道から20分位だった。幻の鍵掛峠でなく良かった。
鍵掛峠から高川山西尾根への巻き道は一部ざれていて手間取った。大幡峠までのルートは笹薮の平坦な中にルートが刈り払われ、テープも付いて判りやすい。一ヶ所都留市への分岐は「U」の字に曲がり、難しい。
大幡峠で、鶴ケ鳥屋山への取次ぎを確認して少し登る。休憩後大幡峠に戻り、四方の山を同定しながら初狩駅に向う。
計画と違うルートになり、申し訳ありませんでした。「楽しかった」という声を頂き感謝しております。(安瀬はる江)
期 日:3月20日(水・祝) 日帰り 曇り
参加者:L冨重正樹、森田隆仁、澤田治之、宮島陽子、助廣弘子、本山まり子、竹田早苗、岩倉啓子、峰尾欽二、杉江秀明、堤理恵子、小磯登志子、大関史郎、山口音子 計14名
コースタイム:八王子駅7:00=下栗山(取付点)9:17〜26−597m
10:02−金剛萱11:10〜40−568m 12:15−579m 12:42〜47−鞍部13:24−大崩山13:45〜14:05−鞍部14:27−関平14:42〜53=八王子駅17:35
費 用:貸切マイクロバス(26人乗り)(有料道路代含) 60000円
八王子から貸切マイクロバスで下仁田の奥、下栗山集落の先の取付点まで入りました。いきなり植林の急登です。520m付近で東隣の尾根に乗り替えて痩せた岩尾根の597mを越えて古い林道が横切る鞍部に出ます。法面を這い上がると少しの間イバラの薮に悩まされます。760mで漸く急登は終わり緩やかな鞍部を経て金剛萱へ登り着きます。石仏と石祠が立ち並ぶいかにも西上州らしい頂上で3等三角点があります。昼食後、西へわずかに下り役行者像の所から北北東に斜面を下ります。700m付近で林道に出ます。金剛萱北斜面につけられた林道は地形図よりも上部まで延びているようです。カヤ場の広い斜面に大きなジグザグを切る林道を地形図と見比べながらしばし下り7回目(たぶん)の急カーブの先で再び山に入るとわずかで568mの鞍部、ここからは尾根がはっきりします。わずかに登ると四ツ又山、鹿岳、その奥に物語山が見渡せます。579mの先で北へ折れます。440m圏手前の鞍部への下りは急で足場も悪いので慎重に下ります。小さく登り返した440m圏から大崩山手前の鞍部へは最初北東へ下りすぐに北西へ折れるのですが、踏跡も尾根もはっきりしません。少し行き過ぎてしまい戻るような感じで尾根を捕まえて石祠を見るとまもなく鞍部です。ここから大崩山へは結構登られているようで踏跡は明瞭です。最初の急登が終わると自然林になり痩せた尾根を慎重に辿ります。直下は小さな岩場とザラザラのいやらしい急登ですが、ここ2〜3日の陽気で咲き始めたミツバツツジがまだ冬枯れの尾根に鮮やかな彩りを添えます。登り着いた頂上には山名板があり、少し枝は煩いものの視界良好で歩いてきた尾根や小沢岳、四ツ又山、鹿岳等西上州の個性的な山々が見渡せます。慎重に鞍部に戻り踏跡を西へ下ります。すぐに広場に出て左手の沢を渡ると関平集落へ通じる林道に出ます。集落に出て既に待機していたバスに乗り込み、道の駅で買い物をして帰途につきました。
西上州らしいスパイスの効いたミニ縦走を楽しんだ一日でした。(冨重正樹)
期 日:
3月23日(土)日帰り 天候:晴れ
参加者: L河崎正道、小澤美喜代、松宮俊彦、宮澤恵子、助廣弘子、竹田早苗、冨重正樹、川野洋子(支部外) 計8名
コースタイム:虎姫駅(90m) 9:30−南登山口(90m) 9:45−多賀貞能陣地跡(125m) 9:50−蜂屋頼隆陣地跡(140m) 10:00−丹羽長秀陣地跡(虎御前キャンプ場)(145m) 10:05−瀧川一益陣地跡(・202.9m) 10:20−掘 秀政陣地跡(210m) 10:25−織田信長陣地跡(220m) 10:35−木下秀吉陣地跡(虎御前山)(224m) 10:40〜45−柴田勝家陣地跡(210m) 10:50−北登山口(100m) 11:05−小谷山登山口(100m) 11:25−出丸跡(152m) 11:30〜12:00−金吾丸跡(300m) 12:25−番所跡(290m) 12:30−御茶屋跡(315m) 12:35−御馬屋跡(320m) 12:37−赤尾屋敷跡(330m) 12:45−桜馬場跡(340m) 12:50〜13:00−大広間跡(345m) 13:02−本丸跡(350m) 13:03〜08−中丸跡(345m) 13:10−京極丸跡(365m) 13:15−小丸跡(370m) 13:18−大石垣(385m) 13:20−山王丸跡(398m) 13:25−六坊跡(370m) 13:30−月所丸跡(360m) 13:40−清水谷分岐(365m) 13:45〜55−小谷山(大嶽山)(・494.5m) 14:10〜20−福寿丸跡(300m) 14:40〜45−山崎丸跡(236m)
15:00〜05−清水神社登山口(100m) 15:20−河毛駅(100m) 15:50
本部合同山行を企画する事には抵抗は無いが、その為に関東からお金や時間を掛けて参加して貰う事に抵抗を感じる。でも良かったのは関西の会員の人が1名だったが参加して戴いた事だ、関西にも会員がおられる事にビックリした。彦根の本屋で新ハイ誌を探したが無かった。
天気は良いのだが風が冷たく強い。湖北地方には古墳が多く、虎御前山にも多く有るのだが織田軍勢はその古墳の頭を削り陣地を作った。低い山だが展望は良い、何と言っても大きな琵琶湖が一番眼に着く。織田信長の陣地跡は広いが他の陣地は狭い、どれだけの人数がここにいたのだろうか。木下秀吉の陣地の目の前には小谷山が控える。
虎御前山を南から北へ縦断して車道に降りる。この山は歴史探訪の人や散歩コースとして人が入るが、山登りの対象には成って居ない様だ。北国脇往還道を歩き小谷山へ向かう、東尾根と西尾根の間の清水谷には浅井勢の屋敷が有ったらしい。TVドラマの舞台に成り観光地化されたので、バスも番所跡までは走っているが我々は下からもちろん歩く。
登り始めてすぐに出丸跡に着く、ここが最前線ですぐ目の前に虎御前山が見えるが距離にして500m位だろう、この様に近い距離で向かい合っていたとは近代戦では考えられない。ここで伊吹山を眺めながら昼とした。番所跡からは山城の曲輪跡が続く。浅井長政が29歳の若さでお市の方や3姉妹を残して自害した赤尾屋敷跡、どの様な心境だったのだろうか。TVのロケが行われた桜馬場跡は琵琶湖・竹生島・山本山〜賤ケ岳・伊吹山など展望が良い。
浅井家の居城である小谷城は、昭和45年より発掘調査され、その後整備された。大広間跡や本丸跡へ来ると、440年前にタイムスリップした様で、お市の方や3姉妹が今にも出て来そうな雰囲気だった。道は良く整備されているのと案内板が多く歴史の勉強には成った。清水谷分岐から上の小谷山までが山登りらしくは成るが、それまでは歴史探訪と観光だった。
車道を30分程歩き河毛駅で解散。地図や磁石無しで歩けるので、支部の人が好む山では無いのに、遠くから多くの人に参加して戴き有難う御座いました。(河崎正道)
期 日:3月24日(日) 日帰り 晴れ
参加者:L冨重正樹、小澤美喜代、河崎正道、松宮俊彦、宮澤恵子、助廣弘子 計6名
コースタイム:堅田(国民宿舎)8:08=栗原登山口8:25〜31ー電波塔8:40ー霊仙山9:36〜44ーズコノバン10:09〜16ー権現山11:07〜38ーホッケ山12:06〜19ー小女郎峠12:46ー小女郎ヶ池12:53ー小女郎峠13:00〜05ー薬師ノ滝14:19〜28ー登山口14:35ー蓬莱駅15:20
費 用: 堅田駅=国民宿舎 タクシー 710円
国民宿舎=栗原登山口 タクシー 2870円
堅田/国民宿舎ビューロッジ琵琶 1泊2食付 8500円
前日の本部合同山行で河毛駅で解散後、堅田駅へ移動して宿に入りました。翌朝、タクシーで栗原登山口まで入ります。ズコノバンへ直接上がる道(林道)を見送り、電波塔へ舗装道を上がり山道に入ります。霊仙山までは植林の中、胸を突く急登が続きます。耐えること1時間、登り着いた頂上には3等三角点があり琵琶湖が俯瞰できます。リョウブとアセビの明るい尾根を下ると雪が出てきました。鞍部から緩やかに登り返していくと右から栗原登山口からの道が上がってきます。標識はありませんが、ここがズコノバンです。逆から来た場合、霊仙山への尾根道を見過ごしやすく、注意が必要です。権現山へは次第に急になり段差の大きい厳しい登りになりますが、直下で樹林を抜けて琵琶湖、比叡山、京都北山の山々と一気に展望が開けます。権現山は広く明るい頂上で北側以外は遮るものがありません。越してきた霊仙山はもう足元です。北側のわずかな窪地にはまだ雪が多く残っています。昼寝でもしたくなるような気持ちの良い頂上で早目の昼食、ここからは稜線漫歩です。広く緩やかなリョウブの尾根道を時々雪を踏みながら進むと草尾根になりホッケ山(1050m圏)に登り着きます。今コースの白眉、ぐるり全く遮るものがなく蓬莱山への穏やかな草尾根、湖というよりは海のような琵琶湖の全貌が見渡せます。尚も緩やかな尾根道を辿り左下に小女郎ヶ池が見えてくると小女郎峠です。小女郎ヶ池へは左へわずかで、一部まだ凍っている池は周りを残雪とリョウブの林に囲まれて静かな佇まいです。峠に戻り東へ下ります。急角度に落ちる谷沿いにつけられた登山道は路肩も不安定ですが、雪が多く残っていて助けになります。900m辺りから左岸を巻くようになりますが、路肩が不安定で石もゴロゴロしていて下りと言えども気が抜けません。何度が渡り返して幽玄な薬師ノ滝を見るとまもなく堰堤下の林道終点に出ます。琵琶湖を俯瞰しながら蓬莱駅へ、駅のそばに一件だけある蕎麦屋で小1時間打ち上げをして京都経由で帰途につきました。
明るく開放的でのびやかな比良の山を満喫した一日でした。(冨重正樹)
期
日:3月24日(日)日帰り 天侯:曇り後晴れ
参加者:L吉田和興、宮島陽子、峰尾欽二、杉江修一、山口音子 計5名
コースタイム:都留市駅7:37=タクシー=曙橋さき豚舎8:15―テレビ塔9:09―菜畑山9:34〜41―水喰の頭10:15−今倉山東峰11:09〜32一赤岩12:12−二十六夜山13:03〜13:14−芭蕉の湯(一浴)14:34〜15:54=都留市駅16:30
2日目までは雨天確率50%、中止か延期と思っていたところ、前日曇りとなり当日は曇り後晴れ富士も見える。稜線の起伏も少なく、疲れも少なく、足元も柔らかく、快適な山歩きでした。スタートは曇り、ガスもたち込めているので、登山ルートを変更し登りはタクシーで曙橋から豚舎まで入り30分ほどショートカット。昭文社のコースタイムは長め、普通に歩いて1時間半早め、タクシーと合わせ2時間以上早く下山。ユックリ温泉につかり、都留市駅からの電車も運よく新宿直通便の快速。18時前には町田に到着しました。(吉田和興)
その他:都留市〜豚舎タクシー¥6,830、芭蕉の湯〜都留市バス@200、一浴@700